7月8日堂の悲劇?

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某国営放送や民放の取材クルーが続々と引き上げていって、県外から来た野次馬もほぼ消えたのでまとめようと思う。 そろそろ時計の針が12時を回る。目まぐるしく一日がようやく終わって従業員たちに帰宅を許可できる。 本当に馬車馬が鈴鹿サーキットを16時間耐久レースするような忙しさだった。店のバックヤードにはひっきりなしにトラック便が到着し、待ち構えていた客が押し寄せて、陳列する前から飛ぶように売れていった。しかたないので、急遽、SNSで日雇いバイトを追加募集し、そのままOJTを兼ねて店頭に立ってもらった。 追加のレジは23台。長蛇の列は店から最寄り駅まで四往復しとうとうこの小さな町の境界線を一周したほどだ。 あまりの人数に警察署から閉店するよう指導が入った。それでは何のために今日この日だけ特別体制を敷いたのかわからない。 そこで、知り合いのITベンチャーに泣きついて専用オンラインショップを開設してもらった。それもたちまちアクセス集中し、サーバー8台を投入してまだ404エラーが出る始末。 どうしてこうなった。 えっ、私はただ父親の店を継いで一生懸命にまじめに接客しただけだ。 そうそう、自己紹介がまだだった。私は地域密着型のスーパー「7月8日堂」の店長だ。 読んで名の通り、ナナガツハチニチドーである。ヨウカドーではない。商標権のトラブルを避けるために独断で先代から続く屋号を「少しだけ」いじった。 それにして、なぜ7月8日なのか。 あっ、ちょっとダジャレが入ってしまった。これもよく客や取引先からいじられる定番のツッコミどころだ。 七月八日の七日。クスッとでも笑いが漏れたらつかみは上々だ。リラックス効果でとんとん拍子に商談がすすむ。 私は父に感謝しなければいけない。いや、父を産んだ祖母と祖父の出会い奇跡に頭が上がらない。 七月八日は、何を隠そう父の誕生日なのだ。 「えっ、ただそれだけ?」という疑問が当然のようにわく。 ここからが本題だ。ふつう、常識で考えて自分のバースデーを屋号にしようなどとはおもわない。せいぜい創業者のフルネームか、家族の名前にあやかる。 父も最初は「ファミリースーパーえちご屋」で書類を届け出た。 当時は田んぼしかなかった過疎地のど真ん中に出店した理由は本人の壮大な勘違いだった。大型小売店舗法改正によるドーナツ化とバブル景気に乗って幹線道路から程遠いこんな土地を買った。いくら金が日本中に余っているからと言っても、無謀すぎる。母や親類は大反対したらしい。 ところが、父は強気の姿勢を崩さなかった。いずれ沿線に店があふれ、大渋滞が起きる。すると、駐車場の問題やショッピングモールに入りきれない客が流れてくる。 そう、睨んだのだ。 まず、親父は徹底的に店の居住性を高めた。単なるショッピングだけでない。今でいうフードコートはもちろん、フィットネスジムや銀行ATM、薬局、あげくは占い師まで招聘した。朝から晩まで店に客が滞留するように工夫をこらした。 そして、まだ珍しかったホームシアターシステムを導入し、これまた親父のバイタリティーでマイナー系の配給会社に掛け合ってC級D級の未放映作を上映するという暴挙に出た。 しかし、客は一人も来ない。当たり前だ。立地条件という概念がまるっきり本人の頭から抜け落ちている。 開店休業が半月ちかく続いたころ、さすがの父も危機感をおぼえたらしく、例の占い師に相談した。 すると、彼女はこうのたもうた。 「改名しなさい。ズバリ言います! お店の名前が悪いのです」 やっぱりか、とうなだれる父に占い師は優しく告げた。 「悪霊や怨念のたぐいに取りつかれていないから心配はいりませんよ。ただただチョイスがわるいのです。言霊という物の力をもっと信用しなさい」 「ね、ネーミングセンスが悪いと?」 父は三日ほど落ち込んだが、あまり店を放置するわけにもいなかいので再び占い師に高額の金を積んだ。 その結果、やっとファイナルアンサーを得ることができた。 誕生日をそのまま看板に掲げたのだ。その日が間近に迫っているというタイミングにも恵まれた。 父は自分の生誕祭を「本気」で執り行うつもりだったらしい。 何を考えているんだ。 まぁ、私の住んでいるこの町には七夕伝説の亜流が存在していて、しょぼい神事を行っている。もっとも、町民の誰もそんな祭に参加したことも見たこともないが。 とまれ、父はありがたいお告げに従って店をリニューアルオープンした。 これが祭りの当日だったら、シナジー効果に毛が生えた程度のご利益もあっただろう。 「七月八日は実にめでたい! 織姫様と彦星が出会い、ラッキーセブン、その翌日の八日は末広がり。二人を永遠に祝福する。このビッグウェーブに乗らなくっちゃ!!」 その時の呼び込みカセットテープがまだラジカセに入っている。父の地声だ。音もちゃんと再生できる。その頃の日本経済は世界最強だった。家電の頑丈さが物語っている。 て、いうか、父、物持ち良すぎだろ。 それでも客は一人も来なかった。 冷夏に台風、地震、ボヤ騒ぎ、と信じられないほど不幸が見舞った。 そして、食中毒がとどめを刺した。幹線道路まで出張販売していた「特製豚牛鶏異種格闘技スタミナ弁当たまごぶっかけ」に大当たりが出たのだ。 保健所から業務停止命令を食らい、ナナガツハチニチドーの命運は潰えた。 …かに、思えた。 そして、店からほど近い畑に旅客機が不時着したのだ。パイロットの腕と運に恵まれて死者は出なかった。 ここから、父の大逆転ロードが始まる。医薬品や緊急物資など在庫を惜しげなく提供したことで、連日ニュースに取り上げられた。 空撮映像にはでかでかと店が映りこんでいる。 ナナガツハチニチドーには呪いがかかっている。 当時、普及し始めたばかりのパソコン通信の掲示板にこういうスレッドが立った。 ならば、と父は開き直った。 「呪われているというなら、辛気臭い品ぞろえで固めりゃいいんじゃね?」 そういう次第でちらほらと物好きが店に足を運び始め、徐々に客足が増えていった。 店はダークグレーとブラックな色調で塗り替えられた。 入り口には仏花や仏具のワゴンが置かれ、特売の仏壇が山積みされた。店頭に遺影専門のフォトスタジオが増設され、生前葬を目論む物好きが専属のスタイリストにコーディネートしてもらっている。死装束専門のブティックもオープンした。 さらにユダヤ教から地球離脱教まで古今東西ありとあらゆる宗派をカバーしモスクまで併設した。 葬儀だけではない。交通事故車を扱うディーラー、修理工場、保険コンサルタント、成田不動の分社から黒魔術の魔除けまでずらり「不幸の百貨店」と言われるほどに取りそろえた。 これが、バブル崩壊後の暗い世相にベストマッチ。 「なんかあったら、とりまナナガツハチニチドー!」とまで言われるほど成長した。 という、次第で7月8日は創業感謝祭なのである。 おっと、誰かが来たようだ。 えっ、お父さん。貴方、まだお盆は…
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