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ホテルに着いたのが午後3時過ぎ。
シャワーを浴びて着替え、荷物を整理して所定の位置におさめる。そんなに大きくはないが、ベッド脇に自分用の書棚とテーブルがある。日記ぐらい書けるだろう。そこに普段使うものをまとめた。
瀬川は多少罪悪感もあるのか、印象を挽回するためなのか、何かと話しかけてきたが、俺はわざと会話を発展させずにいた。もちろん一ヶ月間ずっと距離を置いているつもりはなかったけれど、不快だったことへのアピールは今日ぐらいさせてもらう。
ーーーー相性のいいαと出会ったなら。
否応なしに匂いを感じてヒートになるとか、稲妻に貫かれたみたいに動けなくなるとか、一生分かと思うほどの幸福を感じるとか、色々読んだ。
でも俺にはそんなことは一切起こらなかったし、よく知らない人間のセックスを目撃してしまったことは、ただただ不快だ。
妙な気持ちのまま、夕方には瀬川と部屋をでる。1階の宴会所で行われる、親睦会に向かうためだ。
夕食は、この交流会の責任者からの挨拶、ホテルの総支配人、そして同世代の中でも年長で監督者、いわばまとめ役からの挨拶が続いた。
俺はもうなにもかもどうでも良くなってしまって、上の空だった。天井のシャンデリアはいくらするのかな、と考えていた。きれいだけど、じっと見ていると目がチカチカする。
挨拶が終わると、立食パーティーが始まった。
美味しそうなものがたくさんあって、俺はがっついて食べて回った。いくら腹が出ようが、田舎者と思われようがどうでもいい。
瀬川は、燕がヒナにやるみたいに俺にいろいろ持ってきてくれて、それは助かった。そのついでに、食べ物についてなにかウンチクを垂れはじめた。中には面白いものもあったけど、着いた早々我慢もできずにセックスしてた男だと思うと、あまり感銘もうけない。
……玉のこしに乗れるだろうと考えていた俺は甘かった。
金のためとは言え、そしていくら相性がいいのだと検査で割り出されたとしても、数値で図りきれないものは絶対にある。
やっぱり……、強くなくちゃだめだ。
熊みたいな男がいい。髭を生やして体毛が濃くて、胸毛も陰部まで繋がってて、Tシャツがパツパツになるくらいに筋肉がある。俺はそういう相手が好みだ。
……好みだった。そして人格者で、優しくて、身も心も捧げたいくらいに憧れの人がいたけど……。俺には望みはないとわかった。
だからあまり気が進まなかったけど、ここへ来てみようと思った。何かの転機になるならいいと。
調べたところによると、瀬川は江戸時代からつづく蔵元の家系。海外での日本酒ブームをいち早く察知した先代が強力な販売路線を確保して、いまでは日本酒専門バーみたいのを、海外で経営しているらしかった。
経営は右肩上がり。
瀬川はいわゆる……美男子だ。目は奥二重の切れ長で、細面。スッと鼻筋が通っている。色白。展示会で手伝いにと着物を着て試飲を配れば、あっというまに持ち込んだケースが空になるらしい。一部には彼の熱狂的ファンもいて、店に出れば写真や握手まで求められるのだという。ネットの記事で読んだ。
30分ほどすると、瀬川は知り合いと盛り上がってどこかに行ってしまった。幼稚舎から一緒だった〇〇君なんて言葉が出るあたり、別世界だなと思って俺は聞いていた。彼らが幼稚舎に行っている間、俺は野山を駆け回って、芋掘からの焼き芋を1年で最もの楽しみとし、枝にぶら下がっているものが食えるか食えないか、そればかり考えていた。そもそも幼稚園には通っていない。通える範囲にはなかった。
友達か。友達を作るのもいいだろう。
人付き合いは苦手じゃないけど、得意っていうわけでもない。
酔い始めた人々がうるさく感じて、俺は皿を持ってプールサイドへ出た。プールは長方形で結構大きい。水が入るのは明日からなのでまるで人が居ない。
庭にポツリ、ポツリと置いてある間接照明が綺麗だった。俺はベンチに腰掛けローストビーフサンドを頬張った。
「こんにちは」
そう言われて目を向けると、ベンチの横に人が立っていた。昼間、305から出てきた、……ようは瀬川とセックスしていた人だ。
Tシャツではなく、やわらかそうな素材の襟元が大きく開いたシャツを着ていた。下は同じジーンズ。サンダル。よくみれば足の爪が黄色に塗られ、さらにはラメが混ざっているのか、キラキラと輝いていた。
「こんばんは、だね。座っていい?」
「どうぞ」
俺は長いベンチの中央に腰掛けていたので、端に寄って空間をあけた。
彼は細長いグラスにサイダーっぽい飲み物を入れ、ストローで飲んでいる。
「今日は驚かせたよね」
「いや……、まあ」
「ごめんね。軽率だったって反省してる。瀬川から何か聞いた?」
「……友達だって」
「友達か。そうだよ、友達。それ以外は?」
「それ以外は特に。気まずいところ見られたなってぐらいで」
「そっか」
そう呟いて彼は笑う。そして俺に向き直った。
「お願いがあるんだけど……、今日見たこと、誰にも言わないで欲しいな。ちょっと……いろいろ、都合が悪くて」
「いいよ。もともと言うつもりもなかったし」
「本当? ありがとう。よかった」
俺は考えた。この人だって同室の相手がいる。たぶん、そこに知られるとまずいってことなんだろう。都合が悪いならやるなって言いたかったけど、もう過ぎてしまったことだし、何より瀬川と違って“反省してる”って態度だったから了承することにした。
「小竹くん……で合ってる?」
「うん」
「うち、兄がいてね。ここのことは色々教えてもらってるんだ。初日からこんな不快な思いをさせてしまったし……、代わりじゃないけど……もし困ったことがあったら、なんでも相談してね。僕で良ければ力になるから」
「あ……、うん。ありがとう」
「いいえ、こっちこそ助かるよ」
彼はサイダーを飲みながらニコニコしていたが、飲み干すと立ち上がった。そして俺に訊く。
「こんなところにいるけど……、パーティー、あんまり好きじゃないの?」
「嫌いじゃないよ。今日は移動で疲れたってだけ。早く寝たい」
彼は納得したようで、またね、と行ってガラス戸を押し、宴会場へ戻っていた。
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