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「ごめんごめん、夜はまかない要らないんだったね」
「あ……は、はい。その……家に、用意されてるので……」
「そっかそっか、すっかり忘れてたよ。じゃあお土産に持って帰りな、せっかくだし」
「え、いいんですか?」
「もちろん。翔くーん! 絵里子ちゃんの分の唐揚げ、パックに包んであげてー!」
オーナーが呼び掛けると、洗い物を片付けた藤くんが「はーい」と返事を返した。ありがとうございます、と頭を下げれば、オーナーは「いいからいいから」とやはり微笑む。
私は手早くテーブルを拭き上げ、パタパタと小走りで厨房へと入って行く。すると丁度美味しそうな唐揚げを五つほどパックに詰めてくれた藤くんが、輪ゴムを通してビニール袋の中へと入れてくれている所だった。
「はい、どうぞ吉岡さん」
「あ、ありがとうございます」
「あ、ほらまた敬語になってる。俺には使わなくていいって言ったじゃん」
「……あ、ご、ごめん。そうだったね」
藤くんはわざとらしく唇を尖らせていたが、その後すぐに笑顔になって「お疲れ様」と私に唐揚げの入った袋を手渡した。それを受け取り、私も「お疲れさまでした!」と頭を下げる。そしてそのまま、奥の部屋へと小走りで入って行った。
数分で着替えを済ませ、もう一度二人に「お疲れさまです」と挨拶してから、裏口の扉を開けて店を出る。4月の風は生温く、朝を待って眠るタンポポの花を揺らしていた。
この店から私の住むアパートまでは、徒歩で約10分程度。都会から少し離れた郊外だからなのか、街灯はまばらにしかなくて、人の気配もあまりない。薄手のパーカーに無地のリュックを背負い、片手に唐揚げの入ったビニール袋をぶら下げた私は、暗い夜道を早足で歩いて行く。
「──ハナコ?」
ふと、背後から呼び掛けられて振り向いた。とは言っても、私の名前はエリコだ。ハナコではない。
この名前で私のことを呼ぶのは、ただ一人だけ。
「……あ……」
「何だよ、今帰り? 遅かったな」
「は、はい。今日のシフトは夕方からだったので……」
「ふーん」
スーパーの買い物袋をぶら下げた“彼”は興味なさげに相槌を打つと、当然のように私の横に並んで歩き始める。向かう方向が同じなのだからおそらく至って自然な流れなのだろうけれど、男の人と二人きりで夜道を歩くのはなんだか慣れなくて、些か緊張してしまったり。
彼は私と同じアパートの住人で、お隣の部屋──203号室に住んでいる、恭介さん。苗字は知らない。歳も知らないし、普段何をしているのかも知らない。多分大学生なんじゃないかなあと勝手に思っているけれど、勉強しているところは見たことないし、かと言って遊んでるところも見たことはない。
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