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 結局俺は、千円札をポケットに入れて部屋を出た。  朝食後は売店に向かう。土産物屋というよりは少しコンビニっぽくて、日用品まで様々なものが売っていた。  瀬川が買ってくれた雑炊も見つける。  そういえば……、瀬川の好きな食べ物なんて知らない。記憶から引っ張り出して、たしか飲んでいたような気がする銘柄のジュースと、小袋のお菓子だけ買った。 「おい」  低い声に振り返ると、そこには魚谷が立っていた。相変わらず仏頂面だ。そして、俺の前に手を突き出す。そこには小銭入れがあった。 「あ……!」 「昨日、談話室に忘れていった」 「ありがとう。探しに行こうかと思ってたとこ」  俺は魚谷の手から財布を受けとる。 「財布のこと、瀬川に聞いたのか?」 「は?」 「俺が財布探してるって」  魚谷は、呆れたように俺を一瞥するが、何も言わない。 「……なんだよ。瀬川にメッセージとかで、財布のこと聞いたのかなって思っただけだ」 「俺はあんなやつとは交流しない。連絡先も知らない」 「じゃあなんで」 「財布の素材が皮だったから、あんたの匂いがついてた。俺は普通のやつより鼻が利くから……、それで分かる」 「へえ! そうなんだ。……まあとにかく、ありがとう」 「美佐央が、ダーツに参加してくれなかったと、残念がってた」 「ああ、結構飲んじゃって……、気持ち悪くなってさ。挨拶もしないで悪かったな」 「ヒートの時に……、よくそんなに飲もうなんて思えるな」 「ヒートじゃない。予定じゃあと2ヶ月も先だ」  俺がそう言うと、魚谷は少し眉を顰めたが、それだけだった。俺に背を向ける。 「同室だからって……、瀬川に関わるのはやめておけ。ろくな男じゃない」 「え?」 「軽薄、しつこい、自分の気持ちを押し付ける。……違うか?」 「まぁ……それは、そうだと思う。だけど良いところもある」 「ない」  俺の言葉を奪うように、前のめりで魚谷は言った。その態度が気に障る。 「初対面じゃ、確かに最低なやつだって思った。でも、話してるとそこまで悪いやつじゃないとも、思ったから」 「最低なやつだ。クズで」  俺は苛立って、大げさに溜息をつく。 「魚谷……は、美佐央のことがあるから、嫉妬して余計にそんなふう思うんだろ」 「嫉妬じゃない。ただの純然たる事実を言ってる」 「そっち、昨日の様子だとすごく仲いいように見えた。なら俺と瀬川のことなんて、どうでもいいはずだ。放っとけよ」  俺は売店から離れようとする。魚谷は追ってこなかったが、ボソリと言った。 「忠告したからな」  思わず俺は振り返る。魚谷は最後にもう一度俺を睨みつけると、廊下の奥へと消えていった。  モヤモヤしたものを抱えたまま、俺は自室に戻った。魚谷は最初から敵意むき出しの顔をしていたからショックではなかったけど、疲れるやり取りだった。  瀬川はシャワーを浴びて着替え、髪も整えたようなのにまたベッドに寝転がっていた。俺は瀬川の机に飲み物とお菓子置きながら言う。 「瀬川は今日、なにか予定ある?」 「いや特には……。のんびりしようかなと思ってた」 「じゃあデートに行こう」 「……デートか」  そう繰り返して瀬川は笑った。愛想笑いと本当の笑みの違いを、俺はまだ判断できない。 「恋人だろ」 「うん」  瀬川はのろのろと身体を起こす。 「断っとくけど、急にトレッキングコースとか無理だからね。それにこの気温だし」 「……そのへん散歩するだけだよ。まだ涼しいだろ」 「そうだ、談話室には寄った? 財布……」 「財布ならフロントに届けられてたよ」 「そう、良かった」  魚谷のことを話題にしたくない。俺はとっさに嘘をついてしまった。  俺は瀬川を連れ立って、ホテルから湖への散歩コースに向かう。我ながら慣れないことをやっているなと思いながら……。自分より年上の人間を、リードしたくなるとか、世話をやきたくなるとかって、ほとんどない。たぶん、はじめてかもしれない。  瀬川の足取りは重い。部屋に置いてきたほうがよかったのかな、と思い始めた頃、瀬川が口を開いた。 「小竹くんが片思いしてた人の話だけど……。」 「ああ、うん」 「告白はしなかったの?」 「うん。俺が……、気持ちを自覚したときには、スミくんには恋人がいた」 「そうか……」 「でも、その人とは去年別れてた。俺もいよいよ……ついに告白だけでもしようかなって迷ってたら、ここを薦められた。だから言うタイミングなんてなかったよ。そもそも俺、身内……弟みたいに思われてた。……もう年に何回かしか会えないのに、気まずいのも嫌だから」 「なるほど」 「特に、βとΩの恋なんて……、上手くいかないっていうしさ」 「そんなのもう迷信だよ。それに、αとαよりはうまくいく」  瀬川がやけに明るい声でいうから、その自虐に、俺は少し笑ってしまった。 「すごいよな瀬川は。美佐央になんども告白してるんだろ」  瀬川はまた、静かに笑った。 「いいんだか悪いんだか。美佐央ちゃんは、俺のわがままに付き合ってくれたんだよ。だって、取り合わないで無視することだって出来たから。それでも俺の相手をしてくれた。それこそ、同情ってやつかもしれないね。だから感謝してる」  まだそんなふうに捉えているんだと呆れながら……、でも何もいわなかった。  魚谷の言ったことを否定はできないけれど、瀬川に良い部分があるのだって否定はできないはずだ。完璧な人間なんていないと俺は思ってる。  ”軽薄”なのは気安さだし、魚谷みたいに仏頂面でいるより良い。  ”しつこい”は情熱的で意志が強いってことだ。  自分の気持ちを押し付ける……は、あまり良くないけど、瀬川と美佐央が幼馴染だっていうなら、俺たちには分からない……ふたりの間の何かがあるはずだ。だって本当に美佐央が瀬川のことを嫌いなら、スポーツ感覚だとしてもセックスなんて……。 「……美佐央と同室の魚谷ってやつ……。二人、うまくいってるみたいだよな。昨日の様子、見てると」 「うん……」 「魚谷とは知り合いなのか?」 「いや、ここではじめて会った」 「そっか……」
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