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 瀬川がフロントからもらってきた抑制剤は、幸い、俺が使っているのと同じものだ。ゼリー状のそれを飲み干して、少し気が楽になる。午後には効果が出るだろう。 「ありがとう」 「うん……。他にほしいものある? さっき売店の前で電話したんだけど、反応なかったから」 「え? ああ……」 「なんなら、もう一度行くよ」 「瀬川、実はスマホ……、なくした」 「そうなの? え、どこで」 「昨日……の、夜。俺がそこのベランダから投げた。噴水のほうに」  瀬川の表情は変わらない。ただ俺を見下ろしていた。 「夜中、起きちゃって……。スミくんに電話したんだ」 「……そうなんだ」 「瀬川の予想、当たってた。俺が高校のときから、気持ち知ってたって」 「そう……そっか。じゃあ……。とりあえず噴水の周りを探してみるよ。水に落ちてないと良いんだけど……」 「頼む」 「一人にして大丈夫かな。ヒート以外の不調は」 「無いよ。……俺、匂いする?」 「するのかもしれないけど……、昨日近くに居すぎて慣れたのか、そこまで強く感じない」 「うん、なら良い」  午後になると体調はほぼ元通りになったが、別段、なにかしようという気持ちにはならない。  まだ少しだるい、と瀬川に嘘をついて、ベッドでごろごろしていた。  まるで昨日の瀬川だな。  スミくんに告白しなかったことについて……。自分が臆病だなと思っていたけど、何もかもが過ぎ去ってみると、別の考え方もできた。  確かめない限りは、スミくんと俺が恋人になる可能性は残ってた。  いろいろな……自分に都合のいい想像ができた。  一連のことをずっとはっきりさせたかった気はする。うじうじ悩んでるのは、俺の性には合わない。だけどスミくんとのあいだのことだけは、いつも俺にとって特別で……。  昼頃になって、部屋に戻ってきた瀬川は二人分のサンドイッチと野菜ジュース、それから、スマホを手にしていた。噴水の池に水没していたそうで、もう電源は入らない。礼を言った。  駅にもどり、新幹線の駅まで乗り継げば、駅ビルに携帯ショップがあったはずだ。うまく行けば半日もあれば帰ってこれる。時間はありあまってるし、行ったって良いけど……、気のりしない。もうしばらくスマホがない生活でもいいか、と思った。予約関係は瀬川を頼ろう。  セックスはちぐはぐでも、瀬川は俺に優しかった。媚薬を使ったあと寝込んでいたときと同じように、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。  瀬川に同情してるなんて言ったけど、きっと瀬川だって、俺に同情しているんだと思う。  夜7時。夕食を食べ終え、眠くなる前に風呂へ入ろうかとぼんやりしていると、部屋の内線が鳴った。  ここに泊まってから一度も使用したことがなく存在を忘れていたため、その電子音に驚いてしまった。ミニ冷蔵庫上、作り付けの棚に置いてある。近かった瀬川がその受話器を取った。なん往復かのやりとりのあと、瀬川は受話器を遠ざけ、急に俺を見た。 「小竹くん、奥平さんが来てるって。わかる? 君の親戚らしいけど……」  俺は飛び起きる。 +++  はやる気持ちを抑えながら部屋を出て、転がるように1階へと降り、その人が待っているというラウンジに向かった。チェックイン、アウトの待ち合いに使う場所で、くつろげるようなソファセットや椅子が並んでる。  ホテルは貸し切りのため、この時間の利用者は少ない。  窓際の席に腰掛けた大きな体躯が、目に飛び込んできた。  落ち着かない様子で辺りを見回していた彼は、すぐに俺に気づいた。  立ち上がる。  黒のTシャツにジーンズ、リュック姿。 「ゆいち」  ここへ来る数日前、一緒に御飯を食べた。だからまだ二週間もたっていないはずなのに、ずいぶん長い間、会っていなかったような気がした。 「スミくん! どうして」 「驚かせたな」  歩き出した彼を迎えるように、俺も早足になった。  スミくんは俺の手を包むように握った。俺は心臓が飛び出るほど驚いたが堪え、動揺を隠す。 「何度電話してもつながらないし、だから朝、このホテルに電話した」 「あっ……。ごめん、俺スマホ、水に落としてそれで」 「そうだったのか」 「こんな山奥だからすぐ買いに行けないし、どうしよっかなって」  スミくんは俺の手を引いて、自分が座っていたすぐ横の椅子に座らせた。俺は気が気じゃなかった。自分の顔が赤くなっているような気がして、スミくんと目を合わせられない。  だって、まだ手をつないでる……。  スミくんは本来、こういうことをする人じゃない。  フロントから俺たちは見えるし、周囲にも二組ほど客がいる。  なんとか平静を取り繕いながら、俺は言った。 「昨日は言い過ぎたよ。しかも夜中に起こしちゃって………本当にごめん、あそこまで言うつもりなかったんだ。実は少し酔ってた。俺の同室の……瀬川、っていうんだけど、自分ちの店で扱ってる酒、持ってきてて飲んだりして……。瀬川、大学4年なんだけど、ちょっと子供っぽくて……。昨日も言ったっけ? すごい色白で、細くて……、腕とか、たぶんスミくんの半分の太さだよ」 「初日の騒ぎのこと、なんで言わなかったんだ」 「え……」  目を合わせたスミくんは、真剣な顔だった。 「……フロントから、責任者につないでもらった。保護者だって勘違いされて、平謝りされた」 「もちろん俺んちには連絡いってるから……。改めて電話が来て、クレームだと思われたんだよ、きっと」 「俺にはなんで言わなかったんだ」 「なんでって……」 「回りくどい言い方してたけど要は、ゆいちを巡って、数人がケンカになったってことだろ? それで、退去処分もでたって」 「俺はきっかけに過ぎなくて……。もともと、やつらは険悪な仲だったらしいよ……。ケンカのだしに使われたってだけで」 「どうして俺に言わなかったんだ」 「それは……、心配かけると思ったから」  スミくんは、俺の目をじっと見つめる。手は握ったまま。 「ごめん、説明が大変そうで……」 「一緒に帰ろう。……悪かった」 「え……」  項垂れたスミくんと、その言葉。  俺は慌てて付け加える。 「あ……、大丈夫だよ。友だちもできて、楽しくなってきたとこなんだ。昨日のはただの八つ当たりで」 「帰ろう」 「いま帰っても返金はないし、ならここにいるよ。部屋、すごい快適で寝心地もいいんだ」 「叔父さんには、俺からちゃんと説明しておく。義理なんて気にしないでいい。責任は俺にある」 「大丈夫だって。スマホも明日買いに行くよ。そんなに心配なら、ちゃんと毎日電話するから」  そう言って笑った途端だった。肩を思いきり掴まれたと思った。次の瞬間、スミくんの腕の中にいた。  バクバクと、気持ち悪いほど心臓が鳴る。  呼吸が……。  頬に触れた胸板の、Tシャツ生地は汗ばんでいた。Tシャツ越しに、くっきりと筋肉の形が分かる。  身体を遠ざけようと身じろぐと、余計にきつく抱きしめられた。
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