0人が本棚に入れています
本棚に追加
爽やかな風が吹き、陽光が等しく降り注ぐ
木々は緑濃くなり、清流に棲む鮎は踊る
菖蒲は湖岸に咲き誇り、杜若がそこに混ざる
ここは何処だ
そんな当たり前の問すら言葉に出ず、ただその風景に見とれていた
深く空気を吸い込む
それは塵芥何ひとつない清浄なもので、なんと心地よきことか
「おにいはん…」
突如背後から聞こえてきた声に驚き、咄嗟に振り向く
するとそこには――
「ようこそおいでくださいました」
――女人が佇ずんでいた
真珠の如く真白な肌には傷一つなく、射干玉のように艶やかな黒髪は簪で一つに結い上げられていた
白縹の浴衣には流水の紋があり、季節を感じる
「そうかたまらないでくださいまし。なんもとって喰らおうとしてへんのですさかい」
少し困った風にしながら微笑する
その姿は人あらざるものと紛う程に絵画的であった
この風景といい、女人といい、現実と思えぬものばかりだ
よく見ると浴衣の裾は水に濡れているようにみえる
「おにいはんが何を思ってはるか、なんとなくはわかりますぅ
そのうえでいいますえ
夢か幻かなど取るに足らないことやありゃしまへんか
今…この一時くらいは現世を忘れてどうか安らいでいってくださいまし」
和らげで…でも凛としたその声が自分を包みこむ
……あれ、僕は何をしてたのだろうか
段々と…しかし確実に頭にもやがかかってい
「なぁおにいはん、こっちきてうちと一緒にーー」
紡ぐ言の葉のままに彼女の手をとり僕はどこかへ掻き消えた
あとに残るは清流のせせらぎばかりなり……
これは初夏の候、なにかに魅入られた男の話ーー
最初のコメントを投稿しよう!