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+++  俺はあくびを噛み殺し、勝手口から店をでる。朝の爽やかな、湿った空気を吸い込む。梅はほとんど終わってしまったが、遅咲きがこの周辺にも数本ある。  対面の通り、少し坂を上がって水車小屋の向こう。4棟あるうちの、一番奥の家まで歩いた。  滑りの悪いガラス戸を開ける。  目の前には、上り框から続く和室が一部屋。襖は開け放たれ、続き部屋が見えていた。 「瀬川」  大きな声で呼ぶと、すぐに階段を降りてくる足音がした。瀬川は、つっかけを履いて降りてきて、そのままの勢いで俺に抱きついた。 「おい……」 「窓に昨日の夜、小さいトカゲがいて」 「ヤモリ?」 「やも……、トカゲだよ。こっちに落ちてくる気がして、結局ふとんで眠れなかったんだ。となりの部屋の畳で……」 「トカゲっていうけど……、手のひらぐらいの小さいやつだろ? かわいい顔の」 「かわいい?」 「俺、好きなんだ」 「好き……なの?」 「ヤモリって、漢字だと家を守るって書くんだよ。小さい虫を喰ってくれるから」 「……遠くで眺めるだけならいいけど、この距離感は無理だよ……」  深い溜め息を吐いた瀬川は、俺の肩に額をつけた。首にあたる髪の毛が、くすぐったい。サラサラしている。  瀬川は、美佐央の会社を諦めた。  大学は無事に卒業できた。東京へ戻ったあとは、だいぶ調子が回復したらしい。旅行が気分転換になったのかもしれない。  俺はほとんど毎日、瀬川と電話をしていた。そんなに長話でもなくて、5分くらい。俺にとっては、文章でのやりとりをするよりは、よっぽど気軽で負担もなかった。  俺の集落は景観を維持するための助成金も出ており、町並みを守っていたけど、不便には変わりないのでポツポツ空き家がある。  市と提携している事業者がそういう場所をいくつか買い上げて、移住者向け物件や、月極、半年などの長期滞在物件として管理していた。  瀬川はそれを知って、卒業した春から3ヶ月、住んでみることにしたという。最初聞いたときは驚いたけれど、生まれてからずっと都市部に住んでいる瀬川にとってはいい経験だろうと、俺も賛成した。  瀬川は、あっという間に人々に馴染んでしまった。  毎日のように人が来ては食事を差し入れし、足りていない掃除も手伝ってくれ、教えてくれる。もともと好奇心旺盛な瀬川は、人々との交流を楽しいと言ってた。  ハイキングにもいい季節だから観光客も多く、バイトでなら手伝い先はいくらでもあった。  親には反対されたらしいが、この土地が歴史的な場所だから、仕事に生かせる経験だと説き伏せたらしい。  ただ、自然環境は別だった。  あの交流会のホテルでも、肩になにかの虫がついて半泣きになっていた瀬川。俺は腹を抱えて笑ってしまったけど、ちょっと……これは問題だった。  避けては通れない。  たとえここが新築のリゾートホテルだったとしても、こう樹木が生い茂る山中じゃ、虫と縁を切ることはできない。  俺は瀬川の背に手を回す。なだめるように撫でた。 「……だから言っただろ、虫いるぞって。爬虫類も……」 「今日からここに泊まって。小竹くん」 「なん……」 「お願い。せめて俺が慣れるまででいいから。慣れるって言ったよね?」 「まあな。いつかは慣れるだろうけど」 「周りに俺たちのこと知られるのが、恥ずかしいかな……。ごめんね……。だけど切実な問題なんだよ」 「……瀬川がベラベラ喋りまわるせいで、もう知れ渡ってるから、今更だろ」 「じゃあ」 「ついでに……、予測じゃ来週からヒートになる。俺……。だから……」 「えっ……!」  瀬川が俺の身体を抱きしめ直した。少し苦しいほどきつく。 「嬉しい、待ってたよ」 「そーか……」  15から。ヒートは俺にとって憂鬱で、面倒なものだった。ここまで肯定的な言われ方を、はっきりとされたのは初めてで、瀬川のセリフが信じられなかった。  顔が熱くなった。恥ずかしかった。 「きっと記念になる。楽しみ」  瀬川は、俺の頬にキスをする。 「もう一度、指輪渡すからね」 「うん……」  セックスじゃない時に、瀬川からキスされると、どうしていいかわからなくて固まった。だけどすごく、気分がいい。適度にあたたかくて、爽やかなそよ風が吹いて、そこへ寝転がっているような気持ちになれた。ほんの時々……たまにだけど、スミくんといるときみたいに、何も考えず身を任せられるときもある。  「……ヤモリ、朝はいなかっただろ? 夜行性だからな」 「怖くて確認してない」  俺は笑ってしまう。  面白いからじゃない。怖がる瀬川は、俺を頼ってくれる。こういうのをきっかけにして、いつか、もっと深い部分まで俺を信用して、頼ってくれたらいい。 「……小竹くん」 「なんだよ」 「二度寝しようと思ってて、俺……。一緒にどう? もちろん朝ごはんも食べたし……出かける準備もしたけど」  パターンはわかってきた。これは、布団に入ってイチャイチャしたいという誘いだ。 「……する」 「する……? ありがとう。嬉しい!」  数日前、同じ状況でさんざん尻を揉まれたことを思い出す。瀬川とする性行為は、期待で胸がふくらむ。心がはずむ。いつも新鮮さに満ちていた。  瀬川が差し出してきた手を、すぐに握りかえす。出会った頃よりは、ずっと柔らかい指先だった。
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