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「す……、スミくん」 「悪かった」 「俺、いま……ヒートで……。離してほしい……」  かすれた声で言うと、スミくんは俺を開放した。だけど、手ひらは肩に触れたまま。撫でてくれればいいのに……という妄想を、俺はなんとか振り払った。 「ヒート? ……2ヶ月も先だろ」 「うん、そうだったけど……。いろいろあって、今朝から」 「抑制剤は?」 「飲んでる」 「……わかった、とにかく部屋まで送る」 「うん、でも……。触らないで」  肩に置かれた手が、ようやく離れた。ほっとしたのもつかの間、胸がじんじんと痛みだす。触ってもらえて嬉しいのに、なんでこんなこと言わないとならないんだろう。 「嫌いになったんじゃないよ、スミくん」 「ああ、わかってる」  そう言いながら、スミくんは立ち上がる。それに続いた。 「305、だったよな」 「うん……」 「階段のほうがいいか?」 「うん」  俺は唐突に、昨夜スミくんにぶつけたひどい言葉の数々を思い出して、自責の念にかられた。  あんなこと、言う必要なかった。夜中起こしてまで。本当に子供だ、俺は……。  平日だし、仕事を早退して新幹線に乗ったんだろうか。 「スミくん、ごめんね……」 「何が」 「困らせて」 「困ってない」  泣くつもりなんて無いのに、次から次へと涙が溢れた。ごまかすのは無理だった。 「俺っ……、もうスミくんに甘えるの、やめるから……」 「……それはゆいちの自由だけど……、無理はするなよ。何歳になったって、俺には甘えていい」  スミくんがそんなことを言うから、余計に俺の目頭は熱くなる。ようやく階段にさしかかった。 「……ヒートが早まったのは、どうしてなんだ?」 「うん……、媚薬……」 「媚薬……?」  懐かしい顔を見て、完全に気が抜けていた。俺はとっさに別のセリフを重ねる。 「ち、違う。αとセックスしたからかも。相性のいい相手だと、早まるって聴いたことある」  それっぽいでたらめを言う。  凍りついたようなスミくんの顔を見て、言ってはいけないことだったかと焦った。いや、だけど……。俺とスミくんは付き合ってないし、俺はフラれてるわけだし……なによりここへ送り出したのは、スミくんなんだから、悪いことしてるわけじゃ……。 「セックスしたって言っても、まだ割り切った関係で……。実験的にっていうか……番とかも関係なくて」 「……そうか。その相手と、これから付き合うんだよな?」 「彼は失恋したばっかりなんだ。だから、急には気持ちを切り替えられないから、様子見してる」 「そんな状態で、ゆいちに手を出したのか」 「手を出したとかじゃなく、友達としてだよ。俺は恋人役をやってて……だからセックスも」 「恋人役?」 「うん。瀬川が落ち込んでるから……なにかできないと思って」 「……その人のことが好きなのか。気が合わないって言ってただろ」 「そうなんだけど……、味方してやりたいんだ」  スミくんは2階手前の踊り場で、立ち止まってしまった。険しい顔をして、俺に向き直った。 「友達の力になりたいっていうのは、わかる。だけど身体の関係を持つのは、やりすぎた。そんなことしなくたって、励ます方法はいくらでもある」 「……あ……、あいつはαだから、性的なことって効果が出やすいし。俺たち、相性がいいってことで同室になってるし……」 「……だからって、ゆいちが、そこまでしなくてもいいだろう」 「うん……。もちろん、瀬川が立ち直ったらこんなことしないよ」 「そのときはちゃんと付き合うんだよな、彼と」  俺は口ごもった。 「友達としては、今後も付き合うと思う……」  スミくんは俺をしばらく眺め、また階段を登りだした。動作の鈍い俺を気遣うように、なんども歩調を緩めるのがわかった。涙は収まってきたが、スミくんがそばにいるせいか、そもそもヒートのせいなのか、動揺が続く。何か少しでも感情を揺さぶられたらまた泣いてしまいそうだった。  スミくんの前ならともかく……、瀬川に今の自分を見せるのは、ものすごく抵抗がある。先日、怒って泣いた時とはわけが違う。  スミくんは言う。 「フロントの人に、予備の部屋があるって聞いた。関係者なら一泊できるみたいだから、そうする」 「えっ、仕事は?」 「明日は有給取ってきた」 「そうなんだ……」  そこまでさせてしまったことに、多少の居心地の悪さと、強い気持ちを感じた。  3階についたころには、なんとなくスミくんが……静かに怒っているのだと感じ取れていた。ずいぶん迷ったが、俺は305の前を素通りする。 「ゆいち? 305だろ」  スミくんは不思議そうに、通り過ぎたドアを見やった。 「うん……。でもこんな顔で、同室のやつに会いたくないんだ。スミくんがここに泊まるなら、時間もあると思うし……先に、庭に行ってもいい?」 「庭?」 「うん、ここ庭がきれいなんだよ。いくつかあるんだけど……」
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