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結局、店員に選んでもらうことにした。同年代と思しき男性店員は素晴らしいコーディネートをしてくれて、軽すぎず、重すぎず、年相応の落ち着いた雰囲気がある装いは、さすがプロと感心した。縦ストライプの黒いYシャツに、黒のジャケットとダークグレーのズボン。銀縁の眼鏡にも似合うコーデだと店員に勧められるまま、それを一式購入した。しかも全部で1万ちょっと。良い買い物だった。
一緒に居ても恥ずかしくないファッションで身を固め、待ち合わせの場所で待っていると、仕事を終えた花梨がやって来た。ライムグリーンの爽やかなスカートに白いブラウスを合わせた清楚な装いは、庭の花壇に咲くカンパニュラを連想させる。手を振りながら駆け寄ってくる姿に、つい口元が緩んでしまった。
「ハァ、お待たせしましたぁ……ハァ、仕事が長引いちゃって、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。僕も今来たところですから」
肩で息をしている花梨が、上目遣いで見つめてくる。
「ウソ。先生のことだから30分前には来てたでしょう」
「あー……はい」
首筋をポリポリ掻いて、慎は苦笑した。本当は1時間前だが。
「そんなに早くからここにいて、女性に声かけられませんでしたか?」
「まさか。僕に声をかける人なんていませんよ」
「ん~……」
「何か?」
「先生って、ちょっと自虐的ですよね。自分のこと、カッコイイと思ってないでしょう?」
「かっ、かっこいい!?」
予想もしてない言葉に驚いて、声が引きつってしまった。ほとんど反射的に慎は首を振った。
「そんなの思ったことないですっ。見ての通り僕ってこんな感じなので」
「お世辞ではなく、先生は本当にステキですよ? 今日の洋服も落ち着ているのに華があって、全体的に韓流スターみたいです」
花梨がグっと親指を立てて微笑んだ。その仕草があまりに可愛くて、思わず笑ってしまった。やはり店員のセンスに頼ったのは正解だった。これなら街の中を歩いても彼女に恥をかかせずに済む。
友人が勤めるバーは創成川エリアにあるというので、大通り公園を通って目的地に向かった。
札幌中心部を流れる創成川エリア一帯は、オシャレなホットスポットとして知られている。カフェやレストラン、バルなどの店が集まり今や地元民で賑わう第二の歓楽街だ。花梨の友人が勤める店も、その一画にあった。まるで倉庫のようなレンガ造りの外観は、函館の金森倉庫に似ていた。花梨が予約していたことを告げると、若い男性店員はニコやかに席へと案内してくれた。
高い天井から下がるシャンデリアが、レンガ壁に囲まれた店内を煌びやかに照らしていた。一番奥の壁際では、黒光りしたグランドピアノが存在感を放っている。ストレートの長い髪を揺らして、タイトな黒いドレスを着ながら演奏している女性が花梨の友人なのだろう。類は友を呼ぶというが、演奏者もまた上品な雰囲気をまとう美しい人だった。
軽食と飲み物を注文している間も、店内には軽快な音楽が程よく流れていた。生演奏のバーというから、シックでハイクラスな質感の店を想像していたが、意外にも、店内に響いているのはルパン三世のテーマ曲だった。ジャズ調で奏でられるピアノの音色は控えめで、客の会話の邪魔にならないように抑制が効いている。
「彼女が親友の柚羽です。中学からの付き合いで、私の名前がカリンだから、部活ではユズハとセットでシトラスペアって呼ばれてたんですよ」
笑いながら花梨が言った。なるほど、花梨も柚も柑橘系だ。
「うまいこと言いますね。米里さんは何部だったんですか?」
「先生、今はプライベートのはずなのに名字で呼びましたね」
「ああっ、そうかっ、忘れてましたっ。えっと、花梨さんは何部だったんですか?」
花梨さん、という呼び方にドキドキした。この先、冷静に名前で呼び続けられるかとても不安だ。
「私はバトミントン部でした。おかげで腕の筋肉はあるんですよ。先生は何をしてたんですか? 背が高いからバスケ部とか?」
「僕は帰宅部です」
青春とは無縁の地味な学生時代を思い出して、慎は溜息をついた。改めて振り返ると、楽しみが極端に少ない毎日だったように思う。近くの公立学校の生徒たちが、男女で仲良く帰宅しているのを羨ましく思ったものだ。
「僕の学校では帰宅部が7割で、部活をしている生徒の方が少なかったんです。友人達も僕も、学校が終わると塾に直行する日々でしたね」
「学校から塾に直行って……なんだか大変ですね。お医者さんになるにはそれぐらい勉強しないとダメなんでしょうけど……先生はなんで医師になろうと思ったんですか?」
花梨がそう問いかけてきたところで、店員が軽食と飲み物を運んできた。紅茶リキュールを使ったカクテルが2つ、テーブルに乗せられる。花梨に「先生もぜひ試して下さい」と勧められるまま、紅茶酒のソーダ割を頼んでいた。店員は花梨の前に牛乳割を置き、軽食を中央に乗せると一礼して戻っていった。
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