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15
俺は瀬川の下から足を引き抜き、ベッドから降りた。
自分の机にまわりこんで、充電中のスマホをコードから引き抜く。電話帳を開いた。スミくんとは初日にメッセージのやり取りがあって以来だ。
俺がコールボタンをタップしようとしたその時、瀬川が横から手を出して、俺のスマホを奪い取った。
「なんだよ」
「小竹くんこそ、どうしたの急に」
「さっきのこと、電話で確かめる」
スマホを取り返そうとすると、瀬川は身体のむこうに隠してしまった。
「おい」
瀬川は俺の目をじっと見て、溜息。
「待って。あのね……全部俺の想像だから。科学雑誌の発表は本当だよ。ネットでも辿れる要約記事があるから、探してみると良い」
「俺、思い当たることが多すぎるんだ。ヒートが出始めて、……そのころからスミくん、少し変わったんだ。たぶん、俺にしかわからないような変化かもしれないけど……」
「変わったって、どういうふうに?」
「その……スキンシップが少なくなって。だけど俺、それが寂しくて余計スミくんにべったりするようになって……」
「小竹くん。とにかく、一晩考えよう」
「一晩って、なんでだよ」
「冷静になるんだ。ここを勧めてくれたのはスミくんだろ」
「うん。だから確かめる」
瀬川の後ろに回り込んで、強引にスマホを取り返した。邪魔されないように部屋を出ようとドアに向かうと、後ろから腕を掴まれる。
「待って。いま確かめてどうするの。ごめん、俺が変なこと言うから……」
「逆に、瀬川は何をびびってんだよ。確かめてすっきりしたほうがいい」
「そうだけど……」
まだ不安げな顔をする瀬川に、俺は思った。そうだ、こいつは昨日、美佐央と魚谷の仲の良さを見せつけられたばかりで……傷ついてる。瀬川の発言がきっかけで、俺まで情緒不安定になったら困るか。その責任を感じるのも嫌なんだろう。そうだな……。
俺は瀬川に向き直った。
「そういえば、俺、いまは瀬川の恋人だった」
「そう!そうだよね……!!」
「お前の言う通り、一晩待ってみるよ。また明日考えてみる」
「ありがとう!小竹くん!」
笑顔になった瀬川は、俺を正面から強く抱きしめた。やっぱりノリが合わないんだよな……と思いながら、黙っていた。
深夜、俺は目を覚ました。
時計を観るとまだ2時過ぎだ。熟睡はできなかったんだろう。
3時間は寝ているし、日付も変わった。陽はもちろん明けてるわけないけど……。
俺はゆっくり身体を起こした。
机の上のスマホを充電コードから外す。コップに残っていた水を飲み干した。
音を立てないように気をつけて、掃出し窓の前に立つ。
俺はそっと網戸をあけて外に出た。
窓を閉める。
鬱蒼と緑の匂いが立ち込めている。ベランダに置かれている椅子には座らず、立ったまま、俺はコールし続けた。
昼間、そのうち電話するかも、とだけメッセージを送っておいた。だからこんな深夜でもきっと応じてくれる気がした。かけ直して3回め。
「……ゆいち?」
寝起きのかすれた声だった。
「うん」
「どうした? ……2時だ」
衣擦れの音がして、スミくんが頭を置きなおす様子を想像した。
「起こしてごめん」
「いいよ。元気でやってるか?」
「……うん元気だよ」
「同室の人は?」
「ちょっと変なんだけど、いいやつだよ。色白で……運動不足。押したら倒れそう」
「なんだそれ」
柔らかく笑った声。
「うん……。でも気が合わないよ」
「自分と違うタイプなら、意外と学ぶこともたくさんある。嫌いではないんだよな?」
「うん」
「なら良かった」
「うん。そのうち慣れるかな」
俺が怖気づいて確信を言いあぐねていると、スミくんは言う。
「それで? なにかあったんだろ。俺を起こしてまで言いたいこと」
「ああ、うん……」
俺は意味もなく椅子に座ったり、立って手すりへ寄りかかったりした。
「話したいことっていうのは、実は……。スミくんはなんで俺にここ、勧めてくれたのかなって……」
「退屈か?」
「ううん、メシも美味いし、広いし、いろいろ体験もあるし楽しいよ。湖もきれいで……」
「なら」
「スミくんは、俺がスミくんのこと好きだって知ってた?」
返事がなかった。俺は重ねた。
「好きっていうのは、片想いの意味で……。恋人に、なりたいっていう意味で」
「知ってたよ」
スミくんの声は落ち着いていた。
「そ……、そうなんだ。へえ」
俺はなんでだか顔が笑ってしまった。それを自覚すると、同時に瀬川の痛々しい笑顔が思い出された。きっといま俺は、あんな感じの顔をしている。
「いつから知ってたの?」
「おまえが、高校の頃」
「そっか……。聴いてみたかっただけ。……じゃ、夜中にごめんね。また」
「ゆいち、たぶんこれが一番いい方法で」
「知ってたなら、俺に言ってよ」
「言ったところで、どうにもできないんだから」
「だから急に彼女作ったの? 俺と変なことになったら困るから?」
「そうじゃない」
「でも言ってよ!! 俺、ばかみたい!」
「俺はお前とどうこうなんて」
「ばかみたいだよ! 俺がどんな気持ちだったかわかる?! 俺はΩの友達なんていらないよ!! 番だって……!! そんなの……別に俺は……」
「ゆいち」
「スミくんがいればよかったよ」
「俺は」
「放っといてほしかった!!」
俺は通話を切った。
スマホを、すぐさま暗闇に向かってぶん投げた。虫の声に紛れ、落ちた音も聞こえない。悪くすると、噴水に入ったかもしれない。
俺は何度か深呼吸をして、しばらくベランダをうろうろして……、また深呼吸。室内へもどった。すごく暑い。窓をしっかりしめて、エアコンをつけ、強めに設定した。
壁際のミニ冷蔵庫から、ペットボトルを取り出し、キャップをあけ炭酸水を口に含む。飲む。どんどん飲む。
瀬川を起こそうとわざと音を立てたが、反応はなかった。
仕方なく、ベッドに勢いよく腰掛けた。それでも起きなかった。
「瀬川」
俺はついに瀬川の肩を揺すった。
「ん……、なに? どうしたの?」
「瀬川、セックスしたい」
「セックス?」
「恋人だろ」
「脅しみたい……」
瀬川はそう呟いて動かなかったが、俺がじっと待っていると、手を握ってきた。
「いいよ。もともと性欲解消には協力するって話だったし。……ちゃんと瀬川って呼んでね」
「うん」
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