503人が本棚に入れています
本棚に追加
02 - しょうが焼き
「ご馳走様ですー」
「ありがとうございましたっ」
カランカラン、と軽やかな鈴の音が鼓膜を揺らす。私は今しがた出ていった二人連れのお客様に頭を下げ、人の居なくなった店内へと踵を返した。
時計の針は長い方が11を、短い方も11を指し示している。つまり現在22時55分。稼働時間約7時間で、私の勤務は終わりを告げようとしている。
「お疲れ、絵里子ちゃん。それ後片付けしたら、今日はもう上がっていいよ」
「……あ、はい。ありがとうございます」
にこりと笑ってカウンターの奥から顔を出すオーナーにぎこちなく微笑み、私の予想していた通りの言葉が投げ掛けられた。カウンターが7席、4人掛けテーブルが3つ。そんな小さな居酒屋が私のアルバイト先である。
先ほど出て行った客が座っていたテーブルの上に残っているグラスと取り皿を手に取り、厨房へと入って行けば調理担当の藤くんがシンクの前で振り返った。
「あ、吉岡さん、いいよそれ置いといて。俺洗うからさ。もう上がりでしょ?」
「え……あ、ありがとう。じゃあここに置いておいていい?」
「うん。テーブルだけ拭いといて。そしたらもう上がって大丈夫だから」
「うん」
同じバイト仲間である藤くんは人懐っこい笑みを浮かべ、大きな食洗機に収められた食器類を奥へと押し込んで洗浄のスイッチを押す。私は彼のお言葉に甘えて運んできたグラスの洗い物を任せ、布巾を手に取ると再びテーブルへと戻った。
「絵里子ちゃん、どう? そろそろ2週間ぐらい経つけど、もう慣れた?」
不意に背後からオーナーに問いかけられ、私はテーブルにダスターを滑らせながら「はい」と微笑んだ。この店で働き始めて2週間。40代前半の物腰柔らかなオーナーと1歳年上の藤くんに優しく支えられ、初めての飲食業にも何とか慣れてきたところだ。
オーナーは目尻を優しく緩ませて、使い込まれたフライパンをカウンター上部の定位置に戻しながら更に続ける。
「慣れてくれたなら良かった。最近よく笑うようになったから、僕も安心してるんだよ。入ってきた頃は表情も固いし、ぎこちなく笑ってばっかりだったからねえ。緊張してたんだねえ」
「……あはは……まあ、そうですかね……。笑顔がぎこちないのは、まだ治ってないんですけど、その……すみません」
「はは、いいんだよ、ゆっくり慣れて行けば。……あ、そうだ。絵里子ちゃんって、唐揚げ好き? さっきお客さんに貰ったから、今日のまかないは唐揚げ丼にしようかと思ってるんだけど」
「……あ、いや、私は……」
ふと告げられたオーナーの提案に、私は視線を泳がせて言葉を濁らせた。すると彼はすぐに私の言いたいことを理解したのか、「ああ!」と手を打って苦笑を返す。
最初のコメントを投稿しよう!