きら、きら、きら。

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「早く大人になって、お仕事のできる立派な人になりたいなーとか。そういうこと思ったことない?」 「あー」 「うんうん」 「あったあった、そういうの。作文にも書いたし」 「書いた書いた」  小学生の自分達の世界は極端に狭いもので、とにかくすぐ傍の大人やテレビの中の芸能人などが全てであるように思えてならなかったのである。ホームランを打ってインタビューされている野球選手がいれば自分もそうなりたいと思ったし、歌番組で歌って踊っている歌手を見れば、大人になって自分も同じ舞台に立ちたいなんて憧れたりしたものだ。  小学生のうちから、夢を掴んでいる者もいないことはない。  けれど私達が“こうなりたい”と思う憧れの存在は、基本的には大人か大人に近い年齢のお兄さんお姉さんであったのだ。大人にならなければ、なりたいものにはなれない。大人になれば、なりたいものになれる道が一気に近づく。幼い頃は当然のようにそう信じていたのである。  実際は。子供の頃の方がずっと長く遊べるし、自分のことだけ楽しんでいればいいという、気楽な面も数多く存在していたというのに。少なくとも、明日の食費をどこから捻り出すかとか、パートのシフトをどのへんにねじ込むかとか、どうすれば娘の夜泣きがなくなってくれるのか――なんてことに頭を悩ます必要がなかったのは間違いないことだ。幼い頃には幼い頃なりの悩みが、確かにあったはずだというのに。 「大人になんかなりたくなかったよね」  誰かがぽつり、と呟いた。全くその通りだ、と私も思う。ずっと子供のまま、この田舎で暮らすことができていたらどれほど良かっただろう。  あの頃は、満天の星空など当たり前のように見られるものだった。  これがどれほどありがたく、貴重なものであるかなんて。上京し、生活に追われ、くすんでしまった空を見て初めて気づいたことである。  子供のまま、この故郷で仲間達と空を見上げたまま、時間を止めてしまえたならどれほど良かったことか。  今は、こうして空を見上げながら思うのである。流れ星の一つでも流れてはくれないだろうか。自分達の時間をあの頃に戻してはくれないだろうか――なんて。流れ星にお祈りすれば叶うなんて迷信、そんなこと、全員嫌というほど思い知っているはずなのに。 「もう、戻れないんだよ……俺達は。子供じゃないんだから。引き返す道なんか、自分で捨ててきちまったんだから」  木々のざわめき、虫の声。自動車の走る音も排気ガスの臭いもないその山の上に、ぽつりと将の声が響き渡る。まるで蕩けるような美しい世界をじわりじわりと侵食し、強引に目を覚まさせようとでもするかのように。  わかっている。目を覚まさなければならない時が来たのだ。  ビールを一本飲んで、おつまみを食べて、一時間。一時間だけ騒いだら――自分達は儀式を行うのだと。ずっと仲間でいるという儀式。もう二度と戻れない儀式。そして、古い自分を捨て去って、新しい自分として罪を背負って生きていくという儀式を。  無邪気に大人になりたいと願っていた、遠い日の自分達は。もうどこにも存在していないのだから。 「……よし」  私は勢いよく身体を持ち上げ、うーんと伸びをした。そして、缶ビールをケースから一本取り出し、宣言する。 「飲むぞ!みんな、乾杯だー!!」
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