09

1/1

19人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

09

それから屋敷を出た俺たちは、元いた世界(と言っていいのか)に帰ってきた。 と言っても、前に俺が()んでいた四畳半一間(よじょうはんひとま)のボロアパートの部屋ではなく、普通の大衆居酒屋(たいしゅういざかや)にいた。 メフィーが(あら)めて契約(けいやく)成立(せいりつ)と、俺が若々(わかわか)しい姿になったことの祝杯(しゅくはい)をあげようと言ったからだ。 彼女は聞いたこともないカタカナの名前のお酒を(たの)み、俺は何を注文(ちゅうもん)していいからわからず、とりあえずビールをお(ねが)いした。 さすがに夜の居酒屋だけあって人が多く、(にぎ)わっており、仕事帰りのサラリーマンやいかにもな肉体労働者(にくたいろうどうしゃ)がたくさんいる店だった。 正直こんなうるさいところは(きら)いだ。 なんでわざわざ他人がデカい声で笑っている店で、メシを食わなければいけないのかと思ってしまう。 それに酒もあまり好きではない。 会社員時代に、そのときの上司や先輩、後輩から散々(さんざん)飲まされたが、今でもちょっとトラウマになっている。 ……あのときは最悪だったな。 飲めない奴は仕事もできないみたいな感じで……。 なんだか、そのときのことを思い出すと(ひど)滅入(めい)ってきた。 そのときの上司は、俺みたいな自分の意見を言わないタイプが(きら)いだったのもあって、いつも目の(かたき)にされていた。 先輩は先輩で、仕事で(こま)って相談(そうだん)しても「そりゃお前が悪い」だの、「とりあえず頑張(がんば)れ」としか言ってくれず、いつも俺を()けるような奴だった。 頑張れってなんだよ……。 他人を励ましているようで、実は適当にあしらっているというクソみたいな台詞だ。 あと後輩……こいつが一番腹立(はらだ)たしかった。 俺の一年後に入ってきたその後輩は、(とし)社歴(しゃれき)も上である俺に(たい)して、(まった)敬意(けいい)(はら)わなかった。 話してて所々(ところどころ)……いや、(ほとん)どがタメ(ぐち)だったし、あと何かにつけて俺を笑いのネタにするのが最悪(さいあく)だった。 愛がないといじらないとかなんとか、ふざけたこと言ってやがったな。 それに、仕事もろくにやらないくせに、上司や先輩には気に入られているため、何かあればすぐに(かば)ってもらえる立場なのも気に入らない要因(よういん)の一つだった。 さらに、俺のことを“パイセン”などとふざけた呼び方をしてきやがる。 俺はああいう要領(ようりょう)のいい奴が(きら)いだ。 かといって、後輩にそのことは言えず、ただ何を言われても(だま)って(かわ)いた笑いを()りまくしかなった。 たかが後輩が(えら)そうに(しゃべ)ってくるくらいで怒るなんて、大人げないと我慢(がまん)した。 本当はムカついてしょうがない(うつわ)の小さな男なのに、それを隠そうと()えていた。 いや……それだけではない。 (ちが)う、本当はそうじゃないんだ。 もしも俺が本気で(おこ)る――いや、後輩に口の()き方を注意(ちゅうい)したとしても、会社の人間は誰も彼も、全員、一人(のこ)らず、奴を庇うのが目に見えていたからだ。 そして、何か理不尽(りふじん)理屈(りくつ)をこねて、最後(さいご)には俺が悪者されるんだ。 だったら何もせずにいたほうがいいと思っていたら、月日が()つごとに俺への当たりが強くなっていったので、結局会社を()めたというか、行かなくなった。 そうだ……俺は、人と上手(うま)くやる才能(さいのう)がないんだ。 だから俺は、部屋に引きこもって誰とも(かか)わらなようになったんだ……。 俺がそう思っていると、店員がせかせかと頼んだビールとよくわからないカタカナの名前の酒を持ってきた。 そして、つまみや食べ物の注文を()いてきたが、急に言われても何も言えず、ただメニュー表と(にら)めっこしてしまう。 「あんたが特に食べたい物がないのなら適当(てきとう)に頼んじゃうよ」 メフィーがそう言ってきたので、俺はメニューで顔を(かく)しながら(うなづ)き、彼女は店員に何かまた俺が聞いたことない食べ物を注文した。 その後に彼女は、俺に食べ物の好き嫌いはあるかと訊いてきたが、ないと答えた。 実際に俺には、好きな食べ物も嫌いな食べ物もなかった。 いや、興味(きょうみ)がないといったほうがいいだろう。 大学時代に俺と同じことを言っていた奴がいたが、たしかにそいつは好き嫌いはなかったが、食い合わせ――枝豆(えだまめ)にはビールやら、ワインにはチーズやらを考える人間で、そんなことを気にする奴が食べ物に興味がないなんてことはおかしい。 俺はずっと疑問(ぎもん)に思っていたが、考えてみるとそんな奴は(めずら)しくもなかった。 世間はそんな人間で(あふ)れている。 例えば、流行(はや)っているものが好きじゃないと言っているくせに、そいつが(この)むものは大体誰でも知っているようなもので、本人的にはあまり有名(ゆうめい)じゃないと思っているのだろうが、そんなことなく、十分メジャーなものであることが多い。 今あげた連中はきっと、自分の関心(かんしん)は食べ物なんかにはないということや、流行(りゅうこう)――主流(しゅりゅう)じゃない自分のことを何かカッコいいことだと思っているのだろう。 馬鹿(ばか)だ、実にくだらない。 世の中は、そういう奴だらけだから俺は誰とも関わり合いたくなくなったんだ。 手に持ったジョッキを一気に飲み()し、メフィーにもう一杯注文するように言うと、突然頭をパンッと(たた)かれた。 俺は何で叩かれたのかがわからず、彼女を(にら)むと――。 「別に、心の中で何を考えるのかなんて自由だけどさ。目の前にいる女の子を無視(むし)して、乾杯(かんぱい)もしていないのに勝手に一気飲みするのどうかと思う」 細い目で見つめて来るメフィーにそう言われた俺は、何も言い返すことができず、ただ頭を下げることしかできなかった。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加