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20
俺は寝返りをうち仰向けになった。瀬川は、ベッド脇に立っている。
「俺、気が動転してて……。セックスしたけど付き合ってないって、言っちゃったんだ……。そしたらその……微妙な感じで……」
「まあ……、そこだけ聞いたら、印象はよくないかもね」
「ごめん。だから、明日スミくんに何か言われるかもしれないけど」
「うん、大丈夫。……媚薬のことは?」
「言いそうになって、ごまかした。だからバレる可能性がなきにしもあらずで……。退去者がでたとか、みんなが知ってるようなことは、もう知ってた」
「そっか、わかった」
「……うん、よろしく頼む。明日どうしても乗り気になれなかったら、それでもいい。俺のことだし、そのときは自分でなんとかするから」
「小竹くん」
瀬川はベッドの下方に腰掛けながら言った。スプリングが沈む。
「もちろん、協力するよ。もとは俺がまいた種なんだ。気にしないでほしい」
「うん……ありがとう」
瀬川の笑顔、少しは慣れてきたかもしれない。
恋人ごっこって言いながら、俺に任せて受け身だった瀬川だから、きっとやる気を出せば違うんだろうとは思ってた。外面がいいのは分かっていた。
翌朝。
5時半に起床した俺だが、なんと瀬川も起きてきた。
朝が弱く、二度寝して朝食を食べそこねることも多い瀬川だったから、これには驚いた。
一緒に身支度をして、早めに部屋をでる。裏庭手前の廊下まで、送ってくれるんだという。意味がわからなくて、どうせなら一緒に散歩しようと誘ったが、二人の時間を邪魔したくないから、と。
別れぎわ俺の手を握ったかと思うと、額にそっとキスをして離れ、廊下の角を曲がっていった。
……付き合ったことないんじゃ、なかったのか?
俺は首を捻りながら、重いガラス戸を押し外へ出る。すると、茂み向こうのベンチにスミくんが座っていた。どうやら、俺たちを目撃したようだった。特に瀬川について言及はされなかった。
俺は、瀬川にしみじみ感心していた。
朝食は丸テーブルを3人で囲んで食べた。瀬川はまるで執事かなにかみたいに、俺の要望を事細かに聞き出しては動く。俺の食べ物の好みも知っている。
最初に世話してもらった時、俺の好みを色々と聞き出していて、あれをまだ覚えているのか……と、やっぱり感心した。やる気のないときは、本当にただのひょろっとした、頼りない……押したら倒れそうなやつだったけど。
次々と繰り出される歯の浮くようなセリフに、照れないようにするのが難しかった。
協力を頼んだ手前、笑っている場合じゃない。
瀬川がいくら頑張ったって、俺が白けていたら台無しだ。俺だって、本気で恋人役をしないと、演技を見破られる可能性がある。スミくんは俺をよく知っている。
午前中には湖を観に行った。そばのレストランで昼食をとり、その席でスミくんは言った。
「俺、ホテルにもどって少し休んだら、帰るよ」
「そうなんですか、あっというまに時間が過ぎてしまって、残念です」
俺が答えるより先に瀬川が言った。前のめりで。
「あんまり邪魔をしちゃ悪いしな」
「邪魔なんて」
笑顔のふたりを見て、俺は安堵する。瀬川は明らかに気に入られていた。
スミくんが昨日の説明との矛盾をどう処理したかはわからないが、おおかた、俺が照れるあまりにうまく伝えられなかったとでも、考えただろう。
俺はスミくんの前では素直でいられるけど、他ではそうでもないから……。
ホテルにたどり着くと、安心したせいか一気に眠気が襲ってきた。朝も早かったしな。
スミくんが荷物をまとめてくると言うので、俺たちも一度部屋に戻った。
俺は少しだけ、と思い、ベッドへ横になる。重力と緊張から開放された身体は、楽になった。
揺り起こされ、うっすら目を開けると、瀬川が俺を覗き込んでいる。その体の向こうには、すでにリュックを背負ったスミくんがいた。
タクシーを呼んであると言うので、俺たちも玄関まで見送りに出た。
「ゆいち。じゃあ、またな」
「うん、また……」
「お元気で」
スミくんは笑い、そして車は発信する。俺は軒下から出て、車を追いながら公道を下る。タクシー後部が、カーブミラーから完全に見えなくなると、一息ついて、玄関へと戻ってきた。自動ドアの前にたたずんでいる色白の瀬川は、夏が似合わない。セミが鳴いている。
「瀬川、助かった」
「うん……」
「やりすぎだよ、おまえ」
思い出して笑った。
「そうかな? やりすぎぐらいのほうがいいよ、アピールなら」
「ほんと、恩に着る……」
俺は、瀬川の薄っぺらい身体に抱きついた。なぜだか、急にそうしたくなった。瀬川は笑いながら言った。
「だからね、もともと俺の持ち込んだ薬が原因で……」
「失態の数々は、もうこれでチャラにしてやる。無罪放免」
「あ……ありがとう」
「ムカついてるの、少しだけ残ってたけど……、どうでもよくなった。今日からはほんとに友達な、瀬川」
「うん……」
「相性はわかんないけど……瀬川みたいなやつ……、俺は好きだよ。美佐央の事が
本当に吹っ切れたら……、俺が番になってやってもいい」
「なっ……、何を言ってるの、小竹くん」
少し思いきったことを言えば、狼狽えだした瀬川が面白かった。
「瀬川に好きって言われて。良い気分だった、……全部演技ってわけじゃないよな?」
「もちろん、そうだよ。体験から基づいた……」
「瀬川って、今日みたいに頑張ってるときは、格好いいんだな」
「まぁね」
「見直した。格好いいよ、瀬川」
「……そうかな」
「そうだよ。もっと自信持て、俺が保障するから」
さっき少し下って、登ってきた。そのせいで俺の身体は汗ばんでいたから、抱きつかれて瀬川は嫌かもしれないと気づき、身体を離す。瀬川の、おしゃれなTシャツの胸部がしわしわになってしまった。
もう少しなにか言いたかったけれど、瀬川から良い反応は見られなかったので、やめにした。ぎこちない……というか、久々に巣穴から出てきて、外の様子に驚いた動物みたいだった。
なぜだか俺は焦っていたけど、きっと美佐央から離れていけば……、このまま距離ができれば、瀬川はいい状態に戻るんだろうって、そう思えた。ここには美佐央がいるから、そこがまず問題だ。毎日顔を合わせる人間を、忘れるというのはすごく難しい。
夏が終わって、普段の生活に戻ってしばらくして、その時にどう思うかだ。
励ますのも、発破をかけるのもやめよう。口を出すのもやめよう。普通のルームメイトとして、友達として瀬川のそばにいよう。
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