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年齢不詳・桃井多恵
ひとつ、ふたつ、天園町の夜空に星と星を繋ぐ光の線が見える――。
小高い丘の上にある天園町には、昔から空にまつわる怪奇現象が度々起きていた。
流れ星だという人もいれば、未確認物体だと言う人もいる。実際にUFOを見たという町人が何人もいるのだとか。かの有名なSF雑誌にも特集が組まれたことがあるが、写真が残っているわけでもなく、そこまで騒がれることはなかった。
しかし、町人の間ではUFOは実在すると信じる人もいるらしい。何十年も前から起きているこの不可思議な現象の謎は解かれないまま現在まで続いている。
そして松浦花にも、数年間抱いている謎がある。
花は受付のカウンターに隠れてクッキーを頬張る、明るい茶髪をツインテールに結っている女性を見やる。
目が合ったので、口の回りにクッキーのカスをつけたまま満面の笑みを咲かせるピンク色のナース服を着た女性に微笑み返した。
なぜ、この女性――桃井多恵は何年も老けずに体型維持が出来ているのだろうか、と。特にバレーボールのような豊乳が垂れずに美を保っていることが不思議で仕方がなかった。
多恵は天園町の商店街の一角にある、一際ピンク色が目立つ建物で営まれているエステティックサロン『マゼンダ』店長だ。
明らかに自分より年上のはずなのだが、年上に見えない童顔と体型を持つ可愛らしい花のたったひとりの上司だ。
世の中で言う、男性が守ってあげたくなるような人種だろう。
多恵の潤んだ大きな瞳で上目使いをされたら心を動かされない男はいないのではないかと思うほどに魅惑的だ。そして、花が世間の壁にぶち当たって立ち止まっているところを快く受け入れ、手を差し伸べてくれた優しい人でもある。
花は隣町にある女子高を卒業したのち、天園町にある中小企業に就職した。
しかし、男性が苦手、というか嫌いな花には合わなかった。
嫌でも男性と話す機会はやってくるし、書類を渡すときに手が触れてしまうことだってあった。自分の精神安定剤でもある除菌シートで手を拭いていると困惑された。迷惑しているのはこっちなのに。
自分だって好きでこんな男嫌いになったわけじゃない。
毅然とした態度をとるも、小さな会社で火種を起こすと鎮火させるのは難しい。居場所を失った花は就職して三か月で辞めてしまった。
たった三か月だが、自分ではよくもった方だと思う。
男子を避けるために女子高を選んだ花は会社という小さな箱の中で男性と同じ空間にいることだけで苦痛でしかなかったのだ。
そこで、男性に触れない仕事を探せばいいと思い立ち、天園町の商店街にあるマゼンダへアポイントなしで乗り込んだのだった。
そんな花の非常識な行動も笑って許してくれた多恵はエステの資格も持たない花を招き入れてくれた。
多恵に一からエステの基礎を学び、花も必死に多恵に付いていった。
そのおかげで資格を取ることができた花はエステティシャンになれたのだ。
そして、マゼンダに勤めて九年。花は岐路に立たされていた。
昨今、マッサージは女性だけのものではなくなってきている。男性も美白や脱毛に興味を持ち、美を求め始めた。
ほんの少し成長した花も今では男性とすれ違ったり、会話することに抵抗を感じながらも我慢できるようになった。けれど、がっつり男性の身体に触ってマッサージを施術できるほど穏便に事を運べる自信はない。
ゴム手袋をして、施術することも考えた。そうすると肌の弱い人は荒れてしまう可能性だってある。人の指で直に施術するから心地よさを感じるものではないか。エステは外側の施術だけではなくリラックス効果だって必要不可欠だ。ゴム手袋をしている時点でエステの意味がなくなってしまう気がする。
まずは、週に一度だけ男性専門の日を作って様子を見てみようと多恵は言っているが、正直、辞めようかと考えている。エステの仕事は好きだが、男性との接触がないという前提の話だ。
花は受付のカウンターに常備している簡易な椅子に座る。
「多恵さん、いくら考えても男性のエステは無理。除菌しまくるし、お客さん減りますよ」
花の不穏な言葉を跳ね返すように多恵の頬がぷっくりと膨らんだ。
「えぇー。花ちゃんいないとおもしろくなーい。けどさ、花ちゃんもずっと男嫌いのままじゃいけないじゃん?」
多恵は結婚のことを心配してくれているのだろうが、花に結婚願望というものは皆無である。このままひとりで老後を迎えて死ぬのだと覚悟はできている。
不安が一切ないとは言わないけれど。
「私はこのままひとりで生きていくよ」
自分の将来のことよりも花は多恵の腕組みをした上ににずっしりと圧し掛かる豊乳が気になる。
――この人、マジで何歳なんだろ。出会ってから老けたところが見当たらない。九年経てばそれなりに変化があるはずなのに。私の知らないところで整形してるとか?
すると、多恵が思いついたように手のひらに拳を打った。
「じゃ、あたしが一生花ちゃんの面倒みてもいいってことだよねぇ」
どういう意味ですか、と花が数度瞳を瞬かせたとき、カランカランと店のドアの鐘が鳴りながら開いた。
花は椅子から立ち上がる。
「いらっしゃ……」
と言いかけて入店してきた客を見て花は顔を歪めた。
そう遠くない花の記憶に触れた。見覚えのある人物がニヤリと意味深に笑う。
「まさか、ここで働いていたとは驚いたよ」
軽く手を挙げて花に歩み寄ってくるのは、先日に行われた友人である優里の結婚式場で会った、自称町役場勤務の山田太郎だった。
季節外れのど派手なアロハシャツは普段着なんだ、と花は若干引いた。 趣味の悪いアロハシャツに真っ黒いサングラスをかけているせいで不審者感が増していることに気が付いていないのだろうか。
――というか、町役場勤務の人間が昼休憩の時間でもないこの時間に出歩かないでしょ。
花は疑いの眼差しを向けながら、わざと大きな溜息をついた。
「申し訳ありませんが、ここは女性専門のエステティックサロンなので男性はお断りしております」
花の丁寧な言い方ではあるが冷たい声色だったことに太郎は苦笑する。
すると、ひょこっと受付から顔を出した多恵が甲高い声を上げた。
「やーん! 太郎ちゃんじゃない! 昼間に来るなんてどうしたの?」
興奮した多恵に、どうやらこの二人は知り合いのようだと花は気遣う。 こんな胡散臭い男と知り合いなのかと驚きつつ邪魔をしてはいけないと店の奥にある休憩室へ行こうと花は太郎に一礼をして背を向けた。
「あー、待って。用があるのはきみなんだよ。松浦花ちゃん」
知っているはずのない自分の名前を口にした太郎に花は思わず振り返った。
「なんで、私の名前……」
怪訝に顔を顰める花に太郎は、にかっと白い歯を見せて笑う。
「俺の権力を駆使すれば個人情報なんて、ちょちょいのちょいだよ」
「あは。太郎ちゃんの力でなくて伝手だよね」
花は、眉を上げて冷たく言う。
「まぁ結婚式場だったし、他のゲストに聞き出せば簡単だよね」
太郎は眉尻を下げて困ったように笑う。
「手厳しいね……」
花は太郎の存在を消すように目を伏せる。
多恵の知り合いと言えど、相手は男。話すことはない。花が店の奥へ行こうとすると、多恵に腕を掴まれた。
「太郎ちゃんの話を聞いてあげて?」
上目使いで瞳を潤ませる多恵に気持ちが揺らぎながらも口を開く。
「多恵さん、私が男性と狭い部屋に居れると思う?」
「だから、あたしも同席する! それなら大丈夫だよね?」
「いや……」
無理ですと言おうとするも、多恵の目力の圧がすごい。
「あたしがいれば大丈夫だからねー」
と花の腕に頬をすりすりしてくる。ついでにゆさゆさと多恵の豊乳が揺れて腕に当たる。
多恵の豊乳はマシュマロのように柔らかくて癒しの効果絶大なのだ。
女の自分がこれだと世の男性諸君はこの豊乳にメロメロになるに違いないだろう。
花は小さく頷いた。
「じゃぁ、少しだけなら」
「決まり!」
そう無邪気に少女のように笑う多恵につくづく思う。
――この人、本当に何歳なの。
呑気に多恵の美貌の謎に疑問を抱いていた花だが、のちに男である太郎に救われることになるなんてこのときの花には知る由もない。
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