一日パパ

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リビングで課題をやっていると、姉の甲高い声が聞こえてきた。 「お母さーん、お母さーん」 パタパタとスリッパの音が近づいてきて、ドアが乱暴に開かれる。 「お母さーん……あれっ。お母さんは? いないの?」 「母さんなら、出掛けてるみたいだけど」 いかにも「迷惑です」という顔を作って、朔也(さくや)は姉の顔を見た。 また化粧が濃くなっている。 きゃしゃな腕に、まるまる太った赤ん坊を抱えている。 スカートの影に、丸顔の子どもがもうひとり。 姉は、数年前に結婚して、車で小一時間ほど離れたアパートで暮らしている。 だけど時々こんなふうに、気軽に実家に来て、子どもたちを預けていくのだ。 「えー、うそっ? 信じられない。 今日、ユイとミサのことお母さんに頼んでたのにっ。 まったくもう。どこ行っちゃったのっ?」  「さあ……」 姉の剣幕に、朔也は少したじろいだ。 「ああ、あたしもう、行かなくちゃ。 とにかく、ユイとミサ、置いていくから、よろしくね」 朔也はあわてた。よろしくされても困る。 「ちょっと待ってよ。どこ行く気?」 「どこってコンサートだよ。お母さんにはあとで電話しとくから。 急がなきゃ、遅刻しちゃう。 お願いね、朔也おじさん」 ユイとミサは、朔也にとって姪にあたる。 「叔父さん」であることに間違いはないのだが、朔也はまだ高校生だ。 「おじさんって言うなよ。大体、僕に預けてられてもさ」 「おじさんが嫌なら、パパでいいよ。  今日は朔也が『一日パパ』ね!」 「はい?」 姉は何を言っているのだろう。 「ほら、よくあるじゃない。一日駅長とか、一日署長とかさ。 職業体験みたいなやつだよ。 朔也も将来、パパになるかもしれないんだし。がんばってね、一日パパ!」 姉は、朔也の肩をぽんと叩いて、玄関に向かった。
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