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09
それから屋敷を出た俺たちは、元いた世界(と言っていいのか)に帰ってきた。
と言っても、前に俺が住んでいた四畳半一間のボロアパートの部屋ではなく、普通の大衆居酒屋にいた。
メフィーが改めて契約の成立と、俺が若々しい姿になったことの祝杯をあげようと言ったからだ。
彼女は聞いたこともないカタカナの名前のお酒を頼み、俺は何を注文していいからわからず、とりあえずビールをお願いした。
さすがに夜の居酒屋だけあって人が多く、賑わっており、仕事帰りのサラリーマンやいかにもな肉体労働者がたくさんいる店だった。
正直こんなうるさいところは嫌いだ。
なんでわざわざ他人がデカい声で笑っている店で、メシを食わなければいけないのかと思ってしまう。
それに酒もあまり好きではない。
会社員時代に、そのときの上司や先輩、後輩から散々飲まされたが、今でもちょっとトラウマになっている。
……あのときは最悪だったな。
飲めない奴は仕事もできないみたいな感じで……。
なんだか、そのときのことを思い出すと酷く滅入ってきた。
そのときの上司は、俺みたいな自分の意見を言わないタイプが嫌いだったのもあって、いつも目の敵にされていた。
先輩は先輩で、仕事で困って相談しても「そりゃお前が悪い」だの、「とりあえず頑張れ」としか言ってくれず、いつも俺を避けるような奴だった。
頑張れってなんだよ……。
他人を励ましているようで、実は適当にあしらっているというクソみたいな台詞だ。
あと後輩……こいつが一番腹立たしかった。
俺の一年後に入ってきたその後輩は、歳も社歴も上である俺に対して、全く敬意を払わなかった。
話してて所々……いや、殆どがタメ口だったし、あと何かにつけて俺を笑いのネタにするのが最悪だった。
愛がないといじらないとかなんとか、ふざけたこと言ってやがったな。
それに、仕事もろくにやらないくせに、上司や先輩には気に入られているため、何かあればすぐに庇ってもらえる立場なのも気に入らない要因の一つだった。
さらに、俺のことを“パイセン”などとふざけた呼び方をしてきやがる。
俺はああいう要領のいい奴が嫌いだ。
かといって、後輩にそのことは言えず、ただ何を言われても黙って乾いた笑いを振りまくしかなった。
たかが後輩が偉そうに喋ってくるくらいで怒るなんて、大人げないと我慢した。
本当はムカついてしょうがない器の小さな男なのに、それを隠そうと耐えていた。
いや……それだけではない。
違う、本当はそうじゃないんだ。
もしも俺が本気で怒る――いや、後輩に口の利き方を注意したとしても、会社の人間は誰も彼も、全員、一人残らず、奴を庇うのが目に見えていたからだ。
そして、何か理不尽な理屈をこねて、最後には俺が悪者されるんだ。
だったら何もせずにいたほうがいいと思っていたら、月日が経つごとに俺への当たりが強くなっていったので、結局会社を辞めたというか、行かなくなった。
そうだ……俺は、人と上手くやる才能がないんだ。
だから俺は、部屋に引きこもって誰とも関わらなようになったんだ……。
俺がそう思っていると、店員がせかせかと頼んだビールとよくわからないカタカナの名前の酒を持ってきた。
そして、つまみや食べ物の注文を訊いてきたが、急に言われても何も言えず、ただメニュー表と睨めっこしてしまう。
「あんたが特に食べたい物がないのなら適当に頼んじゃうよ」
メフィーがそう言ってきたので、俺はメニューで顔を隠しながら頷き、彼女は店員に何かまた俺が聞いたことない食べ物を注文した。
その後に彼女は、俺に食べ物の好き嫌いはあるかと訊いてきたが、ないと答えた。
実際に俺には、好きな食べ物も嫌いな食べ物もなかった。
いや、興味がないといったほうがいいだろう。
大学時代に俺と同じことを言っていた奴がいたが、たしかにそいつは好き嫌いはなかったが、食い合わせ――枝豆にはビールやら、ワインにはチーズやらを考える人間で、そんなことを気にする奴が食べ物に興味がないなんてことはおかしい。
俺はずっと疑問に思っていたが、考えてみるとそんな奴は珍しくもなかった。
世間はそんな人間で溢れている。
例えば、流行っているものが好きじゃないと言っているくせに、そいつが好むものは大体誰でも知っているようなもので、本人的にはあまり有名じゃないと思っているのだろうが、そんなことなく、十分メジャーなものであることが多い。
今あげた連中はきっと、自分の関心は食べ物なんかにはないということや、流行――主流じゃない自分のことを何かカッコいいことだと思っているのだろう。
馬鹿だ、実にくだらない。
世の中は、そういう奴だらけだから俺は誰とも関わり合いたくなくなったんだ。
手に持ったジョッキを一気に飲み干し、メフィーにもう一杯注文するように言うと、突然頭をパンッと叩かれた。
俺は何で叩かれたのかがわからず、彼女を睨むと――。
「別に、心の中で何を考えるのかなんて自由だけどさ。目の前にいる女の子を無視して、乾杯もしていないのに勝手に一気飲みするのどうかと思う」
細い目で見つめて来るメフィーにそう言われた俺は、何も言い返すことができず、ただ頭を下げることしかできなかった。
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