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「小竹くん」 「美佐央と賭けしたの、いつだよ」 「……2日目の夜、君が寝たあと。少し話した」  ベランダで菓子の通販の話をしたあとだ……。じゃあ、あそこまでは瀬川の本音だったんだろうか。 「賭けって、勝ったほうの景品は?」 「……俺が勝てば、一泊旅行。負けたら、もう美佐央ちゃんのことは諦める」 「俺たち一応、セックスもしたし。俺も……お前が好きだし。賭けは瀬川の勝ちだろ。でも、美佐央はぜんぜん旅行って素振りじゃなかったけど」 「……俺と美佐央ちゃんの賭けは、昔からこういう感じなんだ。約束が果たされるかは、美佐央ちゃんの気分」 「それって……、賭けじゃないし、約束とも言わない」 「うん……」  瀬川はそう言ったきり、黙ってしまった。俺は大きく溜息をついた。 「俺は瀬川のそういうところ、どうかと思う。なんで文句言わずにいられるのかわからない。美佐央を好きだから?」  反応はない。 「俺だってアドバイスできるような経験、もってないけど……。それ以前の問題じゃないのか。理由もなく約束を破り続ける友達なんて、俺は嫌いだ。そのうち友達でもなくなる。お互いが遊びだと思ってたら良いのかもな。でも、瀬川は本気だろ。毎回裏切られて、でも美佐央を許して……。そんなの心の広さとか、優しさじゃない。美佐央に好かれたくて無理して媚びてるだけだ。だって本当は、別の意見をもってるのに……。『利用されるのはうんざり』って。どうしてそういうこと、美佐央本人に言わないんだよ。言ったことないだろ」 「……うん」 「おまえ傷ついてるんだよ。美佐央を許してないし、腹を立ててる。でもそれを平気なふりして、優しい自分なんて顔してる。俺が瀬川にむかつくのはそういうところ」  灯りが乏しくて、瀬川の表情がはっきりとはわからないのがもどかしい。 「うちのお菓子、自分で通販して買うって言ったよな。率直な意見が言えなくなるから、できるだけそうしてるって。それって、瀬川がそうやって決めてるんだろ。親かだれかに言われたの?」 「……違うよ、自分で決めた」 「そういうのって、出来そうで出来ないことだし……、俺は、すごいと思ったけどな。そういう瀬川と、美佐央に対しての瀬川、すごくギャップがある」 「うん……」 「俺は……。俺は、美佐央絡みじゃない時のお前のほうがいいと思う! 少し抜けてるとこがあって、朝も二度寝するけど……。無理してない感じがするから」 「……二度寝は、小竹くん不満そうに見えたけど」 「おまえが朝飯たべないのが不満なんだよ。食ってもう一度寝るなら別にいい」 「……そうなんだ」  瀬川の声は、少しだけ震えていた。俺は息を呑み、瀬川から目を逸し、自分の掛ふとんの膨らみを見ていた。 「……まあ、所詮はぜんぶ他人事だからな。好き勝手に言えるってだけだ」  こんな寝入りばなに暗い話題は、もうやめよう。俺はそう思って再度布団を被り、瀬川に背を向ける。  瀬川のほうからは、ほんの少しの音だって聞こえなかった。俺の呼吸も、大きすぎる気がした。  エアコンの稼働音だけが、薄く響き渡っている。 「瀬川……、言い過ぎた」 「大丈夫。的確だね」  鼻をすする音が聞こえる。 「……いつか話せよ、美佐央に」 「そうだね……」  なんで俺が励ましてるんだろうと思いながら、目を閉じた。  たびたび、不規則な呼吸音が聞こえ、気になってどうしようもない。 「瀬川」 「うん」 「泣いてるのか……」 「いや……」  頭の中が、ぐるぐると渦巻いている。このまま朝になってしまって、いいんだろうか。  瀬川は、確かに賭けをしていた。ただ……それは美佐央が相手だったからだ。  俺は掛け物から抜け出し、瀬川のベッド脇に立った。瀬川は俺のほうに背を向けていた。 「瀬川、ベッド入ってもいいか」 「え……」 「入ってもいい?」 「いや、無理だよ」  明らかに鼻声の瀬川。 「さっき蹴ろうとしたからびびってんのか」 「違う、なんで……」 「ちょっと話がある」 「そのまま話していいよ」 「顔が見えないと話しにくい」 「見られたくない」 「演技かなって疑いながら話したくない」 「……30秒待って」  俺は言われたとおりに、黙ってそこへ立っていた。瀬川は顔を拭っているようで、たまにティッシュの端が見えた。しばらくすると瀬川が肘を付きゆっくり身を起こした。そして、俺を見た。 「小竹くん」 「許したわけじゃないけど……、俺も、お前には恩がある。スミくんのこと」 「……スミくんのこと?」 「俺、……スミくんのこと、今まで誰にも話したことないんだ。一度も。友達にも……。血が繋がってるわけじゃないし何も問題はない。でも家族みたいな感じだったから、なかなか人には言えなかった。田舎は、みんな顔見知りってのもあるし……気まずいんだよ、そういうの」 「そうか……」 「スミくんのこと瀬川に話せたのは……。たぶん……、おまえが、美佐央のことを俺に話してくれたからだ。あんなめちゃくちゃな話聴いたあとだったから、俺も抵抗なくかっこ悪い話……、できたんだと思う」  ぼろぼろと泣いていた瀬川のことを思い出す。 「俺は、瀬川に言われなければスミくんの気持ち確かめようなんて、思わなかった。ここの話をスミくんが持ってきてからも普通に接してたけど……、実はぎくしゃくしてた。変に疑って……終わらせてたかもしれない。だから……、それに免じて……賭けのことは一旦保留にする」 「え……」 「わかったか」 「……うん。でも……いいのかな」 「当人の俺がいいって言ってるんだから、いい」  俺が布団をめくると、しぶしぶと言った感じで瀬川が奥へと寄る。俺は中央に座って足を伸ばし、それから腿を叩いた。  訝しがっていた瀬川だが、やがて意図を察したのか体勢を傾け、俺の腿にゆっくりと頭をつけた。俺が髪を撫でると、はあ、と大きく息を吐いたのが聞こえた。 「小竹くん、……明日、帰る?」 「あさってパラグライダー予約してある。一度キャンセルしてたから、どうしてもやりたい」 *** 「やーくん! お友達だって!!」  昼過ぎ、大声でそう呼ばれた。俺は手を止め、身体の前を軽く払ってから土間を出て、店舗の表玄関へとまわる。暗い場所にいたので、少し目がくらんだ。10月下旬といっても、今日みたいに晴天なら日差しは強い。  今日は、瀬川が俺の家に菓子を買いに来る日だった。  少し離れた川沿いに鉄道も通っているから、駅からはタクシーで15分もあれば来れるけれど、瀬川は麓から歩いて登ってくるらしい。なんでも『山を感じたい』とか言ってた。季節的にはちょうどいいが……。  朝、麓の駅からメッセージがあったけどそれきり連絡はなく、俺は仕事中もずっと気にしていた。たぶん瀬川がどんなに貧脚だろうと半日もあれば登ってこれるはずだ。観光用のコースで、ところどころ石畳や階段も設置されている。コンビニはないが、休憩所はある。  店舗を覗き込むと、最後に見た時より少しだけ陽にやけた瀬川が、商品のガラスケース前に立っていた。店内には他にも2組客がいる。俺は瀬川を引っ張り出した。 「瀬川」 「あの人、もしかしてお母さん?」 「ううん。昔からの店の人、俺が生まれる前から」 「そうなんだ、へぇ……やーくんだって。可愛いね」  目を細めて笑う瀬川に、俺は口ごもった。 「本当に山の上っていうか……山の中なんだね」  瀬川は笑っていたが、疲労しているのもすぐにわかった。めずらしく姿勢の悪い立ち方だ。 「靴、買ったんだな」 「君がさんざん脅すから」 「はは」 「途中の案内所で熊よけの鈴を渡されて、生きた心地がしなかった」 「人が毎日通る道だし、昼間は熊なんて出ないよ。でも万が一があるし、不安がる人もいるから」 「なんだか……実感したよ。あのホテル周辺も山奥だと思ってたけど、だいぶ観光地化されてたんね」 「まあな。ここよりはずっと交通の便がいいし、開けてる場所だ」  形から入るタイプなのか、瀬川はしっかりした格好だ。ハイキング用の靴、上はウインドブレーカー。Tシャツ。  リュックも、ベルト付きのザックだ。普段遣いできそうな大きさだったが、はちきれそうなほど中味が詰まっていたので、俺は笑ってしまった。 「そんなに何を詰めてきたんだよ。一泊だろ?」 「うん、持ってきすぎた」  瀬川は照れ笑いしていた。つられて俺も笑った。何が入ってるのか、旅館で見せてもらおう。
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