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1章 Drop.2
あれから1週間が経った。あの後、類からひとつ頼まれごとを受けた。それは──『母さんにもう一度このコーヒーを飲ませたい、ここへ連れてきたい』と、頭を下げお願いをされた。そんな誠実な姿を見ては断ることも心苦しいし、巡りめぐった再会の運命を受け入れようと承諾した。
そもそも、類のそばを離れたのは8年前──
類も産まれ藍介は父親代わりとしてそばに居た。類も大きく育ち、順風満帆な生活を送っていたが、藍介にはひとつだけ秘密にしている事がった。それは、本当は『同性愛者』だと言うこと。それに気づいたのは遅くも父親代わりになると決めた後、類が産まれてからの事だった。その時、不覚にも好きだと言う気持ちを抱いた相手が甥である類に向けてだった。いつの間にか類をそんな目で見るようになっていた事には驚き、同時に背徳感と自己嫌悪に苛まれた。このままではいけない、類に手を出してはいけない……そんな想いから、好きだと言う気持ちを胸の底へしまい鍵をかけ、自ら、置き手紙を置き、罪悪感と家族を捨てた罪深き男というレッテルを背負い静かに姿を消した。
それから同性愛者として第2の人生のスタートを切った藍介は、今の地で珈琲店を始めた。出会いはと言うと、なかった訳では無いが、何も言わずそばを離れた罪悪感と、甥の類を好きだと言う気持ちがいまだにありなかなか恋愛発展には及ばず、溜まるモノはゲイ専門の風俗で発散する日々を送っていた。
今日はシトシトと、静かに雨が降っていた。静かに何かを待つように、何かを洗い流すように。そう、今日は甥の類と類の母親がこの店へやってくる約束の日だった。静かに降る雨が、緊張で落ち着かない心を鎮めてくれるようだった。
ソワソワしながらモーニングコーヒーを飲んでいると部屋に着信音が響き渡った。電話の主は甥の類だった。一度深呼吸してから通話ボタンを押して応答した。
「はい、栗平です」
『おじさん、俺だけど。予定通りにそっちに着くから、今日はよろしく』
「ああ、分かっているよ」
『母さんも楽しみにしてるって、今横で笑ってるよ』
「そうか。あ、類……後で話があるんだ。母さんと一緒に聞いて欲しい」
『話?うん、分かった』
そんな言葉を交わし、緊張から震える声を必死に抑え電話を切った。藍介は人生2度目の一大決心をしたのだ。
大事な来客があるので、今日は貸切としてクローズの札を表の看板に下げた。「あれ〜、今日はお休みだって、残念〜……」そんな声が外から聞こえてきた。今日だけはどうしてもオープンする訳にはいかないんだと、心の中で謝罪した。そして、窓から見える雨に濡れた一際光る紫陽花をぼんやりと眺め緊張の糸を一本ずつ解いていった。
予定時刻を少しすぎた頃、店のドアがキィ……と音を立て開き、来客を知らせるベルの音が鳴り響いた。カウンターに居た藍介はすぐさま駆け寄った。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
「おじさん、こんにちは」
軽く会釈をし笑みを向け、類もまた笑顔で応えてくれた。そして、隣には前妻の姿があった。類がこう言っていた。「ほら、母さん。あの人が藍介さんだよ」と、伸びた背を丸くし屈み視線を合わせて優しく話しかけていた。類の母親は一歩前に出て軽く頭を下げ此方を見つめ口を開いた。
『お久しぶりです、藍介さん。ふふ、お元気そうで。類の母の芹那です』
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