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小高い丘の上の公園を、満月と、空いっぱいの星とが彩っている。
地上にも星があった。ラベンダーの薄紫やハーブゼラニウムの綺麗なピンク。それらは、ランタン風の街灯の光を浴びながらやわらかな紫やピンクを精一杯主張し、楚々とした草花なりに妍を競っているように見えた。
「……夜の女王が広げたマントの中は、きらきらと輝く宝石たちでいっぱい……と」
公園の一番高いところは、園全体を見渡せる展望所だ。そこにたたずんで地上と空とを見比べていたヤマキは、そんなふうにひとりごちる。
少し離れて隣にいたマツモトが、ぷっと吹き出した。
「いやいやー、詩的っすね。ヤマキさんは本が好きだったんですか? いやぁ、お見それしました」
ヤマキはちょっとバツが悪くなって身体を揺らしたが、すぐ立ち直って、じろりと隣を見やる。
「黙れ、マツモト。こんな日は仕事が多いぞ。たくさん来るから覚悟しとけよ、新人」
「何がですか」
「恋仲の者どもだ」
「どイナカが何ですって?」
「……恋仲、だ。今どきはなんて言うんだ、そういうのは?」
「ああ、なんだ恋仲かー。それ言うならカップルすかね」
マツモトはそう言いながら細く伸びあがって、園の入り口につながる丘の坂道を見やった。
坂道の街灯は園内と違って味もそっけもない、昔からある白い蛍光灯。明かりそのものも今にも消えそうに灰色がかっている。だが今日は空に明るい満月があって、坂を上る人影を青く照らし出してくれていた。
「ああ、来る来る、来ます来ます。えーと……まずは、推定中学一年の少年少女。少年が少女の手をとって、元気いっぱい坂道を駆けのぼってきますね。少女のほうは……おお、息を弾ませて、赤い顔をして、少年についていっています。いいですね、これはきっと、元気少年に誘われてこっそり家を抜け出して、ふたりで星を見に走ってきたってパターンかな。さて、ここから恋が始まるのか、それともふたり星空の下で夢を語り合うか。いやいや、コクる展開もあるかな? やー、いいですねえ、初々しいなあ」
「マツモト、コクるってなんだ?」
「秘めたる恋心を相手に告げることですよ」
「素直に告白すると言えばいいだろう。まったく、今どきは変な言い方が増えているな」
「はいはい、ヤマキさんは昔の人ですもんね。……お、次も来たな。あー、こっちはもうちょっと大人だな。いや、つっても学生かな?」
マツモトはさらに伸びあがる。空に浮かびそうだ。
「……ああ、さっきとは逆に、明るくて感じのいい女の子が、なんか鬱屈を抱えてるっぽい男をリードしてます。『ほらほら、早く行こうよっ。そんな顔しないでさ』……きっと、ふたりで星を見上げ、流れ星か星座を探し、帰る頃にはその宇宙の雄大さと彼女の明るさによって、彼の心は軽くなっている、と、そんなところでしょう。……お、おおおー」
「どうした?」
「次は……いや、たくさん来ますよヤマキさん! 後から後から、年代様々、組み合わせ様々なカップルたちが。うん、なるほどね、こんなに星が綺麗な夏の夜は、皆さんロマンチックな気持ちになりたいんでしょう。えーと、続く人たちは、間違いありません、みなさん純粋にラブラブです! 公園に着く前から、ふたりの目はきらきらと潤んで、それこそお星さまになってます。ついでにピンクのオーラが立ち上るのも見えますよ」
彼が実況している間に最初の少年少女が到着し、公園はみるみるうちに盛況になってきた。といっても、みな立ち位置を調整して、互いの世界が邪魔されないようしっかり距離をとっている。実に器用だ。やがて、あちらのバラの下やこちらの噴水前のベンチ、芝生の敷かれたちょっとした広場などにて、
「私ね、都会に行くの……」
「お、思い切って言う。あの、俺は、キミのことが……」
「あたしたち、ずっと一緒ね! 約束だよ!」
などなど、無数のドラマが展開し始めた。
ヤマキがひゅう、と口笛のような音を鳴らした。
「おい。マツモト」
「はい」
「そろそろ行くぞ」
「……わかりました」
次の瞬間、ふたりの姿はゆらめいた。星降る夜の空中で、今まで誰にも見えていなかったであろうその姿が蓄光性の壁紙くらいの微妙な光を帯び始め、おぼろげに浮かび上がってきた。
わりと最近の鬼籍デビューであるマツモトは生前お気に入りだった普段着姿だが、昭和中期に肉体を失ったヤマキのほうは、王道の白い着物に三角形の天冠姿。
申し分のない幽霊である。
「行くぞ。それぇ! ――ひゅ~どろどろ~! うらめしやぁぁ~~!」
「りあじゅぅぅ~~ばくはつしろぉぉーやぁ~~!」
「うわーっ出たー!」「ぎゃー、たすけて!!」「おかーさーん!!」――公園は阿鼻叫喚に包まれる。やってきたカップルたちはあっという間に退散していった。
「ふっ……」
あざやかに仕事をやり終えた伝統的幽霊姿のヤマキは、星空を覆うように大きく広がり、逃げていくカップルどもにびしっと指を突きつける。
「わーはっはっはっは、思い知ったか、この世を楽しみまくる者どもよ!! だいたいお前らは知っているのか、星が綺麗なこの丘の、その裏側は墓地なのだ! 甘い雰囲気などもってのほか、浸りたかったら次はお供えのひとつも持ってくるんだな! わーっはっはっはっはー!」
勝ち誇るヤマキを背後の空に背負い、新型幽霊のマツモトは、カップルらの最後の一組を伸びあがりながら追っていた。
最初に上ってきた少年少女だ。足がもつれてすてんと転んだ少女の手を少年がひっぱって起こし、『もうちょっとだ、がんばれ!』――励まして、そしてふたたび走り始める。
彼らはしっかり手に手を取って、一生懸命に、丘を下って行った。
「……ヤマキさん」
「あ? なんだ」
「羨ましいっすね。生きてるの」
「……」
ヤマキは沈黙し、しゅるるるる、と元のサイズまで縮む。
そうだな、という小さな小さな呟きが、星のかなたに溶けていった。
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