3枚の埼玉のLP……1

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3枚の埼玉のLP……1

カーステレオがCCRの〝グリーン・リバー〟を鳴らしていた。県道から外れてこのダラダラ坂へと続く脇道へ差し掛かった頃、ダイア―・ストレイツのベスト盤からCCRのベスト盤にCDを取り換えたのだけれど、それももう随分と前のことに思えてくる。 埼玉くんだりまでたった三枚のLPをわざわざ配送するとはいくら気まぐれとは言え我ながら呆れるが、誰憚ることなく聴きたい曲を、大きな音で聴けるというボーナスは、まぁ、悪くはなかった。  フロントガラス越しに射し込んでいた冬の陽光が、薄いシェードをスローで降ろしていくようにスーッと弱まるのを感じ始めた頃には、車内はもう木漏れ日に染まりだしており、そしてあっという間に車内は冷え込んでいった。 ヒーターを点けようかどうか悩んでいたアタシだったが、その内には木漏れ日すら消え去って、車内はすっかり薄暗く、車窓越しに見える辺りの様子はといえば、まるで変態が潜んでいそうな雑木林のなかだった。  新宿暮らしのアタシには充分焦りかねない状況ではある。ピンク・フロイドのアルバム『雲の影』なんか流せばハマるんじゃない?もっともCCRも意外なくらいにハマってはいたけれど。  アタシはCCRの〝スージーQ〟に身を委ねることでいつものアタシが戻ってくるのを待つことにしたが、なんだか妙な心持ち。  ナビ代わりのスマホへ視線を移すと、どうやらこの辺りが目的地のようだ。実際さいたま新都心駅沿いの通りを通過したのがまだ30分ぐらい前のことだとは信じられないぐらい、ここには自然が溢れていて、人の気配など微塵も感じられず、ただ雑木林の群れだけが存在感を誇示していて……。  あらら、すっかり弱気なアタシじゃんか。でもさ、こんな寂しさばかりが際立つ妙に肌寒いロケーションだと知ってたら、たった三枚のLPを売るためだけに、誰がこんなショバまで来るもんかぁ!  が、その時、目的地への到着を知らせるGPSのアラームが鳴った。  アタシはアクセルを緩めて周囲を窺った。すると、左手やや前方に立ち並ぶ樹木の隙間から、すぐにそれと知れる二階家が見え隠れし始め、そうと気付いたアタシが静かにブレーキを踏み始める頃には、その場違いなまでの瀟洒な構えの全貌に、一種異様な不気味さすら覚え始めていた。  アタシは溜息を吐いて、その二階家から視線を戻し、ハンドブレーキをしっかりと引いた。CCRは〝悲しいうわさ〟をプレイしていた。アタシは両眼を瞑って、連中のゴツゴツしたサウンドにこの身を晒すと、〝ハニー・ハニー・イェーイ!〟のフレーズをジョン・フォガティと一緒にハモっていた。  すると、アタシの中で萎んでいた何かが膨らみ始め、見失っていたアタシをみるみる取り戻していった。そう、ロックはアタシを救ってくれる!  「さて、片付けてくるか……」  そう呟いたアタシは、さっきまでGPS代わりだったスマホで時間を確かめると、イグニッションを切った。カーステレオは途切れたものの、ロックな空気でビンビンに膨らんだアタシのなかでは未だにCCRが流れていた。アタシは助手席に載せたレコードバッグの上から妙に軽い少し盛り上がった茶封筒を取り上げると、念のためにグローブボックスの奥深くへとそれをしまい込んだ。  それは夕方5時、赤羽駅着、パッケージ業務用のブツだった。今はまだ昼前だし普通に考えれば約束の時間に問題はないはずだ。アタシはグローブボックスの蓋を閉めようと手を掛けたものの、ふと思い立ってもう一度二階家へ顔を向けてみた。そうして、少しの間見据えてから視線を戻して蓋を閉じようとしたその一瞬、以前パッケージ業務で出向いた先で監禁された時のことが脳裏を掠めた。  アタシは再び両眼を瞑り、あの時に受けた数々の辱めを敢えて思い出すと、その経験から得た教訓を口にする。  「念には念……」  言い終えてから、意外にも苦笑したアタシは、閉じ掛けていた蓋をもう一度開いて中から小型のスタンガンを取り出すと、今度こそ勢い良くグローブボックスの蓋を閉めた。  ベルを鳴らしてかれこれ数分が過ぎた。取っ手が突き出たスライド式の玄関ドアに背を委ね待ちぼうけの呈な手持ち無沙汰のアタシは、見るともなく視線の先に停まるアタシのトラック、トヨタ・クイックデリバリー2t を見入ってしまう。  なんだよ、放置プレイかなんかのつもりぃ……。  グイッと伸びをしたアタシは斜め掛けしたレコードバッグのショルダーストラップが右の乳房を愛撫するのを感じた。充分、パイスラしてるわ…。 が、それにしても寒い。新宿よりも体感的には数度は低いんじゃないだろうか?  アタシは伸びをするために頭上に突き上げていた両手を、さっさとステンカラーコートのポッケへと戻した。  と、ドア向こうで何かが倒れる甲高い音がした。ハッとしたアタシはドアから背を離し向き直った。そこへガチャッという音が続いた。ポケットのなかの右手はスタンガンを握り締めている……。  ガ、ガラ……。ドアがほんの少し隙間を作ってそれっきりだ。口のなかが渇き、スタンガンは汗ばんだ。  ガラ……ガラガ、ガラガラ、ガッ……  ドアは半分ほど開いて再び静止した。かび臭いニオイが室内から流れ込み鼻腔を満たした。薄暗い廊下は奥へと伸びているようだが、行き着く先は真っ暗闇だ。ドアの真裏の足下で気配がした。アタシはサッと視線を落とした。内側の取っ手を握った誰かの左手が見えた。視線でその細い左腕を辿って行くうちに、気付いた時には玄関のなかへ上体を突っ込んでいた。男だ。白髪の老人⁉ いや、中年? 一体全体、老人とはいくつぐらいからの呼称なんだろう……?  閑話休題。  要するに、今アタシの足下にLPの注文主だと思われる白髪の男が、まるで取っ手こそ命の綱だとでも言いたげに握り締めたまま三和土に突っ伏していたのだ。  思わず詰め寄ったアタシだけど、その途端、愛用のデザートブーツがカラ~ンと言う音を立てた。スチール製の杖が男の傍に転がっていたからだ。それを拾って上がり框へ放り捨てたアタシは、改めて白髪の男へ向き直ると、傍らにしゃがみ込んで男の両脇から両手を挿しこみ羽交いにして抱き起してやった。  予想以上に男は軽かった。アタシはそのまま上がり框まで後退すると、うまい具合に自分の身体をずらしながら男をそこへ座らせてみたものの、男は間髪入れず前方へと崩折れていった。咄嗟にしゃがみ込んで男を抱きすくめたアタシは、密着した相手へ慌てて呼びかけてみた。  「ね! ちょっと、もしもしィ⁉」  アタシの首筋辺りで白髪頭が頷いたような気がした……。と、弱々しい呼吸音が聞こえてきた。アタシは実のところ、そこで初めて本格的に心配になってきた。  「あの、さ……呼びます、救急車?」  白髪頭はゼーゼーいう呼吸音を伴いながら、いやいやするみたいに小さくその首を振ってみせた。前進も後退も出来ないアタシは、しゃがみ込んだまま白髪頭の天辺に顎を載せた不自由な姿勢で、そろそろ悲鳴を上げつつある足腰とじんわり汗ばんでいく両腋がリアルタイムで随時更新されていくのを感じているうちに、不意にあることに気付いてしまった……。  明らかに白髪の男はアタシの身体の香りを嗅いでいるらしいことに。ということは、端から仮病だったのだろうか? だとしたらアタシを呼び寄せるため……。確かに、電話で話しはしたからアタシが女なのは知っていた。けど、アタシはこの客の名前にも、ましてやここの住まいにも全く心当たりはなかった。いやはや、なぜの嵐だった。もっともあの体重の軽さからして、どうしても仮病だとは思えずにいるアタシもいた。  どうするサキ! 前進か後退か⁉  アタシは真っ暗闇な廊下の奥を見るともなく見入りながら、自問自答を繰り返していたが、そのうちゾゾゾッとして我に返った。見ればその押し付けている鼻をアタシの汗ばんだ腋へと滑らせていた白髪の男は、その質感の無い両腕をもアタシの背後へと廻すと、そのあまりに圧力を感じさせない指先でもってアタシの背中を撫でだしていたのだ。ここへ至り静かながら昂ぶりを秘めた鼻息は、最早呼吸音なんて呼べる代物じゃなくて、好色なるものの残滓、言うなれば白髪の男のなかのオスが解禁されつつあることの証だった。  「あ、あッ……」 to be continue
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