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「どうして美緒のあしあとは光ってるんだ」
「……なんでわかったの、翔」
まだ昼間なのに、どうしてわかるのか。
美緒にはそれがわからない。
気づかれるのは暗闇、夜の中だけだ。
今まではそうだった。
翔に言われるまでは。
「昨日の夜、公園にいただろ」
と、翔は言った。
みられていたのか。
美緒は唇をかみしめた。
みられてはいけないのに。
こんなおかしなことを、世間の誰にも知られてはいけないのに。
「気のせいなんじゃない、翔、言ってることおかしいよ」
そう、おかしい。
美緒の身体はおかしい。発光している。
美緒が歩いた跡、手をついたり、ふれたところ、月光に反射されると光るのだった。
美緒が物心ついた頃に発現した。
母親は奇妙なその現象を恐れ、忌避し、美緒を暗闇へ出そうとしなかった。
おかげで中学になった今でも門限は夕方五時だ。夏も、冬も。
美緒は家の二階の部屋からときおり脱走する。
夜の道をあるく。夜風がきもちいい。一人きりになると、解放されたように思う。
「美緒、あしたの流星群、見ないか」
「……見たいよ」
翔は小学校からのつきあいだ。
翔とはよく遊んだ。
中学になって、別のクラスになった。三年間、ずっと別々だった。
こんなふうに話すのも、久しい。
「じゃ、見よう。あの公園で」
「いいよ、でも条件がある」
「なに、条件って」
美緒は一度深く呼吸した。
それから、
「あたしと家出して」
と、言った。
翔は目を見張った。
それはそうだろう、と美緒は思う。
たかが十五歳の少年少女が、家出して、どこへ行けるというのだろう。
情報に縛られたこの社会で。
「わかった」
翔は、まじめに言って、うなずいた。
美緒はちょっと信じられない思いがした。
なんでそう、言い切れるんだ。
家出するなんて、正気じゃない。
翔は明るくて、サッカーが上手くて、勉強もできる。友達も多い。進学校に進むのかもしれない。翔の家は裕福だ。大学生の兄は翔に似ていて、爽やかなイケメンだ。
家出する理由がない。
美緒の戯言につきあうほど、馬鹿でもない。来年には高校生になるのに。もう、子供というほど、幼くない。
翌日の午後十一時、美緒は部屋を抜け出した。
非常食と水とハンカチ、厚手のストールをリュックにつめて、夜道を走った。美緒は、走りながら、うしろをふりかえった。かすかな光が、美緒の足跡の形をして、地面に点々とつづいた。
人間じゃないみたい。
あしあとがつく。
壁に手をついたら、手形の光がくっついた。
美緒の身体は発光している。その印が、数分つづいて、自然に消滅する。
母親の反応はひどかった。
きっと怖かったのだろう。娘が得体の知れない発光体になっているのだ。近所で奇妙な噂がたったら、気弱な母親の神経は耐えられないだろう。
かわいそうに。
美緒は自分のことではなく、母親のことを憐れんだ。
夜に出歩かなければいいのだ。
そして月明かりに当たらなければいい。
それだけのことだ。回避する方法などいくらでもある。きっとある。
たとえば、家を出て、どこか遠くへ行ってしまって、だれにも知られずに、知らない街で知らない者に成り代わって生きてみる。けっこう名案じゃないのかな、と美緒は思った。
すくなくとも母親は、ほっとするんじゃないだろうか。
「美緒、こっち」
「翔」
公園へ行くと、翔はブランコに座っていた。
美緒に向かって手をふる。
翔は、手ぶらだった。
家出すると言ったのに。
きっと真に受けてはいなかったのだ。
なんとなく、淋しさみたいなものが胸をえぐった。
「きれいな光だな」
翔は、美緒を見るなり、そう言った。
流れるように自然に笑った翔の顔が、あたたかくて、美緒は胸がくるしくなった。
まだ、流星群は確認できない。
翔は、美緒が歩いてきたアスファルトをみて、言ったのだ。
美緒が歩いた光の痕跡。
それを、きれいだと言ってくれた。
くすぐったい。
美緒はそう思った。
「翔、流星をみたら、出かけよう」
「出かける?」
「うん、この町を出てみたい」
美緒は、翔の表情をうかがいながら、言った。
翔と一緒なら、心強い。
一人でだって、行くつもりだ。
でもいざとなると、怯むものだなと美緒は思う。
こわがりみたいだ。
翔がいると安心する。
「ここにいろよ、美緒」
「え?」
「ほら、もうすぐ星が降る」
「翔……」
「ちゃんと見てろ」
翔は美緒に、隣のブランコに座るよう示した。
美緒は、ブランコに腰をおろした。
ゆっくり、夜空を仰ぎ見る。
「星が降る夜なんて、めったにないんだから、ちゃんと見てろ」
翔は、やけに空を気にするように、熱心に頭上を見あげていた。
美緒は、つられて仰ぎ見る。
星が流れた。
何度も、流れた。
きれいだった。
「翔」
すごいね、と言おうとしたら、翔の手が、発光しているのに気づいた。
美緒は、いったいなにが起きたんだろうと考えた。
ブランコのくさりを持つ手が、アスファルトをたどってきた美緒の足跡が、もうひとつ、たぶん翔の足跡だと思う。それらが、光っている。
「なんで、翔まで、光ってるの」
「オレの能力だから」
翔は、澄ました顔で言った。
美緒は、聞き慣れない言葉に、首をかしげる。
「美緒がどこにも行かないように、印をつけた」
「なに、印って」
「美緒が歩くと、月明かりに反射するように」
「……これ、翔の能力なの?」
「そうだよ」
「どうしてあたしが、どこにも行かないようにするの?」
「この町にいてほしい。ずっとオレと一緒にいてほしい」
翔の言葉に、美緒は動揺した。
翔は、この町を出ていくんじゃないかと思ってたのに、ちがった。
進学校に行って、いつか都会の大学へ行って、就職して、そのまま帰ってこないんじゃないかと思ってた。
ちがった。
美緒は、翔と一緒ならどこに行っても平気な気がしてた。
だから家出しようって、誘ったのだ。
翔は、一緒にいてほしいなんて言う。
とつぜん言う。
そんな気配、ぜんぜんなかったのに。
この、手足が発光する、こまった能力が、翔にかけられたものだったなんて思いもしなかった。
「消してよ」
「消せない」
「じゃ、一緒に家出して」
「それはできない」
「翔、何考えてるのかわかんない」
「好きだ」
「えっ?」
「オレは美緒が好きだ」
一緒にいてほしいって、そういうこと?
まさか、と思って、美緒は赤面した。
空に星が降っている。
夜はめったに外へ出られない。
美緒はこまった。
そういえば、美緒が発光体になってしまったのは、小学校の頃、翔と出会ってからのことだった。
「翔は、いつから光ってるの」
「……そういうのは、もうすこし大人になってから話す」
「なにそれ、まだ秘密があるの!?」
美緒は、翔をみて言った。
白い吐息がでた。
「いいから、一緒に流星群を見よう」
「……よくないよ」
意味わかんないよ。
美緒は頬をふくらませた。
もはや家出する気力はどこかに消えてしまっていた。
背中のリュックが重い。
美緒の手足はちかちか光る。淡い、星屑みたいに光る。
光が降る。
美緒の心にも降る。
火照った頬だけが、赤い。
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