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気を取り直して再び走り出した僕は、村のどん詰まりのような場所に出た。その先にも道は存在するが、明らかに勾配を増した山道の様相を呈していて、そこから先に民家は無さそうだ。ナビの地図で確認しても、クネクネとしたワインディングかなり奥まで続いている。おそらく峠道となって、反対側の七代市にまで抜けるのだろう。僕はその手前で左側に有る大きな駐車場へとゴルフを進めると、一番奥の角に停車し、時折、咳き込むような音で不調を知らせるくたびれたエンジンを止めた。
そこはこの村には不釣り合いな、立派な日帰り温泉施設の駐車場である。僕は車を降りて大きく伸びをした。少し湿り気を含んだ山の空気が心地良い。長時間の連続運転をした弊害か、僕の腰は鈍い痛みを伴って、既に若くはない身体を労わってくれと悲鳴を上げていた。
やはりこの時期、観光客の姿は殆ど見えなかったが、代わりに、地元の男衆が総出で草刈りに精を出しているらしく、その関係車両とみられる軽トラが多数集結している。彼らは皆、エンジン付きの草刈り機を肩から下げ、各々が田畑の畦道や農道脇、用水路脇の雑草を刈るのに忙しそうだ。その甲高いエンジン音に加え、冗談を飛ばし合いながら賑やかに草刈りする彼らの声が、この山間に木霊すように充満して、なんだか夏祭りを思わせる賑やかな雰囲気である。僕は彼らの脇をすり抜けるように越え、そのまま月井内川の川岸へと続く畦道に足を踏み入れた。
同時に、先ほど車で轢きそうになった男のことがふと思い出された。彼もこの草刈りに参加しているのだろうか? いや、そんな風には見えなかった。全ての男衆が駆り出されているわけではないということか。或いは、こんな小さな村の中ですら人間関係が複雑に入り組んでいて、単純ではないのだろうか。「村八分」というような、古来より繰り返されてきたであろう醜悪な慣習が、こんな長閑で鄙びた山村に、今もなおひっそりと息づいているような気がして、僕は言葉では言い表せない不快感を感じた。むしろこんな村だからこそ、生き難い生活を送っている人がいるのかもしれない。
川岸に到達した僕は、明褐色のゴロゴロとした石を洗って流れ下る、澄んだ清流を見下ろした。所々に顔を出した大岩が作り出すヨレや、ちょっとした深みには、いかにも良型の渓流魚が潜んでいそうだ。それらの大岩の腹に残る水面の痕も、この川の水量が安定していることを物語っていて、水生昆虫の安定したハッチ(羽化)が期待できるに違いない。その証拠に僕の足元の石には、羽化したカワゲラの殻がぎっしりと張り付いているではないか。僕は明日からの釣果を想像し、期待に胸を膨らませた。そう、僕は気ままに旅をしながら、あちこちの川を釣り歩く旅釣り師だ。
その時、ふと対岸に目をやると、川に迫る山腹 ──その急激な勾配は、土手と言うよりも崖と形容する方が的を得ているかもしれない── を40メートルほど上った所に、心細げに張り付くいくつもの石を認めた。角が欠け落ちて丸くなりつつあるそれらは、明らかに自然の造形とは異なり、人工的に据えられた墓石と思えた。目を凝らせば、その表面には何かの文字が刻み込まれているようだが、おそらく近付いてみても、それを判読することは難しいのではないか。そんな風に思わせる、風雨に晒されて朽ちかけた古い墓石の群れである。
それは綺麗に整備された霊園でもなく、寺の管理下にあるとも思えない、古来から続く土着の墓地なのだろう。絶壁と言っても差し支えないような山腹を這うように登る、地元民のみが知る小径でも続いているに違いない。どうやったらそこに辿り着けるのかすら判らないが、ただそれらの中にあって、比較的新しそうに見える石も混じっていることから、そこは、少なくとも最近までは使われていたのかもしれなかった。
(決めた。この川にしよう)
僕はそこで踵を返すと、今来た道を戻り駐車場へと向かった。先ほどまでこの畦の草を刈っていた男衆は、いつの間にか一本隣の畦に移動していて、相変わらず伸び始めた雑草と格闘していた。
そうと決まれば宿を取る必要が有る。幸いにも、ここに来る途中でいくつもの民宿を見かけたし、観光客で賑わうシーズンでもないので、今夜の寝床に困ることは無いだろう。その中の適当なのを選んで交渉すれば、予約が無くとも夕食付きで泊めてくれるに違いない。僕の駆るゴルフは日帰り温泉の駐車場を出ると、インターチェンジ方面へと向かう道を戻り始めた。しかし先ほどのような急ブレーキはもう御免である。僕は宿を探しながらも、いつもより慎重にスピードを落として、ゆっくりとアクセルを操作した。
暫く下ると、僕好みの民宿を見つけた。その宿の経営者には申し訳ないが、建物全体から来る「くたびれ感」や「寂れ感」が、何とも言えず好感が持てたのだ。勝手な心配をするなと言われそうだが、その気密性の悪そうな木造建造物でこの地の冬を乗り切れるのだろうか? ここはかなりの豪雪地帯のはずである。太平洋側とは言え、毎年2~3メートルの雪が積もる土地柄と聞いている。その重みに耐え得る構造体とは到底思えないことから、毎冬の過酷な屋根の雪下ろしが欠かせないに違いない。
今走って来た道を挟んで民宿の反対側にちょっとしたスペースを見つけた僕は、そこにゴルフを停めてエンジンを切ると、行き交う車など殆ど見られない道を横切り、民宿『大原間』の開け放しの玄関をくぐった。
「ごめんください」
足元には薄汚れたスニーカーやら、ゴム長靴が並んでいた。そのどれもが茶色い泥の装飾が施され、野良仕事などに動員されていることは間違いなさそうだ。こういった風景は、僕が子供の頃には見慣れたものだったはずだが、七代市を出て東京に就職してからずっと忘れていた風景でもある。生まれ故郷である七代市の、山を挟んで直ぐ反対側まで近付いてきた影響だろうか? 僕の心はふと、そんな昔のことを思い出していた。
しかし返事は無かった。コチ・・・ コチ・・・。柱時計がゆっくり過ぎると思えるほどのペースで時を刻んでいる。コチ・・・ コチ・・・。
玄関の靴脱ぎの横に備え付けられた傘立てには、赤地に白の細かい水玉模様の傘が差し込んであり、その民宿には女性、或いは女の子が住んでいることを窺わせた。
傘立てと並ぶ下駄箱の上には、木彫りの熊や将棋の駒を模った置物が並んでいる。僕が子供の頃、つまり昭和であれば、そういった物の一つや二つは必ずと言っていいほど、どの家庭に有ったものだ。それはこの宿のように下駄箱の上であったり、テレビの横の棚であったり、或いは床の間であったりと其々なのだが、そういった物たちは、この令和の時代には既に姿を消して久しいものだと思っていた。
コチ・・・ コチ・・・。更に暫く待ってみるが、やはり反応は無さそうだ。コチ・・・ コチ・・・。
もう一度声を上げようと、僕が息を吸い込んだ時、何か黒っぽい物が耳元を素早く通り過ぎていった。その瞬間、微かに「チチッ」と聞こえたような気がした。その宙を舞う物体が、例のゆっくり過ぎる柱時計の手前の空中で停止すると、時計の上から覗く四つほどの黄色い嘴が、一斉に口を開いてピィピィと餌を催促する。その場でホバリングする親燕は、雛たちが待つ巣に着地すると、口に咥えた数匹の昆虫を分け与え、そしてまた直ぐに飛び出して行った。玄関が開け放しになっているはずである。良く見ると柱時計の下には、糞避けの棚も取り付けられているようだ。
もう一度僕は声を上げた。先ほどよりも大きな声だ。
「ごめんくださーーい!」
すると、遠くの方から「はぁーぃ」という女の声が伝わって来た。それに続き、たたたたたっ・・・ と、スリッパを履いた軽い足音も近付いて来る。廊下の奥の角から姿を見せたのは、30歳手前といった感じの意外過ぎる美しい女だった。
玄関の外では、ポツリポツリと雨が降り出した。
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