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天園町役場職員・山田太郎
クラシカルな花柄のソファにふんぞり返り、天井に飾られたシャンデリアをサングラス越しに見上げる山田太郎は、小麦色の肌をした腕を目一杯伸ばした。
天園町唯一の結婚式場に来ていた太郎はかれこれ式場のエントランスにあるソファに二時間座りっぱなしだ。
結婚式場のスタッフには、きちんと名刺を渡し、調査対象がいるからと簡単に説明をして居座らせてもらっているが、明らかに胡乱気な視線を向けられてしまった。
木々の紅葉が終わろうという時期にど派手なアロハシャツを着ているせいもあるだろうが。熱がりな太郎からしたらこの程度の寒さは耐えられるし、何しろ派手な色が好きなのだ。しかも軽やかな生地で動きやすいことを考えるとアロハシャツしかない。目の覚めるような赤系の色合いが太郎のお気に入りだ。
調査対象者の名前は、水鳴理央。
大安吉日の今日、結婚式を挙げた幸せの中にいる新郎である。
挙式のあとに披露宴を行い、先ほど新婦の優里がお色直しのために退席して控室へ行っていた。
もうすぐ水鳴も出て来るころか、と太郎が思っていると披露宴会場の扉が開く気配を感じて、太郎は視線だけを動かした。
太郎の予想通り、調査対象である新郎の水鳴が披露宴会場から出てきた。水鳴がスタッフに案内されて控室へ歩いて行くと、ぞろぞろと披露宴会場からゲストたちが出てくる。
太郎はソファに預けていた背中を起こし、強くうねった黒髪を掻き上げてゲストたちに視線を泳がす。
この祝福に満ちるはずの結婚式に感じたのは違和感だ。
挙式が始まる前からずっとソファに座って偵察をしていた太郎が抱いた不穏な空気。
黒いスーツを着た水鳴の友人たちが醸し出す空気が明らかに一般人ではない。社交場というところを理解していないのか胸元を大っぴらに開けている勘違い野郎や、厳ついネックレス、腕時計をして威張り倒している輩ばかりだ。
しかし、一方で水鳴は物腰が柔らかい人間に見えた。こんな無法者とつるむような性格をしているようには見えなかった。
やはり、彼らは仕事関係で繋がっているのだろうと予測がつく。だが、どのようにして水鳴の仕事を探ろうか、と太郎が思案していると、全館禁煙だというのに水鳴の友人もどきたちが煙草を吸い始めた。
気付いた女性スタッフは、仕事上注意をしなければならないのだろうが怖くて見て見ぬふりをしていた。
――こいつらにちょっと仕掛けるか。
よっこらしょ、と太郎が腰をあげると、
「ここは全館禁煙です」
突如憤然とした女性の声が館内に響いた。
黒一色のスーツに包まれた異様な雰囲気が漂う男たちに毅然と注意をするなんて、怖いもの知らずな女だな、と太郎は呆れた眼差しを向けようとした瞬間、目を見開いた。
肩まで伸びた黒髪を片方だけ編み込んだ細身の女が男たちを睨みつける。頭部の側面を刈り上げた男が女ににじり寄る。
すると女が、男が咥える煙草を抓んで奪い取った。
煙草を取られた男は激昂する。
「何すんや! ナメた真似すんじゃねーぞ!」
「舐めてんのはそっち。友人のお祝いの席のときくらいマナー守ったらどうなの」
「返せや!」
男は目を引ん剥いて女の胸ぐらを掴んだ。
拍子に女の黒いレースのスカートが怯えや恐れなど一切なく揺れる。
一言で言えばカッコいい女だろう。
――だが。
太郎が歩を進めていると、女が躊躇することなく煙草の火を男の額に押し付けた。
短い悲鳴を上げて女から手を放した男の目の色が変わる。
太郎は走った。
女はおもむろに黒のクラッチバックから濡れティッシュを取り出して男に掴まれていたところを拭いていた。
「あー、マジで汚い」
そう顔を歪める女は、黒づくめの男たちに囲まれた。
「女やと思って手加減されると思うなよ!」
「上等よ」
女がきつく睨み上げたところに太郎は、満面の笑みを繕って女の前に割って入った。
「あのー、やめません? ほら、あなたたちの友人である主役のお二人が悲しみますよ」
「誰やお前! 部外者はだまっとれぇ!」
男の唾が飛んでくるのを堪えながら太郎は笑顔を作り、背後にいる女の除菌シートが欲しいと思いつつ懐から名刺を出して渡す。
そして、周りを囲む男たちにも差し出した。
「まぁまぁ、僕はこういう者です。もし、お困りのことがあれば、どんなことでも相談に乗りますよ。摩訶不思議なことや、宇宙人のことなどなんでも。きっとお役に立ちます」
男たちは、名刺を一瞥してぐしゃぐしゃに丸めたり、破り捨てていく。
「ふざけんな、このアロハ野郎!」
「こんな怪しいもん誰が信じるんじゃ」
「宇宙人なんかおるわけないやろが、このど阿呆が!」
口ぐちに太郎を貶す言葉を吐き捨てていく男たちの中のひとりが、太郎の名刺をポケットにしまう。それを太郎は横目で確認した。
――収穫ありだな。
女が目の前に捨てられた名刺を拾い上げた。
名刺に連なった活字を読むや否や女は顔を歪めて胡乱気に太郎を見据えた。
太郎は女の瞳を見て、危ういな、と思う。
強さと弱さを兼ね備えた女の瞳。
表情に呆れた色を宿す女が赤い唇を開く。
「天園町役場職員、古書管理課の山田太郎? 偽名にもほどがあるでしょ」
太郎はにっこり笑う。サングラスの奥からしかと女の表情を見つめながら。
「やだなぁ。本名なんだけどな」
太郎は軽く続ける。
「きみの名前も教えて欲しいな」
女は思いっきり顔を歪めて嫌悪感を露わにした。
「嫌に決まってんでしょ」
「俺の名前だけ知られてるのは不公平だと思わない?」
「落ちてたのを拾っただけだし」
「興味あるから拾ったんだろう?」
「……頭おかしいんじゃない」
ポイッと名刺を捨てて女は背を翻して去って行った。
太郎はサングラスを外し、女の可憐な背中を見つめて唇に柔らかい笑みを滲ませた。
彼女の身体から感じる自分と同じ生命力に確信する。
女の名前は松浦花だということを。
過去の苦い思い出を引き連れて彼女は再び目の前に現れた。
「近々会いに行くよ。花ちゃん」
太郎の小さな声を聞くはずのない花が、披露宴会場の扉を開ける前にこちらへ視線を投げてきた。
小首を傾げつつも扉を開けて披露宴会場に戻っていく花を見つめて太郎は空色の瞳に運命の光を湛えた。
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