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電話は繋がらなかった。  夕飯、俺が珍しくひとりだったせいか、カヌーで仲良くなったみんなが誘ってくれたが、本当はひとりでいたかった。スミくんのことを訊かれた。  食後もう一度フロントへ。  壁際に設置された棚へ向かい、受話器をとり、コインを入れ電話番号を押す。やっぱりつながらない。電話をかけることに疲れ始めた頃、俺の様子をずっと見ていたらしい係員の人が、少し割高だが、部屋の電話でも外部に掛けられるんだと、にこやかに教えてくれた。  部屋の設備マニュアルにも案内があるという。知らなかった……。  普段なら礼を言い感謝するだけなのに、俺は自分の無知が恥ずかしくなって、叱られたような気持ちで3階へ戻った。  瀬川が食堂にいなかったってことは、時間をずらしたか、もしくは俺と距離を置くため外で食べてくるんだろう。そんな気がする。外食が趣味みたいな話をしてた。  部屋の鍵は、かかってた。安堵して中へ入る。  設備マニュアル……。探すと冷蔵庫上の棚に置いてあった。やけに仰々しいレストランのメニューみたいなそれを捲り、該当の箇所を見つける。そして、固定電話と向き合った。  そうだよな、こんな普通の電話みたいな形なんだから、外にも電話できるよな……。  俺はマニュアルに習った手順で、スミくんの番号を押す。  つながらない。マナーモードにして、布類の間にでも沈んでいるのか……。  聞き飽きたコール音。  食堂でデザートのゼリーも、食べてくればよかったな……と考えぼんやりしていると、受話器の向こうで音がした。 「はい、奥平です」 「スミくん!」  背後には横断歩道のメロディが聞こえていた。 「ゆいち……。非通知で何度もかかってくるから、何かと思ったよ。スマホが壊れてるんだもんな。部屋からかけてるのか?」 「あ、うん」 「俺は駅についたところで、これから車に乗る」 「そうなんだ……」 「どうした?」 「うん、瀬川のことなんだけど……」  受話器の向こうで、小さな笑い声が聞こえた。  俺は言う。 「何……?」 「いや……。ゆいちの話の印象とは、少し違ったな、彼」 「スミくん……。それには事情があって」 「事情なら聞いたよ。瀬川くんに」 「え?」 「俺を心配させたくないから、二人が仲のいい恋人のふりしたっていうのと……、あと媚薬入り石鹸の話。彼が長いあいだ片想いをしてて、それを引きずって、ゆいちに迷惑をかけたって話も」  俺は耳を疑った。 「き……聞いたって、いつ……」 「ホテルを出る前だよ。ゆいち、寝てただろ」  確かに、あのとき疲れてベッドに横になって……瀬川に起こされた。  そしたらもうスミくんが準備万端で待っていた。俺が寝てたのは一瞬で、そんなに時間が経ったと思っていなかったけれど……。 「瀬川くん、ゆいちのこと真剣に考えてくれると思う。しっかりしてるし、それに……間違っていたってこと、自分から謝罪できるんだから。これからだと思う。今は恋人っぽくないのかもしれないけど……、彼に気に入ってるところがあるなら、無下にせず付き合ってみたほうが良い」  俺は頭が追いつかなくて、相槌さえ打てなかった。 「付き合ったほうが良い……と、俺は思うけどな。ゆいちに、どうしてもその気がないなら、それは仕方ないことだけど」 「………付き合う……」 「告白されたんだろ?」 「え、ああ……、告白、っていうか」  スミくんはまた笑っていた。 「彼、律儀だよな。確かに俺とゆいちは、身内みたいなものだけど……、まさか、告白の許可を求められると思わなかった」 「……うん」 「あ、じゃあ駐車場ついたし、そろそろ切るぞ。ホテルの外線って高いからな」 「そうなんだ、知らなかった」 「おやすみ。また近況送ってくれ。瀬川くんと連絡先交換しておいたから、彼に借りてもいいだろうし」 「あー……、うん」 「おやすみ」 「うん、おやすみ」  俺は呆然としながら、力の入らない手で受話器をもどす。  それから、設備マニュアルで外線料金を確認した。3分50円。  たしかフロント脇の公衆電話には、1分約10円、と書いてあった気がする。3分を50で割ると……。  いくら考えてもそこから計算が進まなくて、俺はマニュアルを閉じた。そして、表紙をじっとみつめた。  俺の荷物整理はほとんど終わっている。  あとは今夜シャワーを浴び、朝も着替えて……。洗面用具をしまって、それでおしまいだ。  ーーーー瀬川が、俺に告白しようとしてたとか、そんなの……。  驚いたけど、だって、それすらもスミくんの機嫌を取るための嘘かもしれないのに。  わからない……。なんで……。  でも機嫌を取るためなら、媚薬のことを話す必要はなかった。あんなのは、スミくんが一番怒りそうな話題で、だから俺は避けようとしていた。  瀬川がなかなか現れないので、俺は先にシャワーをあびる。ドライヤーで髪を乾かし、ベッドに寝そべる。  本気で行方が心配になってきた九時半。ようやくノックの音がして、入室の許可を求められた。  最低限のやりとりだけ。  瀬川もシャワーを浴びるため、寝間着を抱えて洗面所に消えていった。かすかな水音。  その後も声を掛けるタイミングを失い、俺は瀬川に背を向けるような状態で、ただ丸まっていた。  シャワーを終え出てきた瀬川は、動かない俺をみて寝たと思ったのか、早々に天井の明かりを消した。  瀬川のほうのベッドサイドランプ。それと出入り口の足元灯だけが残ってる。  そういえば……、俺のほうのランプは、ヒモを引っこ抜いてしまい放置したままだけど、料金はどうなるんだろう。  瀬川は机上で荷物をごそごそやっていたが、しばらくするとまた洗面所に入っていき、ドライヤーをかけはじめた。  さらさらの髪が、温風になびくところを想像する。近くに寄ると、瀬川は女の人みたいな匂いがする。髪に塗っているもののせいだろう。朝の洗顔後と、ドライヤーの前、何かを塗ってる。朝晩、顔にもなにか塗ってるし……。  そんな事に思いを馳せていると、瀬川が洗面所の電気を消し、また一段と暗くなった。机の上で音がしたあと、衣擦れ。  瀬川がベッドにのって、薄い掛ふとんに収まり、空調のタイマーをセットする。身体を倒す……。スマホでもいじっているのか、ベッドサイドのランプはついたまま。  このまま寝てしまってもいいと思ってるなんて、瀬川は……。やっぱり、とことん気が合わない。  俺は丸まったまま言った。 「俺に告白しようとしてたって、本当か」  瀬川の姿は見えてないから、空中に話しかけてるみたいだった。  ややあって、返事が聞こえた。 「うん……、本当だよ」 「ふーん……」  少し待ったが、説明が無いようなので、俺は言う。 「でも、俺は明日帰るけどな……。いくらおまえが引き止めたって」 「……引き止められないよ。悪いのは俺だから」 「……そうだな」  別に……瀬川は間違ったことをいってない。そのとおりだ。 「スミくんに取り入るなんて卑怯だ」 「取り入ったつもりじゃ……。ないけど……でも、そうかもしれない。君にとって、重要な人だって知ってた」  また、会話が途切れる。 「……他に、なんか言うこと無いのか」 「ええと……」 「また夜に話そうって、言ってただろ」 「あのときは……。他に、言葉が見つからなくて」 「許して欲しいんじゃないのかよ」 「簡単に許されるようなことじゃないって、わかってる。俺から許して欲しいなんて言うのは、おこがましいと思う。たぶん、小竹くんにとってすごく時間が必要なことだと思うし……。だから」  俺はいらいらしはじめて、そして急に、美佐央と瀬川の関係性が腑に落ちた。  きっとこれだ。  元々友達だけど……、美佐央が圧倒的に優位で、瀬川がそれに従う。許してほしそうな素振りをする。 美佐央がものすごく意地悪なのかと思っていたけど、そうじゃないのかもしれない。  俺は起き上がった。瀬川が驚いた様子でこっちを見た。
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