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暑い。俺は一旦ホテルへ戻ったが、ベンチを動こうとしない瀬川のことが気になってしまい、飲み物を買って戻ってきた。熱中症なんかで倒れられたら困る。
瀬川の隣にあるベンチに腰掛け、同じように小さな噴水を眺めた。白い石造りだ。大きなフルーツの盛り皿に、ワイングラスが乗っかっているような形。その上から水が吹き出ている。キラキラ光っている。
そりゃあ、媚薬を持ち込んだ瀬川は悪いけど、事情を聞けばそう責める気にもなれなかった。美佐央がひどすぎるから。
セックスの件は、俺が謝るのも違う気がする。俺だって、媚薬がなければあんなことにはならなかった。かといって腑抜けた顔をしてる瀬川を、このまま放っておくのも……。何か力になれるようなことがあれば、俺の気も済むかもしれない。
「美佐央を諦めきれないっていうなら、自分できっかけをつくればいいと思う」
「何?」
「瀬川は、このままじゃ嫌だって思ってるんだろ」
「……思ってるよ。どうにかしないといけないって、実は1年前くらいから思ってた。周りからも言われてるよ……。不毛だし、遊ばれてるのがわからないのか、って……」
「そっか」
「でもどうしても……何も行動できずに来たんだ。美佐央ちゃんにちょっとでも優しくされると、やっぱり俺に気があるのかもって、ずるずる……」
「例えば……、思いきって恋人をつくってさ。こんなに幸せだ!ってアピールして、美佐央の反応を見てみれば?」
「え」
「美佐央から何かしら反応があるはずだ。どうでもいいって顔されたら、そういうことなんだよ。そもそも、瀬川はフラれてるんだから……。それで、踏ん切りをつけるってことにすれば」
「……そんな、気持ちを試すようなことは」
まだいうか、と俺は呆れた。
「瀬川は、”試すようなこと”さんざんやられてきたんだろ! オナ禁だってそうだ」
はあ、と瀬川は溜息をつく。
「小竹くんが言ってることは分かる。……だけどそれって、恋人になってくれた子を騙すことにもなる。無理だよ」
「……確かに。じゃ協力してもらうって形で、事情を説明したら? 代わりにアルバイト代だすとか、何か融通するとか報酬を用意して」
「やっぱり気が向かない。美佐央ちゃんへの当てつけみたいで」
「当てつけたってまだ足りないくらいだろ、悔しくないのかよ!」
「……悔しくないよ」
「おい……」
「別にいいんだ、これで。分かってたことだし」
「本気で言ってるのか」
「言ってるよ」
俺は思わず顔を覆った。全然話が進まない。
瀬川はまだ諦めたくないのかもしれない。ただこうして、ぼんやり落ち込んでいたいのかも……。付き合っていられなくなってきて、立ち上がった。
「暑いし、先に戻ってる」
「うん……」
俺が瀬川を心配して世話する必要なんて、別にない。つい3日前出会ったばかりのやつだ。
たぶん……、看病されて情が移ってしまったんだろう。
***
「瀬川、別に無理しなくていいよ。なんとかなる」
「行く。だって小竹くんを誘ったのは、俺と同室だからだろ。そうじゃなきゃ面識がなかったわけだし」
「そうだろうけど……。一人でもいいって言われた」
「え?」
「誘われた時は、俺、瀬川とケンカしてるって話をしたんだ。だから、ひとりでも瀬川と一緒でも、どっちでもいいよって感じで」
瀬川が表情をなくし固まってしまったので、俺は付け加えた。
「ただっ……、俺は瀬川が居てくれたほうが、だいぶ助かるな。初対面ばかりだろうし、集まりの雰囲気を全然知らないから。ダーツもやったことないし」
夜8時。すっかり陽が落ちた頃に、俺と瀬川は部屋をでた。
……瀬川のことは嫌いでもないし、好きでもないけど、真っ昼間のベンチでぼんやりしている姿を見かけてからは、気遣うことが増えた。
瀬川が落ち込んでいる様子を見ると苛々する。
傷つけられているのに、現状を変えようとはしない瀬川が腹立たしかった。
けれど、だからといって俺がなにか出来るわけでもない。様子を見ていることしかできないというのは、結構ストレスがたまる。
だからつい、美佐央のパーティーに誘われたことを漏らしてしまった。瀬川は『行く』と即決だった。
2階に降りると、すでにざわめきが聴こえていた。談話室の入り口は開け放たれ、みんな出入り自由にしていたので俺達も入る。
各部屋の壁をとっぱらって3つぐらいをつなげた広さ。
そこにテーブルや椅子。おしゃれなランプ。本棚、グランドピアノまでが置いてある。誰かがジャズを弾き、まわりに数人があつまっていた。
ちょうど入り口付近にいた美佐央が俺たちに気づき、人を避けながら近づいてきた。
「小竹くん、来てくれたんだ!」
「ああ、ううん。誘ってくれてありがとう。20人って言ってたけど、もっといるよな」
「来ない人もいるだろうって多めに誘ったんだけど……、みんな律儀に来てくれるからさぁ。嬉しい。あ、瀬川もようこそ。もう仲直りしたの?」
美佐央はそう言ってニコッと笑いかける。
「ああ、うん……。美佐央ちゃん、これ」
そう言って瀬川が差し出したのは、酒の一升瓶。
「あーっ!ありがとう!! 嬉しい!」
美佐央はそれを受け取ると、大げさかと思うくらいに喜んだ。
「ちょうどこれ、飲みたかったんだ! 持ってきてたの?」
「こういう機会もあるかと思って」
「さすが気が利くねぇ、瀬川は」
美佐央は簡単に室内の説明をしたあと、ダーツは大会形式で9時から、ぜひ参加してね、と勧めてきた。最後に再び瀬川に礼を言い、一升瓶を中央のテーブルへと運んでいった。
俺たちは、部屋の端にある小さなカウンターで一杯目の飲み物をもらう。
美佐央のそばには忠犬のように、同室の魚谷と言う男がいた。相変わらず不機嫌そうな顔をしている。だが、美佐央もそれをわかっているのか、たまに振り返っては話しかけたり、手を握ったり、寄りかかったりしている。その時は魚谷の顔もほころんだ。
ああ、これはもう出来上がっている。俺でさえそうわかった。
俺は、隣のスツールに腰掛ける瀬川の様子をうかがう。大丈夫かと尋ねると、大丈夫だ、と返ってきた。そんなわけないだろうと思う。
もしあれが俺の憧れの人で……、同じ会場で、恋人とイチャついてるのを見せつけられたら。だとしたら……、俺はどんな理由をつけてでも帰るだろう。
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