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「私、先生のことが好きなのかな……」
「うわっ、面倒くさっ」
露骨に顔をしかめた美央が、冷やかな目で見返してくる。
「純情な中学生じゃないんだからさぁ、自分の気持ちがわからないの~的な発言やめてよね。25にもなって痛いよ、それ」
「うっ……わかってるぅ……」
「あのねぇ、癒される・安心する・落ち着く、の三拍子揃った時点ですでに恋してんの」
隣から、鋭い指摘が刺さり込んでくる。でも、言い方はキツイが美央の指摘はいつもだいたい正しい。
「もう先生が好きだって認めなさい」
「でも健悟と別れたばかりなのに……」
「関係ないでしょう。松浦さんとは終わったんだから。むしろ次の恋を楽しめばいいじゃない」
「恋か……けど、別れてすぐに違う人を好きになるって、軽い女って感じがしない?」
うんざりした反論が返ってきた。
「仕方ないじゃない、好きになっちゃったんだから」
「先生だって患者から告白されても困るだろうし」
「そんなの、告白してみなきゃわからないでしょ。困るかどうかは先生が考えること。花梨は自分の気持ちを伝えればいいんだよ」
「でもなぁ……」
「花梨のダメなところは自分に正直じゃないところだよ」
弱っている獲物にトドメを刺すように、美央が核心を突いてきた。
「松浦さんと付き合ってた時もそう。嫌なものはイヤだってしっかり自己主張できてたら、ここまで関係がこじれなかったと思うよ? 花梨は相手に合わせすぎ。もっと自分の本音を語らないと、相手は勝手なイメージで花梨を見ちゃうでしょう。花梨の本当の気持ちを知らないんだから」
針で刺されたような痛みが心を貫いた。思わず花梨はペットボトルを握りしめた。美央の言う通りだった。健悟と付き合っている間、いや、もうずっと前から、みんなのイメージを壊さないように偽物の米里花梨を演じている。良い印象を与える為に本音を隠し、相手の好みや要求に応じて自分を作り出している。打算的で、臆病で、八方美人な狡賢い野心家―――まとめるとこんな感じの標語がぴったりだ。
こんなふうに本当の自分を隠すようになったのは、些細な事がきっかけだった。中学の時、密かに好きだった先輩とたまたま同じ委員会になり、学校祭の準備で2人きりになった時のこと。
ポスターを描いていて、先輩が消しゴムを貸して欲しいと言い、ドキドキしながら自分の筆入れを開けた。元々あまり文房具に興味がなく流行にも無頓着で、当時は景品で当たったアディダスの青い箱型ケースを使っていた。
それを見た先輩が、ギョっとしながら「これ誰の?」と聞いてきたのだ。もちろん自分の物だと答えた。先輩は「へぇ、男物の筆入れ使ってんだ。なんか意外」と笑ってその場は終わったけれど、部活仲間に「顔は可愛いけどセンスがダサすぎ」と陰でバカにしていたことを、後になって友達から聞かされた。
それだけのことだった。今なら笑い飛ばせるぐらいの青臭い失恋。けれど思春期の中学生には深すぎる傷となった。先輩への恋心が失われても、自分を否定された屈辱と自己嫌悪は薄れない。周囲に合わせてオシャレをしながら容姿を綺麗に整えていくたび、オシャレに疎い質素な自分とのギャップが広がった。
本当はロングスカートよりタイトなミニスカートを履いてみたい。ピンクや水色の淡い色より、赤や黒の濃厚な色が好き。花柄は苦手。シメはパフェじゃなくてコッテリな味噌ラーメンが食べたい。そんな本音を封じ込めて、周囲が自分に抱くイメージ通りに装おうことが、いつの間にかクセになっていた。可憐で清楚な女性に見られる訓練を積んできたおかげで、社会人になってからも、恋や人間関係に困らない自信を得ることができた。
けれど心のどこかでは、自分を偽ることに疲れていたのかもしれない。思えば健悟も可哀想な人だ。彼が上司の信用を失ってまでも必死に愛そうとした彼女は偽物だったのだから。
「花梨はもっとワガママになっていいと思うよ」
美央がにっこりと微笑みかけてきた。
「西園先生のことが好きなら、とことん追いかけなよ。我慢する必要なんかない。元彼と別れた直後に恋する軽い女で結構。あれこれ考えず自分の想いをぶつけなさいよ。フラれてもいいじゃない。相手が自分の気持ちを知ってくれるだけでも、救われるもんでしょう?」
「まぁね。密かに片思いするよりはいいよね」
「あたしは先生の方も気があると思うけどね。今度映画にでも誘ってみたら? その次は買い物、次は自分の部屋……こうやって少しずつ小さな事から積み重ねて、最終的に大きな目的を果たすの」
「目的って?」
たずねたら、呆れたように美央が溜息をついた。
「好きな相手と最終的にしたい事なんて、1つしかないでしょ」
ようやくピンときた。思わず飲みかけたお茶を吹き出しそうになった。
「やっ、私そんなイヤらしいこと考えてないよっ」
「考えなさい。25歳はすでにアラサー。恋愛はママゴトじゃないんだよ。あたしは絶対に諦めない! 次こそリュウ君とラブホに行くぅ!」
「声大きいってばっ」
屋外は思いのほか声が反響した。周りのベンチでランチ中の社員たちが、一斉にこっちを見る。花梨は周囲の視線から逃げるように縮こまったが、彼氏とラブホに行くまでの行程を赤裸々にプレゼン中の美央は、とても楽しそうだった。
記憶ごと消去したはずのメールが再び届いたのは、3日が過ぎた真夜中のことだった。
企画書に添付する資料を作っていたので遅くなり、ベットに入ったのは0時を過ぎていた。スマホの目覚ましをセットして、うとうとしていた時に突然、画面が青白い光を放ったのだ。
「ん……ぅ……あっ」
受信の知らせだった。
「またあのメールっ……!」
差出人は前回と同じ奇妙なメアド。得体の知れない送り主は、無視するぐらいじゃ引き下がらなかった。花梨は恐る恐るメールを開封した。
> あいつのどこに惹かれてる?
「――ッ!?」
全身の産毛が恐怖で逆立った。心の中を見透かされたような気がして、花梨は一瞬戸惑った。さっさと消去してしまおうとした瞬間、こちらの行動を先読みしたかのように次々とメッセージが送られてきた。
> あの男が恋しいか?
「なっ……!?」
> 錯覚だ
「何なのっ!?」
> あんな男じゃお前は満足しない
「……ッ」
> 今にわかる お前がどういう女なのか
別れ話をした時の健悟の顔が脳裏に浮かんだ。不服そうに舌打ちし、怒りのままに自分の正当性を訴え、最後はしおらしく項垂れながら「好きだから別れたくない」と言った元彼の顔が……。
不満のはけ口に、こんなメールを送り付けてくるのかも―――花梨は頭を振って否定した。それはない。ないと思いたい。
「忘れよう……」
自分に言い聞かせるように呟いて、メッセージを全て消し去ってから、花梨は薬を飲んだ。慎には1日おきに服用するように言われている薬は昨日飲んだばかりだったが、自力では眠れそうになかった。興奮している脳の活動を抑える薬は、飲めば強制的に意識を眠りに落としてくれる。
けれどこの日は、望む眠気は中々やってこなかった。
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