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 瀬川に好かれて、嬉しい。  番になってほしいとまで言われた。指輪だってもらった。瀬川のいうとおり、俺は指輪なんてすぐになくすだろうと思っていたから、加工してくれた気遣いにも感銘をうけた。たった一ヶ月で、俺のことをずいぶん理解してくれたんだと思った。  瀬川は変なやつだったけど、俺の食べ物の好き嫌いをずっと覚えてくれていた。だから……、きっとそういうところなんだろう。俺が瀬川を、どうしても放っておけないと要因は。  はじめての経験ばかりで、戸惑ったが良い気分だった。好意を言葉で、形で示されると、いままで想像か現実かわからなかったものが、くっきりと輪郭を帯びて、共通認識になる。  瀬川は俺を好きで、その理由もある。美佐央にフラれて傷ついた時に、一緒にいたから。  俺も、瀬川を好きだ。いろいろあったけど……、俺は、瀬川をすごく人間味にあふれたやつだと思ってる。失敗や間違いはあったけど、それでも……、そばにいて見ていたいと思うような魅力があった。スミくんも言っていたけど、瀬川は反省したら謝ってくれる。そこはちゃんとしてる。  だけどどうしても、俺のなかの何かが、手放しでは喜ぶなと言っていた。事情があったとはいえ……一度盛大に裏切られたことを考えたら、疑っても仕方ないのか。  旅館の部屋は2階奥の座敷だった。10畳はあるだろう。隣の部屋とは収納を挟んでいたが、時折物音は聞こえた。  布団はふたつ隙間なく並んでいる。  俺たちがもう恋人同士だと勘違いしている女将さんは、微笑みを残して去っていった。……別に、布団が離れてないと眠れないわけじゃないし、俺はそのまま横になる。  布団に収まって天井を見つめながら、俺はしみじみと考えていた。 「なぁ」  瀬川もさっきまで寝転がっていたが、なにか思い出したようで、脇に置いたリュックの中味を整理していた。こっちには背を向けていたが、振り向いた。 「何?」 「美佐央と魚谷って、あの後どうなった? なんか聞いたか?」  瀬川の視線が一瞬ゆらぎ、そのあと苦笑いに変わった。 「ああ……。うん。ふたりはもう一緒に暮らしてるよ。美佐央ちゃんちの近くに、家を借りて……」 「そーか……。本気なんだな」 「うん……。お互いの家に挨拶にも行ったって、言ってた」  そう言う瀬川の横顔はなぜか笑顔だ。『言ってた』なんて、まさか美佐央に直接聞いたのか。 「まあ……。あんまり気にするなよ」 「うん、大丈夫。さっきも話したけど、もう気持ちの整理はついてるんだ」 「……たった1ヶ月半で整理つくか?  早すぎる」 「そうかな。そうでもないよ」  そう俺に笑いかけ、瀬川は再び背を向けてリュックを構い始めた。話を終わらせたいのだと察して、俺はまた天井を見つめる。 (やっぱり……、なんか変だな……)  何がとは言えない。  俺は静かに手をついて、身体を起こす。  音を立てないように、四つん這いでゆっくりと布団を横断した。息をひそめ瀬川の背後まで来る。  勢いよく瀬川の横から飛び出した。そして顔を見上げる。  目は真っ赤で、潤んでいた。今にも涙がこぼれ落ちそうに。 「瀬川」  俺は咄嗟に手を掴んだ。手は、逃げていこうとした。 「ま、まって……、小竹くん、何」 「何って」 「離してよ……」  瀬川の喉仏が大きく動いた。俺は瀬川の手首をきつく握りしめていたが、再度抵抗があったので、今度は手放す。 「……瀬川」 「ごめん。いきなり覗き込まれて驚いただけ。気にしないで」  そう言いながら、瀬川は一向に俺と視線を合わせない。なぜかその口端は上がっている。 「瀬川、無理に笑うのやめろよ」 「え、なにが」 「まだ美佐央のこと好きなんだろ」  瀬川は俺を凝視していた。何も言わないまま、数度の瞬きがあった。笑顔はいびつだった。  俺は大きな溜息をついて、自分の枕元に戻る。スマホと一緒に置いてあった例のネックレスを掴んできた。そして瀬川の膝上に投げた。 「なんかおかしいと思った。これは返す」 「小竹くん」 「罪滅ぼしなら、こんなものいらない」 「罪滅ぼしなんかじゃ」 「同情もな」 「同情でもないよ」  俺は立ち上がり腕を組む。瀬川が身構えるのがわかった。 「よく言えたな、”番に”なんて」  俺は布団から離れ、まわりに置いてあった小物を引っ掴んでから、壁際に置いたリュックへ寄る。物を雑に詰めこんだ。  ……明日の下山用に用意したリュックだ。大きくはないそれを背負う。  瀬川も立ち上がった。 「待って、小竹くん。罪滅ぼしなんかじゃない。君を好きって気持ちはあって」 「美佐央とはもう先がないって、はっきり分かったからだよな。それで、ちょうどいい位置に慣れたΩの俺がいたから、このへんで手を打とうかって? いいご身分だな。瀬川にも番がいれば、美佐央だって警戒せずまた仲良くしてくれるかもな。幼馴染として」 「違うよ」 「電車もバスもタクシーもあるのに。こんなとこまで、わざわざ徒歩で登ってきて機嫌とりか」 「小竹くん、……ごめん! そんなつもりじゃない。本当は……、その……」  俺はもう襖の取っ手に触れていた。瀬川は半畳ほど向こうに立って、固まっている。  いくら待っても、続きの言葉はない。 「なんだよ」 「……うん」 「言え」 「俺は……」  
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