闇の向こうから

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 フラつく慎を半ば担ぐようにして立たせ、すぐ後ろの車まで引きずった。たった数歩の距離がやたら遠い。花梨は歯を食いしばってどうにか車まで辿ると、運転席のドアを開けて慎を座らせた。 「先生っ、何か持病があるんですかっ?」 「ハァッ……うぅっ……!」 「しっかりして下さいッ、先生!」 「ぐッ……!」  ダメだ。慎は座席に体を預けたまま、未だ苦しげに胸を押さえて荒い呼吸を繰り返している。どうしよう。花梨は困惑した。とても自分の手には負えそうにない。こんな時、医療従事者なら的確な処置ができるんだろうが、素人には精々声をかけるぐらいが関の山だ。もう救急車を呼ぶしかない。  乱暴にドアを閉めると、花梨は急いで車を半周し、助手席に乗り込んだ。バックはアームレストのコンソールボックスの上に置いてある。慌ててスマホを取り出すと、IDを打ち込んでロックを解除した。恐怖と動揺で、両手が震えていた。星空を見上げて笑い合った寸前までの幸せなやり取りが、遠い過去のことのように感じられる。  キーパットを開いても、指が震えて番号が押せない。救急車は何番だっけ? ブルーライトに照らされながら、行先を失った指が虚しく宙で揺れている。花梨は唾を飲んだ。早く助けを呼ばなきゃ死んでしまう。  焦りと恐怖が冷静さを奪っていった。頭が白くなり、視界まで黒い霧でかすみ出す。よもや正気さえ失いかける自分を叱咤して、花梨はスマホの画面に浮かぶ数字を指先で弾いた。  1、1、9―――  通話のマークに指を乗せる直前、 「ひゃっ!?」  隣から腕が伸びてきて手首を掴まれた。あと1秒でも遅ければ、消防局と電話が通じていただろう。花梨は運転席を見た。凝然と視線を送った先では、落ち着きを取り戻した慎が薄く微笑んでいる。 「先生っ!?」 「もう大丈夫ですから、救急車は呼ばなくていいですよ」  あの苦しみ様が嘘だったみたいに、慎の様子は穏やかだった。 「驚かせてすみません。時々、胸が苦しくなることがあるんですが、いつもすぐに収まるんです」 「胸が苦しくなるって、心臓でも悪いんですか?」 「いいえ」  慎はクスリと笑った。花梨は前髪に半分隠れた顔を訝しげに見つめた。何だろう、この妙な違和感は。先程の様子とは打って変わり、慎は物静かな穏やかさを取り戻している。なのに、どこか普段と違う気配を感じるのは単なる気のせいだろうか。  花梨は手首を掴まれている右手はそのままに、画面から119の表示を親指で消した。 「とにかく先生、病院に行きましょう」  スマホをバックに戻しながら、花梨は懇願するように提案した。医者に向かって病気に関する事を指南するのもおかしな話だけれど、さっきの苦しみ方を思い出すと不安だ。せめて救急外来で診てもらうべきだと思ったのだが、慎は微笑みながら首を横に振った。 「必要ありません。本当にもう大丈夫ですから」 「でも先生、運転中にあんな発作が起きたら危ないですよ。お薬は持ってるんですか? あるなら飲んだ方がいいです。私、そこの自販機でお水買って来ますから待ってて下さい」  バックから財布を取ろうとした次の瞬間、 「僕はずいぶんと愛されてますね――」 「きゃっ!?」  いきなり右手首を座席に押しつけられた。何事かと驚く暇も花梨にはなかった。気づいた時には視界が直角に倒れ、車の天井が見えていた。慎が素早く片腕を伸ばして助手席の調節レバーを引き、シートを後ろに倒したのだ。 「先生っ、どうしたんですかっ!?」 「どうもしませんよ」    ギアを跨いで助手席側に移動した慎が、穏やかな笑顔を浮かべたまま体の上に覆い被さってきた。重石のように乗っかる慎の体に圧迫されて、身動きが取れない。 「あ、あのっ、先生っ、こんな所で何するつもり……?」  花梨は切羽詰まった声で問いかけた。だが微笑むだけで慎は答えてくれない。前髪の奥から見下ろしつつ、熱っぽく囁きかけてくる。 「何って、花梨さんがしたい事ですよ」 「せ、先生……?」 「可愛いなぁ、体が震えてる」 「ねぇ先生、ふざけてるならもうやめて下さい。怖いです」 「怖い?」  花梨はコクコクと小さく頷いた。本当に怖かった。何をされるかという純粋な恐怖と、卑猥な妄想で体を熱くしている淫らな自分自身が。 「なら全部僕に任せて下さい」 「全部って?」  ゆっくりと顔を近づけながら、慎が甘やかな声で呟いた。 「花梨さんの心と体、全てです」 「んふっ!?」  柔らかい慎の唇に呼吸を塞がれた。瞬間的に、体を巡る血液が沸騰したように熱を帯び、全身を火照らせる。優しいけれど、少し強引なキス。食むように重なり合う唇の感触が、体の芯を疼かせる。 「あっ……ふぅっ、先生っ……!」  抵抗しようにも、自由になるのは左腕だけ。しかしその些細な自由すら慎の背中を掻くのみで、熱いキスに抵抗力を奪われてゆく。 「はっ、はふっ……先生待って……ぁんっ!」  舌がヌルリと口の中に滑り込んできて、花梨は痺れるような感覚に身を震わせた。肉厚な舌が、唾液に溢れる口の中をねっとりと掻き回す。慎の舌使いは優しく、攻撃的なまでに巧みだった。何度も角度を変えて唇を重ねながら、生暖かい愛情を注ぎ込んでくる。濃厚な快感と言葉にできない幸福感が口中に広がった。 「本当に待っていいんですか?」  息継ぎの間合いに、慎が苦笑した。 「体の方は早くってせがんでるようですけど」 「ぅんっ!」  唐突に片胸を鷲掴みにされて、体が跳ねた。慎は力強くも労わるように、絶妙な力加減で敏感な胸を揉み込みながら、なおもキスの間に囁きかけてくる。 「花梨さんは、僕に、こうして触れられるの、嫌ですか?」 「はふっ……んんっ」  気持ちを試すような物言いで、慎が甘やかに問いかけてきた。嫌じゃないと言いたいけれど、舌を弄ばれているので呂律が回らない。そんな様子を楽しむみたいに、慎は胸を揉んでいた手を少しずつ下へとずらし、体の線をなぞっていった。脇腹から骨盤へ、更に下へと下がり、ワンピースの裾から太腿の裏へ手を滑り込ませてくる。 「こんなに熱く湿ってる……花梨さんは強引な方が好みなのかな?」 「ひぅっ!?」  いきなり首を甘噛みされた。強烈な快感が背筋を抜けて、弓なりに背中がのけ反った。じんじんと熱い収縮痛が下腹部の奥で脈打っている。押し寄せる快楽の渦に飲み込まれそうで、花梨は助けを求めるみたいに慎の背中を掻きむしった。 「あぅっ……ハァっ、先生ぇっ……!」
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