仮面舞踏会

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仮面舞踏会

 花は男が嫌いである。それは中学校の頃から変わっていないし、これからも変わることはないだろうと思う。  だけど、今、初めて男である太郎の話に共感することができた。  太郎が花に持ちかけた第一声はこうだ。 『水鳴優里の旦那、怪しいと思わないか?』  花は激しく同感した。親友・優里の旦那である水鳴理央とは、数回しか会ったことがないが、物静かで穏やかな性格だと認識している。  会った時も挨拶を交わす程度で、会話はほとんどしたことがなかった。 優里からの情報では、東大出身でアパレル会社を経営している社長らしい。  店の奥にある休憩室で、三人はピンク色のソファに腰を掛けて話をしていた。花の向かいにテーブルを挟んで太郎が座り、花の横には多恵がぴたりとくっついて座っている。  腕を組んで顎の下を指で擦りながら太郎は思案気に言う。 「東大出身で、会社を経営している社長。羨ましすぎる経歴だよな。さぞかし華々しい生活を送ってきたのだろう。羨ましすぎると思はないか?」  そう言われても、と花は顔を歪めて困惑する。確かに金銭面では安心できるだろう。優里もこの先幸せな生活が送れると思う。  しかし、大切な友達の幸せに水を差すことなどしたくないが、花にはひとつ気がかりなことがある。  自分が水鳴に抱く不審な思いと、太郎が思う怪しさが同じかどうか確かめるために花は太郎に聞いた。 「あなたは、水鳴のどこが怪しいと思ったの」  よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに太郎は鼻を鳴らして笑った。  花は心底ウザいと思う。アロハシャツもサングラスも存在も全てが濃すぎてウザい。  しかし、親友のことなので静かに太郎の言葉に耳を傾けることに専念した。  太郎は腰を浮かせてジーパンのポケットから折り畳み財布を取り、財布の中から一枚のカードを抜き取ってテーブルの上に置いた。 「水鳴の経営している会社は架空の存在のようだ」 「ヴェルディ、だったよね」  花は太郎の語尾に合わせて口を開いた。  太郎は満足そうな笑みを滲ませて花の言葉を肯定する。花は太郎が置いたカードを手に取った。それは水鳴の名刺だった。  一度だけ、優里から水鳴の会社名を聞いたことがあったヴェルディという単語が名刺に連なっていた。  太郎はおもむろに語調を上げて言う。 「さて、問題です。お二人は、ヴェルディと聞いて何を思い浮かべるかな?」  花はなんだそのふざけた言い方は、と愚痴りながら思案する。 「Jリーグの東京ヴェルディ?」  太郎はぷっと笑う。 「今、サッカーの話してないけど」 「うっさいわね! 思いついたから言っただけでしょ! 感じ悪っ!」  花が太郎の小ばかにしたような言いようにイライラしていると、ずっと黙っていた多恵が危難めいた色を宿して言った。 「確か、オペラの仮面舞踏会は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲してたわよね……。まさか、仮面舞踏会と繋がっているってこと?」  太郎はソファに背中を預けて肩を竦めた。 「俺の憶測でしかないが、架空の会社でヴェルディときたら繋げてしまうのも仕方のないことだろう? それに水鳴の友人として出席していた奴らが普通の一般人とは思えない」  そう結婚式が行われるまでは水鳴を普通の一般人だと思っていた。社長というだけあって、いつも身に付けている服や腕時計は全てブランドのもので、一般のサラリーマンが購入できるものではない。  そういう意味では普通ではないのかもしれないが、会ったときは普通に好印象だったのだ。  だけど、結婚式で水鳴の友人として招かれたゲストたちを見て花は困惑した。花だけではない他の友人たちだって戸惑っていたし、優里の両親も心配するような表情を浮かべていた。祝福で満ちるはずだった結婚式は、一般人ではない黒い雰囲気で支配されていた。  怪しい人たちだということは花にもわかっている。  ただわからないのは――。 「仮面舞踏会ってなに?」  花が太郎と多恵に問うと、二人は顔を見合わせて沈黙を落とした。  聞いてはいけないことだったのだろうか。  しかし、用があると言って自分を訪ねてきたのは太郎だ。すべてを話すことを前提に来ているはず。それとも、この話をするつもりはなく他に用があったのだろうか。  どちらにせよ、この沈黙をどうにかしたい。  花は不機嫌に太郎を見据えた。 「私に言えないことがあるなら最初から私を訪ねて来ないでくれない?」  太郎は多恵から顔を巡らせて花を見る。 「花ちゃん、今から俺が言うことを信じてくれる?」 「内容による」  花が端的に言うと、太郎は喉の奥で笑った。 「それじゃぁ、困るな」  花が、なに、と顔を顰めると太郎はサングラスを取って花を真っ直ぐ見つめた。  花は予想外の太郎の瞳の色に目を見開いた。  花の中に渦巻く不快な気持ちを払拭してしまう澄んだ空色の瞳だった。 外国人なのかな、と花が頭の隅で思っていると、太郎は続けて口を開いた。 「今から話すことは優里ちゃんに関係してくるもの。花ちゃんは優里ちゃんを守る覚悟はあるかな」    俺の瞳を見てて、と太郎は一度瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。そして、様変わりした空色の瞳に花は絶句した。  最初は確かに普通の人間のような丸い瞳孔だった太郎の瞳は、爬虫類の目のように瞳孔が、キュインと縦長に伸びた。見間違いかもしれないと数度瞳を瞬かせたり、指で目を擦ったりしたが、太郎の瞳孔は縦長になったままだった。人間のものとは思えないそれに、不気味さが相まって妙な美しさを感じて息を呑んだ。  絶対口にはしないけれど。  花の気持ちを知る由もない太郎は続けて言う。 「俺の本来の姿の瞳だよ。こうやって人間から本来の姿に変えることをシェイプシフトというんだが……まぁ、俺は人間じゃない」  花は一気に警戒する。 「妖怪?」  太郎は突拍子もない花の言葉にきょとんとしたのち笑声を放った。 「花ちゃん。いいね」 「は?」  自分は至って真面目なのに先ほどから小ばかにされている気がしてならない。 不機嫌になる花に太郎は、落ち着いて、と両手で花の感情を抑える素振りを見せた。 「こういえば早いかな。……地球外生命体。いわゆる宇宙人だね」 「……うん?」  花は、ゆっくりと首を傾げた。不思議な話、宇宙人より妖怪という恐ろしい存在の方が身近に感じる。昔から絵本や漫画で妖怪の物語は描かれてきていたからだろうか。  確かに天園町ではUFOを見たという人もいたりもするが、実際に花は見たこともないし興味がなかった。  反応が薄い花に太郎は説明する。 「地球には昔から宇宙人が出入りしているんだよ。人間の姿を借りてな。俺は人型の宇宙人だから元の身体だけど。……因みに、俺の生まれた惑星は灼熱の惑星だったから、アロハシャツが丁度いいんだ。変な奴だと思ってただろ」  花は素直に頷いた。太郎は軽く笑って、そうそう、と付け加えた。 「多恵は仮の姿だよ。多恵の惑星は小さきものたちが集まる惑星だったな」 「え」  花はずっと黙って座っていた多恵に視線を走らせた。  今とんでもないことを聞いた気がするのは気のせいだろうか。否、気のせいだはない。いつもはおしゃべりなのにやけに静かだなと思っていたら、そういうことなのか。 「えっと、多恵さんも、その、宇宙人?」  気まずそうに俯いていた多恵は開き直ったのか顔を上げてベロを出した。 「ごめんね。実は、宇宙人でした」  驚きはするが、ある意味納得した。  仮の姿というやつだから、老けないのか。 「花ちゃーん。嫌いにならないでぇ!」  と多恵は花の腕にしがみついてきた。このマシュマロ感覚の豊乳も仮の姿のものらしい。上手く作ってあるなぁ、と感心しながら花は微笑んだ。 「嫌いにならないよ」  そう花が言うと、多恵は安堵の表情を見せた。二人の会話がひと段落したところで太郎はおもむろに人差し指を立てた。 「さてと、ここからが本題だ。多恵は、国が管理している正規店で人間の姿のスーツを購入している。だが、さっき言っていた仮面舞踏会っていうのは裏の店だ」  宇宙人には色々な姿の宇宙人がいるらしい。  宇宙人が旅行や仕事で地球にやってくるときは地球と宇宙を繋ぐ宇宙国際センターという、いわば宇宙の空港のようなところで手続きをしたのち、各々の行きたい国へ移動するのだという。  目的の国へ辿り着いた宇宙人は地球人に馴染むために人間スーツを購入する。そして自由に地球内を自由に行動するのだ。ただ、宇宙人の目的もそれぞれで旅行や仕事のためだけではなく、地球に移住する宇宙人もいる。  宇宙人も地球で住むとなれば戸籍が必要になるし、地球の各国の要人たちも宇宙人の居場所を把握していないと何かあったときに対処できない。宇宙人の行動を把握するためにも、正規店でシリアルナンバーが施された人間スーツを購入しなければならない決まりになっている、と町役場勤務の太郎が言う。  だが、中には悪いことを考える宇宙人がいることも確からしい。そこで出て来るのが、日本の関東地区では仮面舞踏会だ。  宇宙人は仮面舞踏会を介して人間スーツを手に入れ、偽の国籍をもらい、国の管轄を逃れて窃盗や殺人などの罪を犯すものもいるのだとか。 「宇宙人の中には人間を喰らう奴もいるからね」  と多恵が淡々と言った。 「いや、それが本当なら世界中混乱してるでしょ」  それはないよ、と多恵の悍ましい言葉を打ち消すように花が苦笑いを浮かべると、太郎がひとつ息をつく。 「混乱するから、国が揉み消しているんだよ。これは日本だけじゃない。地球の要人たちは地球を守るために宇宙人の罪から目を逸らしている」  花は表情に剣を潜ませる。 「どういうこと?」 「言い方は悪いが、地球人は宇宙空間の中では下等種族となってしまう」  地球人は未だ宇宙へ行くことにしか目を向けられていない。宇宙旅行なんて呑気なことを言っている人もいるが、他の宇宙空間に住む地球外生命体は宇宙空間を自由に行き来できるよう進化、または能力を身に付けているのだ。その証拠に地球人が互いを傷つけ合い、戦争を繰り返していた時代から宇宙人は地球へやって来ていたのだという。  簡単に言えば、地球人は宇宙人に逆らえないということ。  宇宙人の罪を黙認しなければ、宇宙人に攻め込まれて地球ごと滅ぼされてしまうかもしれないと地球の要人たちは考えているようだ。  一通り、太郎の現実離れした話を、映画のあらすじでも聞いているかのような感覚に陥っていた花は、本当の話なんだ、と自分に言い聞かせた。  そうでないと話が進まない。  自分はこうやってずっと太郎と話がしたいわけではない。  優里を守りたいから、太郎の話を聞いているだけなのだ。早く話を進めていかなければ。  花は嘆息をついて太郎の神秘に包まれた宇宙空間の話に区切りをつけた。 「その宇宙人が、優里とどう関係してくるのかわかんないんだけど」  太郎の瞳はいつの間にか人間らしい丸い瞳孔に戻っていた。太郎はサングラスをかけた。 「優里ちゃんの旧姓は澤村だったよな? 確か君たちが高校生の時だったか、日本に滞在中の青嶋陵(あおしまりょう)という戸籍を作った宇宙人が人間と問題を起こしていた。優里ちゃんに絡んだ男を殴ったと報告があった。だが、今は行方知れずになっているんだ」  確かに、高校生の頃、優里に目を付けていた他校の上級生が優里を呼び出したことがあった。委員会の仕事があった花は中々抜けられずに優里に付いて行けなかったが、知らない男の人に助けてもらったと優里が話していたことを思い出した。  その男の人が青嶋陵なのだということなのだろうか。 「それが?」  嫌な予感がする花は苛立ったように太郎の語尾に声を被せた。 「これは俺の憶測だ。仮面舞踏会を通して青嶋陵が水鳴理央になっている可能性がでかいと思う。仮面舞踏会を匿うために架空の会社を経営している、と」 「それで?」 「それで、花ちゃんには優里ちゃんから水鳴理央のことを聞き出してほしい」  花はじっと太郎と見据える。太郎は首を傾げていた。 「それだけ?」 「それだけ、とは?」  花は嘆息をついて口を開いた。 「それだけの頼みごとをするために自分が宇宙人だっていう秘密を私にバラすとは思えないんだけど」  太郎は間抜けに口を開け、一泊間を空けてなぜか大きな笑声を放った。 「ははははは! 確かに」  花は何がおかしいのだと顔を顰めた。  太郎はひとしきり笑ったのち、手を組んでニヤリと笑う。 「それ以上のことを求めてもいいってこと?」  花は憤然と腕を組む。 「どういうこと? はっきりどうぞ」 「男嫌いの花ちゃんは俺と一緒に捜査できるのかな?」  花は鼻の頭に皺を寄せて嫌悪感を露わにした。 「嫌な奴……」  きっと太郎は自分が男嫌いなことを知っていたから優里に水鳴のことを聞き出してほしいという簡単な要求だけを言ったのだ。  けれど、なぜ重要な秘密を自分に打ち明けたのか。  花はサングラスの奥にある太郎の水色の瞳を見つめる。  ――誘導されている?  大きな秘密を自分に握らせて、苦にもならない簡単なことを要求されたら妙な罪悪感を覚える。感じなくていい罪悪感だ。  水鳴がおかしいというよりは、招待された友人たちが変だった。けれど、太郎は水鳴の経営している会社が架空のものだと言う。  ニュースでよくみる詐欺を行っている会社だったりするのかもしれない。そうだとしたら、何も知らない方がいいのかもしれない。優里のためにも。  だけど、何も知らない優里が水鳴の会社の問題に巻き込まれる可能性だってあるかもしれない。犯罪を犯している宇宙人が利用している仮面舞踏会という会社と繋がっているなら尚更だ。  誘導されてこの決断を口にするのは癪に障るが、優里を守りたい。  どんなときも一緒にいて支えてくれた優里を守りたい。それに、ひとりで水島のことを調べるより、何やら個人情報を入手できる伝手がある太郎と行動を共にした方が近道だと思う。  一緒に行動することができるか不安ではあるが。  花は腕を組む手に力を込めた。 「……できる」  決断を口にしたものの、喉が狭まって声がでなかった。サングラスの奥にある太郎の瞳がずっと自分を見ている気がする。  試されているような心地になって手に汗が滲んだ。花は汗ばんだ手をナース服で拭いて太郎に手を差し出した。 「できる! 優里を守りたいから仕方なくだけどね!」  隣に座っていた多恵が驚いていた。  かすかに手が震えた。表情だって硬かったはずだ。笑う口の端が引き攣っていた。それでも笑ってやる。  ――どんなに無様な笑顔でもこれが私の決断だ。  太郎はにっと満足げな笑みを滲ませて花の手を握った。 「よろしく」  男性と初めて握った手は緊張のせいで熱すぎて燃えてしまうかと思った。  しかし、花は太郎の手が離れてから気付く。  男性に触れられて感じる気持ち悪さが手に残らなかった。  以来、初めてのことだ。  ――宇宙人だから……?  花は初めて目の前に現れた自称宇宙人にかすかな興味を抱いた。
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