504人が本棚に入れています
本棚に追加
(……私もこんな風に、茶色くなって、カラカラに乾いて、見えてたのかな)
ごめん、と。
何の悪びれも無さそうに、その一言だけが放たれたあの時の光景が頭の中に蘇る。
私はその場にしゃがみ込み、乾いた桜の欠片を片手でそっと掬い上げた。
この花びら達はもう、誰の目にも留めてもらえない──。
「──ハナコ!」
「!」
ふと、耳に届いた鋭い声。ぎく、と思わず肩を揺らした直後、強く腕を引かれて私は反射的に顔を上げる。その視線の先でこちらを見下ろしていた彼は、焦ったような表情で私の目をじっと見つめていた。
まずい、とすぐに直感して、私は強引に笑顔を作る。
「え、えと……ど、どうしました?」
「……」
彼はカーディガン越しに私の腕を掴んで黙り込んだまま、じっとこちらを見つめていた。その瞳がやけに真剣みを帯びていて、逆にこちらの視線が泳いでしまう。
暫く黙って私の腕を捕まえていた恭介さんだったが、やがてゆるゆるとその手を離した。彼は「ごめん」と小さくこぼして、そっと私から目を逸らす。
「……決まりごと、今のはカーディガンしか触ってないから、セーフな」
「……」
「早く立てよ。置いてくぞ」
彼は早口で捲し立て、ぱっと踵を返すと再び歩き始めた。私は手の中からこぼれ落ちた花びら達に一瞬目を向け、その場に立ち上がる。
──決まりごと。
私たち二人の間には、毎日一緒に晩ご飯を食べるという『約束』以外に、『決まりごと』といういくつかのルールが存在する。
ご飯を食べるだけとは言え、年頃の男女が一つ屋根の下で同じ時間を過ごすわけだから、と恭介さんが考案したものだ。
決まりごとと言っても、大した内容ではない。
1、期限日まで「約束」は必ず守ること。
2、お互いの体に触れないこと。(やむを得ない場合は除く)
3、自分が答えたくないと思った質問には、答えないこと。
大きく分けてその3つが、私たち二人の「決まりごと」である。そのうちの“2”に該当する、「お互いの体に触れない」というルールが、先ほどのは『カーディガン越しだったからセーフ』だと彼は主張しているわけで。
「……別に、これくらいで咎めたりしないのに」
ぽつり、私はか細く呟いて彼の後を追いかけた。几帳面な彼は、こういうところでも細かく気にしてしまうらしい。絶対A型だろうなあ、とぼんやり思いながら、私は目の前の猫背がちな背中を見つめていた。
最初のコメントを投稿しよう!