ボーナストラック 庭園主の憂い

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ボーナストラック 庭園主の憂い

高い山をくり()いて作られた洞窟(どうくつ)の中にある庭園(ていえん)――。 その名はワルプルギス·ガーデン。 ここはかつて悪魔側の所有していたものであった。 昔は強力な魔力を持った女悪魔たちの憩いの場だったが、今では霊界の集会施設の一つにすぎない。 そこに一人の男が物思いに()っていた。 この庭園――ワルプルギス·ガーデンの(ぬし)ブロッケン。 これからここで行われる招宴(しょうえん)に備えてか、彼は執事服(しつじふく)を着ていた。 生地も良い物を使って仕立てた高級品だ。 背が高く、気品のある彼は、その高級品の服に負けず、しっかりと着こなしている。 綺麗な形に揃えられている髭と髪。 顔立ちは彫りが深く、体は引き締まっていて巨躯(きょく)、その姿は人間界でいうところの欧米人のようである。 彼はかけていた片眼鏡(かためがね)――モノクルの位置を直し始める。 ああ、いつまでこんなことが続くのだろうか。 神は天使と悪魔を使って遊んでおられる。 私は悪魔側の者だが、どちらが勝とうと心から喜べぬな……。 この庭園――ワルプルギス·ガーデンの(ぬし)ブロッケンは、そのことを考えてると、憂鬱(ゆううつ)表情(ひょうじょう)を浮かべていた。 彼が考えていたこと、それは――。 今霊界(れいかい)では、天使(てんし)と悪魔による、魂の獲得競争(かくとくきょうそう)(おこな)われていた。 以前は(すご)簡単(かんたん)で、善人(ぜんにん)悪人(あくにん)区別(くべつ)するだけでよかった。 だが、毎年行われる霊界での会議(かいぎ)で、ある議題(ぎだい)()ぼり、そのような事態(じたい)になってしまった。 その議題とは、“天国へ行ける魂とは何なのか?” というもので、そのことを思い出したブロッケンはその顔はしかめていたのだった。 「この意味のない争いはいつ終わるのか……」 ブロッケンは誰もいない庭園で一人(つぶや)いた。 元々人間というのは、善行(ぜんこう)悪行(あくぎょう)を両方行う者が多く、()っからの善人や悪人なんて者は一握(ひとにぎ)り。 だから今までは、トータル――つまり善い行いと悪い行いの合計で、天国と地獄へ行く人間を決めていた。 問題(もんだい)()きたのは、議題が出たその後だ。 決めかねた霊界の権力者たちは、こともあろうに人間は善でも悪でもあるのだから、どちらでも良いのではないかという結論(けつろん)(いた)った。 それを知った神は、彼らが決めたことに喜び、一つゲームでもやってみればいいと言った。 それからだった。 天使と悪魔による魂争奪戦(そうだつせん)が始まったのは……。 それは、より多くの魂を手にいれたほうが、一年間霊界を仕切(しき)る権利を()るというもので、今や毎年行われる行事のようになっていた。 それから今まで穏やかだった霊界は、まるで世界が変わったように荒れていった。 神は、何もせずに、それを見て笑っているだけだった。 天使と悪魔――。 それぞれの種族が人間の魂を手に入れる方法――。 天使は出来る(かぎ)り善人――またそれに(ちか)しい者に契約を(せま)り、その契約者の見返(みかえ)りは(かなら)ず天国へ行けるというものだ。 契約相手は(おも)に寿命が尽きそうな者や、病気になった者が多い。 一方悪魔は、恵まれない人生を送って来なかった人間の前に(あらわ)れ、願い叶えてやると契約を持ち()ける。 ブロッケンはその契約の仕方には反対はしていなかった。 それは、どちらもその種族らしいやり方だったからだ。 「だが、問題はその心根だ……」 ブロッケンはそう独り言をいうと、ポケットからケースを出し、かけていた片眼鏡(かためがね)――モノクルを入れた。 そう――。 天使も悪魔も、魂の争奪戦が始まってから、我先にと手柄を求め、皆強引になっていたのだ。 本来なら先ほど()べた通り――。 天使は寿命(じゅみょう)の近い者や病気の者――。 悪魔は悲惨な人生を送ってきた者の前に現れ、契約を持ち掛ける。 だが、今は違った。 天使も悪魔も(こう)(あせ)り、そうでない人間たちにも契約を迫っていたのだ。 強引な天使の中には、まるで悪魔のように人間を誘惑し、そして契約をさせる者までいる。 それを知った悪魔側も、天使に負けじとさらに過激なことをする。 このままでは人間界と霊界のバランスが崩れてしまう。 それでも神はこんなことを続けるのか。 ブロッケンは何もできない自分に苛立(いらだ)ちながらも、ただ(うれ)うことしかできなかった。 「所詮、私も歯車だ……。神から与えられた役割には逆らえない……」 ブロッケンは上級クラスの悪魔だ。 その頭脳はまさに悪魔的叡智(えいち)の持ち主であり、最終的な交渉の着地点を、必ず双方にとってプラスの方向へと持っていくという優れた手腕を持つ人物だった。 だが、そんな才気溢れるブロッケンでも、やはり自分を縛る(くさり)を解くことはできなかった。 彼は、今霊界で起きている争奪戦を止めたかった。 しかし、その悪魔らしからぬ真面目な性格のせいか神には逆らえず、ただ自分に与えられた仕事をこなす日々を送っている。 「だが、それでも私は運がいい……」 ブロッケンにとって幸いだったことは、彼は悪魔側の責任者でありながら天使側での発言権も強く、どちらかというと中立の立場にいることだった。 そのために有能な彼は、魂を手に入れるという仕事を免除されている。 それが、神がブロッケンに与えた役割だった。 「だが、神が私に与えたこの試練……私には重すぎる……」 ブロッケンは毎日鬱々(うつうつ)としていた。 ただ良い暮らしがしたいがために――。 同じ眷属(けんぞく)内で称賛(しょうさん)されたいがため――。 相手側よりも優位に立ちたいがため――。 奪い合い、異なる種族同士の対立など、神に仕える者が行うにはあまりにも愚かである。 天使も悪魔も人を超えた存在であるにも関わらず、これではまるで人間ではないか、と彼は心を痛めていたのだった。 「おお、我らが神よ。あなたは一体何をお考えなのですか……」 その場で俯きながら言うブロッケン。 だが、自分では何も変えることはできないと嘆くだけだ。 彼が俯いていると、庭園に悪魔たちが現れた。 「もうそんな時間か……」 ブロッケンはポケットからケースを出し、再び片眼鏡(かためがね)――モノクルをかけた。 現れた悪魔たちは、今夜行われる招宴(しょうえん)――ワルプルギス·ガーデンを警備(けいび)する者、それから料理やお酒を(はこ)ぶホールスタッフなどだった。 悪魔たちはブロッケンに一礼すると、早速パーティーの準備を始める。 ()き出しの岩肌(いわはだ)の壁に、カラフルな松明(たいまつ)を付け、大きなテーブルを庭園内へと運んでいる。 そして、豪華(ごうか)絨毯(じゅうたん)を敷き、この鮮やかな花々が咲くワルプルギス·ガーデンをさらに彩っていく。 「そうか……今日は淑女(しゅくじょ)限定だったな」 いかにも女性が好みそうな内装を仕上げていく悪魔たちを見て、ブロッケンはそのことを思い出した。 そして、庭園内の飾りを仕上げていく悪魔たちのセンスを見たブロッケンは、内心で心を(おど)らせていた。 これほどの豪華な仕上がりなら、天使、悪魔、両種族の淑女らもきっと満足してくださるだろうと。 「しかし、今の彼女たちを淑女と呼んでいいものか……。いや、私も大概(たいがい)だな……」 女性たちのことを考え、自嘲(じちょう)したブロッケンは、つい言葉にしてしまっていた。 「ブロッケン様。何かありましたか?」 飾りつけをしていた悪魔たちが声をかけてきた。 ブロッケンは、「いや、お気になさらず。何もありません」と、乾いた笑顔を周囲に振りまく。 彼は淑女限定ということを思い出すと、あることが頭をよぎった。 それは、悪魔側の名門の出――。 現役を離れるまでずっと魂の獲得の首位にいた男のことだった。 その名門の出の男とブロッケンは、幼い頃から共に悪魔側に尽くした仲であり、戦友と言える間柄だった。 「たしか、彼の御令嬢(ごれいじょう)も今年の争奪戦に参加するとか」 ブロッケンは、名門の出の男からその娘のことを――。 愚痴(ぐち)と言ってもいい話を聞かされていた。 男はブロッケンに、自分の娘は悪魔でありながら他人を騙したり、陥れたりすることできず、とても成績が悪い。 同世代の子と何を比べて出来が悪過ぎる。 あまつさえ両親に見捨てられた天使の子を、我が屋敷に住まわせてやりたいなどと言ってきた。 何故私や妻からあのような落ちこぼれが生まれたのか、全く不思議であると。 ブロッケンは、我ら神に強い忠誠を誓っている彼のことを尊敬していた。 その強引な契約のとり方は、ブロッケンとは相容れないものではあったが、名門の出の男なりに種族のことを考えてのことだ。 名門の出の男も、生き方は違えどブロッケンのことを認めており、二人の仲はけしては悪くない。 だが、ブロッケンは彼の娘の話を聞いて怪訝(けげん)な顔をする。 この男は、その娘の短所を、なんとか良い方向へと伸ばしてやろうとはしないのか? この様子だと、屋敷でも本人に怒鳴り散らしていることだろう。 それではその娘の可能性が潰されてしまう。 誰にも自分の感情を発言できない自分のような者になってしまう。 彼は、悪魔ながらもその優しさを持つ娘に、何か別の才能があるとは思えないのだろうか? そう――ブロッケンは考えた。 だが、自分には家族――娘がいない。 もしいたら、彼と同じようなことをしてしまうのかもしれない。 あそこのうちの子ができて、うちの子にはできない――。 どうしてうちの子にはできなのだろうか? 何か病気か何かなのか? それとも時期が来れば、自然とできるようになるものなのか? 同世代の子と違うということに、両親なら不安になって当然だ。 それは子を持つ親が当たり前に心配することで、自分にはわからないことなのかもしれない。 ブロッケンはそう思うと、名門の出の男に何も言えなくなってしまった。 彼は男の話を聞きながらそう思うと、「ああ、私はいつもこうだな」と、ただ得意の乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。 そしてブロッケンは、その名門の出の男の娘のことを思い出すと、もう一人の娘のことも脳裏(のうり)に浮かんだ。 「その御令嬢の友人には、たしか天使がいると言っていたな……」 ブロッケンから見ると、天使と悪魔が仲良くなること自体がおかしなことであった。 いや、それは霊界の常識である。 異種族同士が仲良くしていることなど、前例がないと言ってよかったのだ。 彼自身、天使に対して偏見はなかったが、上級クラスの悪魔である立場上、(おおやけ)に親しくすることは自重してしまう。 それ以上にやはり天使側にもどこか、悪魔側であるブロッケンに対して、一定の距離(きょり)を保っていたのもあった。 天使と悪魔が手を繋いで一緒にいるなどありえない。 それが普通なのだ。 だが、名門の出の男は天使と仲良くする娘のことを嘆いていたが、彼はなんだかんだで屋敷に住まわせた天使のことを気に入ってそうだったし、その後の交友関係も認めているようだった。 その天使が、優秀であり、悪魔より――堕天使(だてんし)と噂されるほど、契約のやり方が強引だったのもあったのかもしれないが、ともかく名門の出である彼にそのことを認めさせたのは凄いことだ。 とても私にはできることではない。 これが世代間が異なることで起きる違いなのだろうか? いや、きっとその娘らが特別なのだ。 ブロッケンは思う。 与えられた立場に甘んじているだけの男である自分には、そんな革命を起こすことは、たとえ何百年、何千年経とうと成し遂げることはできないだろう。 その出来の悪い娘こそ――。 その堕天使と呼ばれた娘こそ――。 彼女たちこそが、これからの霊界を変えてくれるのかもしれない。 だが、それはまだちっぽけなものだ。 大多数は認めていないし、異種族の交友はこれからも簡単にはいかないだろう。 「それでも……私は願う……」 いつか自分たちのような凝り固まった価値観を覆し、この霊界を穏やかなものへと変えてくる者が現れることを……。 「……いやいや、若い者に任せてばかりではダメですね。世代に関係なく、老若男女(ろうにゃくなんにょ)――老いも若きも、男も女も……。あらゆる者たちがそれに取り組まねば」 ブロッケンは自分の他力本願(たりきほんがん)の考えを改め、新たに決意をした。 この、自分が大好きな霊界の未来を案じながら――。 「ブロッケン様、すべて準備が完了いたしました。各箇所のご確認をしていただいた後に、庭園の開場をしたいと思います」 「承知(しょうち)いたしました。では、早速、洞窟の出入口から見ていきましょうかね」
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