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「今日は助かったよ、お疲れさん」
会社から出るとネクタイを緩め、大きく伸びをする上司の横顔には疲労が滲んでいる。
それでも気を遣ってくれているのだろう、いつもの優しい笑みを浮かべていた。
「何とか終わってよかったですね」
「いやー遅くまでごめんな」
ぽん、と肩を叩かれる。
上司にとっては、何気ないスキンシップの一つだろう。
「いえ、お疲れ様です」
高鳴る鼓動には気づかないふりをして頭を少し下げる。
ふと、肩に置かれた手がそのまま動かないことに気づく。
見上げれば、好きな人の真っ直ぐな視線が注がれていた。
視線が、合う。
「あのさ」
「はい」
息を呑む。
「やっぱ、キレイになったよ」
真剣な表情。目を逸らせない。
顔が熱い。きっと林檎のような赤に頬が染まっているだろう。恥ずかしい。
「嬉しい、です。ありがとうございます」
語尾に近づくにつれ、声が小さくなってしまった。
不意に、気づく。
頬だけでなく、耳の先まで真っ赤になった林檎が目の前に在る。
「今度、メシでもどうだ。今日は遅いから、金曜の夜とか」
肩に添えられた手が小さく震えていた。
「今日の、お礼ってことで」
「は、はい!」
気づかぬふりをして頷くと「じゃ、そういうことで」と言って肩から手が離れていった。
わざとらしい咳払いを一つして、更にわざとらしく腕時計を見る。照れ隠し、なのだろうか。
「あーほら、帰るぞ!終電間に合わなくなる!」
上司が先に歩き出すものだから、慌てて駆け寄っていく。
絶対に諦めない、それは私の信条だ。
この想いも、やっぱり、諦めたくない。
月明りの下、大きさの違う影が並んで同じ道を歩んでいた。
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