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 瀬川は俺を凝視していた。  あまりに見つめられて居心地が悪い。乱れた息を整えながら、顔を背けた。 「今日は違うところで寝る」  そう言ってベッドから下りる。貴重品だけ持っていこうと、机のほうへまわって支度をしていると、ポツリと聴こえた。 「俺が出ていくよ、そのほうがいい」  瀬川はベッドの向こう側へと足を下ろし、着替え始めた。几帳面にも前開きのちゃんとしたパジャマを着ている。  俺も瀬川が出ていくほうが道理だと思っていたから文句は無いが、さっきの態度から一転、やけに潔いので戸惑ってしまった。  俺はベッドに戻る。薄い掛け物の中にはいって、意味もなく足元を眺めた。ちらちらと、瀬川の姿を盗み見る。やがて彼は小さなショルダーバッグひとつを手に持って、ドアへ向かった。途中、俺を振り返って言う。 「じゃあ、また朝に連絡するよ」 「……わかった」 ***  翌朝、7時きっかりに瀬川からメッセージが入っていた。  昨日はフロントに頼んで予備の部屋を使ったこと。それから、別の部屋に移る相談。  今の部屋には苦い記憶もあるだろう、だが移動が心身の負担になる場合もある。どちらが出ていくかは小竹くんが決めて欲しい、とあった。  俺は別部屋にしたいとまでは考えていなかったので驚いた。一晩寝て起きたら、顔も見たくないというほどじゃなかったので、それを正直に書いたら、ありがとう、とだけ返信が来た。  身体の調子はほとんど元に戻っていた。  朝食のビュッフェ会場では好奇の視線にさらされた。事件の話は知れ渡っているんだろう。退去した人が複数いるんだから隠し通せるはずもない。  遠巻きにして誰も話しかけてこなかったが、そういう気分でもなかったので楽だった。友達作りは……明日からでいいか。いまは瀬川のことをどうするかが先だ。当の瀬川は見当たらない。  俺は食べたいものを片っ端からとって、席についた。食べ放題っていうのはいい。俺は満腹までは食べないけれど、好きなものを好きな量選べるというのは、気分がいいものだ。窓際の4人席に落ち着いた。  2日ぶりの普通の飯だ。なにからなにまでめちゃくちゃ美味い。 「小竹くん」  顔を上げるとテーブル脇の通路に、微笑んだ”美佐央”が立っていた。トレイを持っている。  ツヤツヤの髪の毛が揺れ同時に”オナ禁”の文字が頭に浮かぶ。その隣には不機嫌な顔の男がいた。喧嘩っ早そうで……、たぶん俺はガンつけられていた。 「もう体調はいいの?」 「うん。ありがとう、元気だよ」 「ここ座っていい?」  あまり座ってほしくなかった。が、断ったとしても今後の展開が面倒そうだ。 「どうぞ」  美佐央の隣の男も、しかめ面のまま席についた。 「こっちは、魚谷。同室なんだ」 「……よろしく」 「よろしく、小竹です」  初対面だし、俺は一応愛想笑いをしてみたが、男はそっけないままだ。 「瀬川は一緒じゃないんだね。君のことあんなに心配してたのに」  まいった。瀬川と口裏をあわせてくればよかった。せめて事件のことがどう伝わってるのかとか、瀬川から聞いた話を美佐央にどこまでもらしていいのかとか……。 「実は、瀬川とケンカしたんだ。だから今朝から別行動。俺も体調は戻ったんで、もういいかなって」 「へー、ケンカ……。あいつって、事なかれ主義でしょ。ケンカなんてなるんだねぇ。小竹くんって、わりとはっきり物を言うタイプ?」 「まあ、どっちかっていうとそうかな」 「俺、君みたいな人のほうが、分かりやすくて好きだな。あ、幼馴染って話はきいた?」 「ああ、小学校から一緒だって」 「そうそう、腐れ縁なんだよね」  美佐央は微笑んだ。確かに美人は美人で……、瀬川が入れ込むのもわからなくもないが、顔が整いすぎて、笑顔にすら隙がないように見えて、俺はあんまり好きじゃない。俺はオムレツをフォークで口に運ぶ。 「ねえ明日、俺達の階の談話室でパーティーやるんだけど、小竹くんもこない? 全部で20人くらいになると思う。ダーツと、あとは飲んで話すだけだけど。一人でもいいし、瀬川と一緒でもいいよ」  戸惑ったけれど、明日というと特に断る理由もない。 「うん……。そうだな、じゃあ瀬川に話してみるよ」  俺は朝食のあと支度をして、ホテルを出た。午前中はまだひんやりした空気が残っていて気持ちいい。  林の中の遊歩道を30分ほど下っていくと、やがて視界一面の湖が現れる。  係員もまだ来ていない。一番のりで湖畔にたち、岸に留めてあるカヌーの様子を眺めていると、俺のあとに数人来て、結局そこで仲良くなった。自己紹介をすると、印象が違ったので驚いた、と言われた。  なんでも……。  俺は、αたちがケンカまでして取り合ったほどの魅力的なΩの青年。  複数のαが退去となった事件に責任を感じて具合を悪くし、部屋で泣きながら療養している……という設定だったらしい。きっと媚薬を伏せたせいでこうなったんだろう。初めてのカヌーを楽しんだあとは、その人達と湖畔そばのロッジで昼食をとり、午後2時頃ホテルに帰ってきた。  瀬川は部屋に居なかった。どこにいるのかとメッセージを打っても返信がない。  少し疲れたかな、と、俺はベッドに横になった。数日前ここで瀬川とセックスしたなんて信じられない。なにしろ抱き寄せたところまでしか覚えていない。 『誰かの代わりだと思われながら、セックスなんて嫌だった』  同じようなこと、2回も文句言ってたな。  美佐央とセフレになって長いだろうに、そういうところは気にするのか、と不思議に思った。美佐央とそれ以外では違うってことなのか。  俺に興味なさそうだったのに、よくやる気になったな。やっぱり媚薬の効果か。 でも部屋に匂いは残ってなかったって言ってた。だから自分でも平気かと思ったって……。 (えっ)  俺は急に思い至った。  昨日はセックスした事実を受け止めるのに精一杯だったけれど、よくよく考えてみると不自然だ。  『嫌だった』『惨め』『不快』。そう認識があって文句を言うなら、瀬川は自分で止めることだってできたはずだ。でも、できなかったとしたら……。  だって瀬川より俺のほうが強い。取っ組み合いをしたら絶対に俺が勝つ。  身長は瀬川のほうが高いけど、あいつはとにかく細いし、運動もあまりやってこなかったと言ってた。  俺が強引にセックスを求めたのなら、瀬川の態度には納得がいった。  覚えていないならと、なかったことにしようとした。言い合いのときも、媚薬を持ち込んだことは詫びたが、セックスに関しての謝罪はなかった。  そして俺が怒鳴ったあとの、変な空気。 (俺が、むしろ加害者なんじゃ…)  メッセージの返信はなく、じっとしていられなくなって、俺はホテル内をうろついた。だいたいの共用部分を見て回り、あとはホテルの裏手にある庭を残すだけとなった。 「瀬川!」  彼は、小さな噴水脇のベンチに座っていた。ちょうど木陰になっている。それにしたってこの時間は暑いだろう。俺は瀬川の正面に立った。 「メッセージ入れたんだけど」 「ごめん、スマホ部屋に置いてきたんだ」  俺もよくやるから文句はいえない。俺は辺りを見回して言った。 「暑くないか、ここ」 「たまに風で、噴水のしぶきが飛んでくるよ」 「ふうん……。ここで何してたの」  手元に雑誌や本があるわけでもない。  そもそもこの陽射しじゃ、白くちらついて文字なんて読めないだろう。 「空気を吸ってた」 「……メッセージにも書いたけど、部屋、別にあのままでいい。一晩寝たらどうでもよくなった」 「小竹くんがいいなら、俺もいいよ」  瀬川はじっと俺をみた。  この顔。なんだか意味ありげで、俺は落ち着かない気持ちにさせられる。こんなところに一人で……もしかして、事件のことで周りからはぶられてるのか?なんて勘ぐりもした。 「昨日は怒鳴って悪かった」 「いいよ、あのくらい。結局ぜんぶの原因は俺。だから、言われて当然だと思う」 「あー……、あのさ……」  あの夜って、もしかして俺が強要したんじゃ……。  どう切り出せばいいのかわからない。俺の熱の発散に瀬川がつきあわされたんだとして……、それを確認したとして、どうする。もう過ぎたことなのに。瀬川だって忘れようとしていたのに。  きっと瀬川がそこを主張しないのは、媚薬を持ち込んだ責任を感じているから……。  何から話そうか……。むしろこのまま触れずに忘れたほうがいいのか悩んでいると、瀬川は言った。 「『変態イカレちんこ野郎』。あの言葉……、胸に刺さったよ」 「えっ、何が」 「こんなに自分が、人の言葉に衝撃を受けるなんて思わなかった。すごく鮮烈だった」 「は……」 「似たようなこと、美佐央ちゃんによく言われるんだけど……、小竹くんから言われてハッとした。急に言葉の輪郭がはっきり見えたと言うか……、稲妻にうたれたみたいだったよ。いままでは意識もしなかったんだ」 「よ……、よくわからないけど、そんな言葉……言われ慣れてるとか、おまえ相当ナメられてるよ。オナ禁の話でも思ったけど」 「そうかな」 「昨日、『もう利用されるのはうんざりだ』って言った。利用されてる自覚あるんだろ」 「……けど、そう思いたくないんだろうね。認められないんだよ。まだ美佐央ちゃんを信じたいって気持ちも残ってる」 「あっちから、セフレはもう終わりって言われてるんだろ」 「うん」 「じゃ、何を信じるんだよ。美佐央の気が急に変わること? 紆余曲折あるけど、最後は自分を好きになるとか?」  瀬川は同意も反論もしなかった。  口では強がっていても、本当はもう無理だって……望みはないって、気づいているってことなのか。
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