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染まらない白
放課後の生徒会室。
斜めに差す夕陽が窓際をオレンジ色に照らす。時計の針が進み、黒板の上に取り付けられたスピーカーからピアノのクラシック音楽が流れ出した。下校時刻を伝えるアナウンスがなごやかに始まる。
初夏のあたたかな光を背に受けながら、窓際の壁に接して置いてある長机に一人の少年が座っていた。真新しい紺青のブレザーをゆったりと羽織り、少し丈の長い袖からしなやかな手の指が伸びている。さらりとした黒髪は襟足が長く、細い首はまだ成長途中の少年のものだった。
ときおり少年は短い吐息を漏らした。こみ上げたものが透明な声となって淡紅色の唇から吐き出される。閉じていたまぶたをうっすら開くと、身じろぎして片手を上げ、学生ズボンの前をひらいた場所にしがみつくもう一人の少年の髪を掴んだ。
「……先輩、ちゃんと味わってますか?」
紅潮した頬でうっとりと見下ろしながら声をかける。
入学して間もない新入生にひざまずいて懸命に奉仕する生徒会長は、少年のものを口にふくんでこくこくうなずきながら夢中で舌を絡めてくる。
玩具にじゃれつく猫のようだと思いながら、触れられている少年はときどき意識が飛びそうになるのをこらえていた。
「ねえ、先輩……僕そろそろ帰らないと」
ゆっくりと、幼い子に言い聞かせるように下校時刻を過ぎていることを告げ、少年は生徒会長の鳶色の髪を掴んで引き剥がそうとした。年長の少年は目の前のいとおしい存在から離れがたく、根本まで咥えこんで両手を使って必死に愛撫する。
いきなり強い刺激を与えられて、性急に終わらせようとする不慣れな男に少年はストンと興味を失った。
掴んだ鳶色の髪を無理やり引っ張り上げて、うつろな目をした生徒会長と視線を合わせた。
真上から睨めつける。
「下手くそ」
ひざまずいていた少年の目が丸くなり、弱々しく口が開かれた。想いを遂げられず拒まれたものを解放する。
長机に座っていた少年はポケットからハンカチを取り出したが、唾液を拭う前に脚を少し広げて見せつけてやった。昂りの収まらない抜き身はぬらぬら光り、このまま服を身に着けるのはみっともないと上気した顔で罪を責める。
この空間の支配者は年下の少年だった。
王の宝を下賜されても満足に礼を尽くすことができなかった生徒会長は、頭を垂れて自身の未熟さを恥じた。入学式の日、在校生代表として壇上に立った時に偶然目が合った新入生に一目惚れをして、やっとウンと言わせたのに……。
「ごめん……」
生徒会長は素直に謝った。線の細い顔が幼く見える。
「雪乃君……あの、俺は」
「いいですよ。今日は時間がなかったんだし」
「またお願いできるかな。今度はちゃんと……」
「一度だけだと言ったのは生徒会長ですけど」
気のない返事をして、雪乃と呼ばれた少年、雪乃刃は机の端に置かれた眼鏡を手に取った。ぺたりと床に座り込む先輩に渡してやる。
「先、行っててください」
「……ああ。じゃあ、また今度……」
生徒会長は力なく眼鏡を受け取ると、立ち上がった。今度は自分が後輩を見下ろす位置になって、上目遣いでこちらを見つめる少年と目が合い、抱きしめた。押し倒すこともせず手を離した先輩は、愚直で、やさしい人だった。
教室を出る気になった先輩はたどたどしい手つきで眼鏡を装着した。細い銀のフレームが彼の童顔に思慮深さを与える。黙っていれば背が高く見映えも佳い。
刃はその名の通り、刃で刺すようなまなざしを向けて生徒会長を見送った。静かになった教室はしんとしている。コの字に並べられた長机には秋の文化祭で使う資料やコピー紙の束がいくつか置いてある。このイベントを無事に成功させることが生徒会長の今期最後の仕事だった。
はあ~……。刃はおおげさに長いため息を吐いた。机に座ったまま足をぶらぶらさせて後ろを振り返る。窓の外からは少年の上半身しか見えない。今の蜜事を覗くなら向かいの棟の屋上からこっそり……しかなかった。
「途中までは善かったのになあ」
ズボンのチャックを上げるとやや窮屈だった。生徒会長のいちずな想いを受け止めた後もじんじん火照り、さらに身を焦がす熱を求めている。
彼は、まあわるくなかった。もう一度戯れに付き合ってやるのもいいかもしれない。
生徒会室を出て自分の教室へ向かう廊下の真ん中で男性教師とすれ違う。刃は軽くお辞儀をしてやり過ごした。
渡り廊下から見下ろした中庭には紫陽花の花がわずかな夕陽に映えて、青や紅の澄んだ色が美しい。
存在するだけで慈しんでもらえる。自分は花のように愛でられることを知っていた。
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