#8 風邪が治りかけた貴女に

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下唇をなぞり、彼は、あまり見ない種の、切なげな表情を浮かべた。あたしはこの顔も好きだ。けど、瞳の奥には強い本能が光り来るように思えて、 「最後までしたい?」 唇合わさる直前、それを聞いて彼はそっと顎を引いた。 「んな顔して聞くのは、……拷問だ」 あたしは吹き出した。目を泳がすのも珍しい。 「泣くか笑うか、どっちかにしろよ」 「優しく、してね」 微苦笑と共に彼は答えた。 「勿論だ」 母の胎内にいるかの孤独。 揺りかごみたいな安らぎ。 真っ暗な湖。三日月映す水面に二人、ボートで迷い込む世界。 彼となら、どんな景色だって輝いて見える。 あたしのこころがある限り。 この人があたしを求める限り。 あたしがいままでに知らなかった世界を与えてくれる。 えも知らぬ快楽と激情。ほのかな恋情。親友を見つめるようなあたたかさ。 顔を埋めたままの髪に触ってみる。こころの真ん中に触れられている、そんな倒錯感。 「一臣」 少しの間ののち。 身を起こした彼は、あたしと目を合わせて唇を重ねた。
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