いつか家族になる日

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曇りのない幸せがあるのだろうか。何の不満もなく心が幸せで満たされている、そんな生活があるのだろうか。私にはファンタジーのように思える。 夫と結婚して1年が経った。結婚生活は幸せだった。朝起きると夫が横にいる。夜も夫の顔を眺めながら眠りにつく。当たり前の日常が新鮮で嬉しかった。ただリビングにいる義父のことを考えると胸に重い雲がかかったように暗い気持ちになった。 義父との同居は納得していた。覚悟もしていた。義父のことが嫌いなわけじゃない。話しかけられれば笑顔で返事をする。でも義父が家にいると自分の家なのに自分の家じゃない気がする。ゆっくり寛ぐことができなかった。 義父は夫の父親だ。私の父ではない。意地を張るわけではないけれど甘えることも「お父さん」と呼ぶことも出来なかった。私は幸せだったけれどとても窮屈だった。 癒しはプウだった。プウは結婚してから飼い始めたネコだ。撫でると目を細めてクルクルと鳴くのがかわいい。私が寝ていると足の間に忍び込んできて一緒に眠る。プウの温かさは湯たんぽのようだ。寒い夜にプウを抱きしめると体の奥からじんわり温まる。プウが側にいるだけでなんだか安心して気持ちよく朝までぐっすり眠ることができた。 ある朝、目が覚めるとプウの姿が見えなかった。どこか他の場所で寝たのだろうか。ベッドから立ち上がり簡単に朝食を用意する。今日のメニューはトーストしたパンに目玉焼き、ブラックコーヒーだ。夫と向かい合ってトーストをかじる。夫は食べ終わると身支度を整え早々と出勤していった。私も仕事に行く準備をしよう。そういえばプウが姿を現さない。どこにいるのか家の中を探したけれど見つからない。 「プウ、プウ」 いつもなら私の呼びかけに顔をのぞかせるプウだったがその日は姿を現さなかった。リビングにいる義父に朝の挨拶も忘れて聞く。 「プウを見ませんでしたか?」 義父は新聞から顔を上げ不思議そうに答える。 「見てないよ。どうかした?」 何だかイヤな予感がした。 「プウ。どこにいるの?」 プウを呼ぶ声が微かに震えた。プウのお気に入りのクッションのうえ、ベッドの下、タオルが入っているバスケットの中、あちこち探したけれど空振りに終わった。不安のためか鳥肌が立つ。何か羽織るものを持ってこよう。そうして訪れたクローゼットの中にプウはいた。私を認めても薄く目を開けるだけでぐったりした様子だ。 「プウ!」 呼びかけても動かない。いつからここにいたのだろう。昨夜から何も食べていないのだろうか。プウのご飯を入れている皿を見に行く。全く減っていないように見えた。お腹は空いていないだろうか。水は飲めているだろうか。脱水症状にならないだろうか。不安の波が押し寄せてくる。 「プウ、プウ。」 鬱陶しそうにギュッと丸まるプウ。 「プウ、どこか痛い?どこか怪我してる?ねぇ、プウ。」 「大丈夫?」 私の声が聞こえたのか義父がやってきた。 「どうしたの?」 「プウが変なんです。ご飯も食べなくて。今朝からずっとぐったりしてるんです。」 最後は声が震えた。プウの不調を訴えれば訴えるほどそれが現実味を帯びる気がして怖かった。 病院に連れて行かなきゃ。でも仕事がある。次の休みは3日後だ。それまでプウは無事だろうか。手遅れにならないだろうか。悪い想像をしないように努めても最悪の事態が頭の中から消えない。 「病院に連れていくよ。」 義父がはっきりした声で言った。 「病院が開いたらすぐに連れて行く。」 義父を頼るのが申し訳なく感じた。でも今頼れるのは義父のほかに誰もいない。 「良いんですか?」 「当たり前だよ。家族でしょう。」 プウは私のネコ、私の家族であって義父とは関係がないと思っていた。でも違った。義父はプウのこと、私のこともちゃんと家族と認めて大切に思ってくれていたのだ。そう思うと涙で目が潤んだ。ありったけの感謝を込めて言う。 「ありがとうございます。お願いします。おとうさん。」 病院に連れて行った結果、プウは夏バテと診断された。最近の寒暖差の影響で体調を崩したのだろうと。2、3日は元気がなく弱々しく丸まっている姿しか見ることができなかったが徐々に元気を取り戻していった。プウがカリカリとご飯を食べたときは安心して涙が出たほどだ。すっかり元気を取り戻した今では元気に走り回っている。 私、夫、義父、そしてプウはひとつ屋根の下で生活している。リビングのドアを開けるとそこには相変わらず義父がいる。居心地の悪さが消えることはないけれど以前よりずっとリラックスできるようになった。一緒に住んだからと言って急に家族になることはできない。言葉を交わし、時々はすれ違う。支え合い、思い合い、時に疎ましく思い、助け合い、徐々に信頼を築きながらゆっくり家族になっていくのだ。いつになるか分からないけれどきっと私は義父を何気なく「お父さん」と呼ぶことができるだろう。
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