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05
そして、メフィ―はさっき出した紙を俺に向けて突きつけてきた。
これにサインをすれば、俺の願いを叶えると彼女は言う。
悪魔と契約書を交わす――。
それは当然何かリスクがあるのだろうが、今俺の目の前で使ってみせた力を見る限り、きっとどんな望みでも実現してくれるには違いない。
「そうだよ。おっさんが思っている通りこっちにも要求はある。だって契約なんだからさ」
そりゃそうだ。
神だろうと仏だろうと、無条件で願いを叶えるなんて、そんな都合のいい話があるはずない。
よくある童話や昔話でも、大体主人公が欲をかいて最後には酷い目に遭うのは定番じゃないか。
ドラえもんの秘密道具を私利私欲で使ったのび太が良い例だ。
こち亀の両さんもそうだ。
あとでしっぺ返しを食らうことはわかりきっているじゃないか。
でも、どうせ俺は今夜死ぬんだぞ……。
だったら、何か最後に好い目をみたいじゃないか。
あとで酷い目にあったって、一瞬でもいいから夢を見たいじゃないか。
たとえ、その後にどんな苦しいことが待っていたとしても、人生がずっと地獄だった俺にとって何を今さら恐れることがあるんだ?
大量虐殺なんてやっている場合じゃない。
この悪魔に何か願い事をするんだ。
俺は慌ててメフィーから契約書を取ると、その内容を読もうとした。
だが、その紙は白紙だった。
ふざけているのかとメフィーに突っかかろうとすると、彼女は俺の顔を手で掴み、うっすらと笑った。
「気が変わったみたいだね。でも、本当にいいの?」
「ま、まずはお前の要求ってやつを聞かせろ。話はそれからだ」
メフィーは、声を震わせながら言う俺の顔から手を離すと、ゆっくりと自分の両手を広げた。
「こっちの要求はね。おっさんが死んだときでいいから、あんたの魂が欲しいんだよ」
それからメフィーは説明を始めた。
今霊界では、天使と悪魔による、魂の獲得競争が行われているそうだ。
以前は凄く簡単で、善人と悪人を区別するだけでよかったらしいのだが、毎年行われる霊界での会議で、ある議題が上ぼり、そのような事態になってしまったと愚痴っぽく言う。
その議題とは、“天国へ行ける魂とは何なのか?” というもので、その話を始めたメフィーの顔は、さらにしかめっ面になっていた。
元々人間というのは、善行と悪行を両方行う者が多く、根っからの善人や悪人なんて者は一握りなんだそうだ。
だから今までは、トータル――つまり善い行いと悪い行いの合計で、天国と地獄へ行く人間を決めていた。
それは俺にも理解できる話だ。
テレビとかで、死んだ後の世界の話になるとそんなようなことを言っていたし、『ドラゴンボール』の世界もたしかそんな感じだった。
問題が起きたのは、議題が出たその後だ。
決めかねた霊界のお偉いさんたちは、こともあろうに人間は善でも悪でもあるのだから、どちらでも良いのではないかという結論に至った。
そして、最初に聞いた天使と悪魔による魂争奪戦が始まった。
より多くの魂を手にいれたほうが、一年間霊界を仕切る権利を得るというもので、今や毎年行われていて、あの世はとんでもないことになっているそうだ。
俺から見ると、人の魂で遊んでいるようにしか聞こえないが、天使にも悪魔にも娯楽がいるということか。
それからメフィーは、天使と悪魔それぞれの魂の獲得方法について話を始めた。
天使は出来る限り善人――またそれに近しい者に契約を迫り、その契約者の見返りは必ず天国へ行けるというものだそうだ。
契約相手は主に病気になったお年寄りが多いと言う。
一方悪魔は、俺みたいな今までろくな人生を送って来なかった人間の前に現れ、願い叶えてやると契約を持ち掛けるそうだ。
聞いていてとても信じられる話ではなかったが、目の前で起きたありえない現象を見たことで、俺は彼女を疑おうとは思わなかった。
なるほど、そういうことか。
誰にでもやっているのなら安心だな。
それに死んだ後のことなんか考えるバカがどこにいる?
俺の魂なんてくれてやる。
その代わり願いを叶えてもらうんだ。
「よし、決めたみたいだね。長い説明して悪かったけど。一応決まりなんでね」
言うことが営業の人みたいだ。
その言動だけではなく、メフィーがスーツ姿だったっていうのも、よりサラリーマンらしさを感じさせた要因の一つだった。
「じゃあ、早速おっさんの願いを言ってみな」
よし、言うぞ。
俺の願いを、願望を叶えられるんだ。
もちろんたくさんある。
なにせ俺は欲深い奴だからな。
……俺の……願い……?
メフィーはいつまでも黙ったままの俺を見て苛立ち始めていたが、それでも俺は自分の願い事が何も出てこなかった。
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