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「……おい、また何か余計なこと考えてるだろ」
ふと、彼が低く声を発して私はハッと顔を上げた。じとりと見下ろしている怖い顔。鋭い彼の目と視線が交わり、私は震え上がりながら慌てて首を振る。
「か、考えてません!」
「ほんとか? 誓える?」
「誓って考えておりません!」
「ふーん。……なら、いいや、別に」
彼は小さく息を吐いて、錆びついた鉄柵に背を持たれると薄暗くなってきた空を仰いだ。恐る恐ると顔を上げれば、もうその表情は先ほどのような険しいものではない。ほっ、と私が安堵の溜息をこぼした頃、不意に彼はぽつりと呟く。
「……ビビった? ごめん」
「え? ……あ、いえ、別に……」
「……なんかてっきり、俺との約束破って、またふらっとどっか行こうとしてんのかも……とか思っちまって。ちょっと焦った」
「……」
私はぽかんと、一瞬呆気に取られて黙ってしまった。ややあって、ああなんだ、そう考えてたんだ、と先ほどの牽制にも似た圧に少し納得する。
「……別に、どこにも行かないです。ちょっと外の空気吸おうと思って、出てきただけだから……」
「ふーん?」
「……信用してないでしょ」
「どうだろうなあ」
揶揄うような態度に、むう、と私は唇を尖らせた。そんな私に、「でもまあ、」と彼は続ける。
「もう1ヶ月は経ったんだ。あと5ヶ月。それまではちゃんと俺に付き合えよ、そういう約束だろ?」
「……」
あと“5ヶ月”。その言葉に私は少しだけ視線を落とした。
そう、私と彼の“約束”には、期限がある。その期限日は、「毎日一緒に晩ご飯を食べる」と約束をしたあの日から、ちょうど6ヶ月後。
つまり、私と彼は『半年間だけ、毎日一緒に晩ご飯を食べる』という約束を交わしていることになる。
私は下に落としていた視線をゆるゆると持ち上げ、彼に向かって口を開いた。
「そんなに念を押されなくても、わかってるのに……。ちゃんと、今日もお腹空かせてますよ?」
「ふーん? じゃあ、遠慮なくお食事を提供させていただきます、ハナコ様」
「む……なんか、バカにされてる気が……。それに、私の名前はエリコです!」
「はいはい」
彼はあしらうように返事をして、「ほら、早く部屋入るぞハナコ」とやはり正しい名前は呼んでくれないまま扉の向こうへと消えて行く。むうう、と私は頬を膨らませつつ、その後を追い掛け、彼に続いたのだった。
* * *
実を言うと、今日のメニューは最初から分かりきっていた。だって、部屋の外にまで、美味しそうな匂いがふわふわぷかぷかと漂って来ていたんだもの。
誰もが知る、その香り。
春の暖かい風に運ばれて、私の鼻の奥にまで入り込んだ、お腹を空かせる王様みたいなそれは……。
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