毎年の夏が一番綺麗なアイツ

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 祭り会場は、あらゆる雑音と人の賑わいで大騒ぎ。  フランクフルトに、焼きそば、焼き鳥、イカ焼き。炭火の匂いに誘惑される。ベビーカステラとりんご飴の甘い匂いもお腹を空かせる良い材料だ。これらは、昔から変わらない店構えで、いつでも童心に帰らせてくれる。  変わったものがないわけではない。わたあめは虹色になったし、ジュースの容器は光る。  良い年だし、さすがに飛びついたりはしない。ただ、甘い菓子や汁に色を付けただけで高値で売る発想にゾッとするようになった。  浴衣姿の子供達が、はしゃぎながらそれらを買う様は、変わらず可愛い。けれど、その裏の大人の金欲が見えるようになった自分は、変わってしまった部類に入るのだろう。  変わるのは、店だけではない。自分のように人も変わる。アイツも変わった。綺麗になった。  昔は、俺も祭りの度に婆娑羅ダンスと洒落込んで、派手な衣装に身をくるみ、とにかく伊達者な格好をして祭りのステージで踊り狂っていた。  それが、いつしかアイツだけが毎年踊るようになった。祭りが近付けば、より綺麗になろうと、いつからかニキビを減らすのに躍起になってた。ニキビは青春の証というくらいだから、そんなものがあったって可愛かったのに、ドラッグストアで化粧品コーナーに何時間も居座っていた。  そうやって、祭りの度に綺麗になるアイツを見るだけの俺は、ただの阿呆だ。色気を纏うようになっていくアイツの踊りを見る俺の顔は、いつだって口を開けて阿保っ面。  ずっと「綺麗になった?」という言葉を飲み込んで、顔を真っ赤に染めていただけだ。  進路の違いで、別れるとか別れないとかで、一度喧嘩をした。それでもやっぱり、一年後には手を繋いでいたから、結局長い目で見たら俺達の関係は、変わってないのだと思う。  何年か関係が変わらぬ年が続いたけれど、そろそろ変わった方が良いのだろうと思う。  同棲生活が長くなった今でも、アイツは相変わらずの踊る阿呆で、俺は見る阿呆だ。変わったのは、アイツの見た目とアイツに出来たニキビの名称。  アイツのオデコには、久しぶりに姿をみせた赤い小さな粒。祭りの二週間前になっても消えないので、アイツは慌てふためいていた。とはいえ、オデコの中心の粒は、思春期を思い出させた。俺は、アイツが言うほど最悪なものとは、思えなかった。ドラッグストアで、何時間も居座っていたあの頃に見た粒みたいで、俺には正直可愛いものだった。  ドラッグストアではなく、スマホであらゆる化粧品をあさり、ビールを片手に何時間もスクロールする後ろ姿は、一番変わった部分かもしれない。  そんなこんなで当日は、努力のかいあって、オデコのニキビも消え失せていた。アイツは本番前になると、衣装に着換え、髪も綺麗に結って、目が覚めるほど綺麗だった。なにより、オデコの粒も無くなり、化粧の似合う大人のアイツになっていた。  柄にもなくドキドキした。 「どう? 可愛くない?」  アイツは裾を広げて、衣装をくまなく見せてくる。まるで、学生みたいな言い方が昔を思い出させる。けれど、目の前にいるのは、昔よりずっと色気を纏った大人なアイツ。俺の口には、あの頃からずっと残っていた言葉が、今か今かと声になるのを待っていた。 「最近さ、綺麗になった?」  言えたという達成感の後、煩いくらい賑やかな音の全てが消えた失せた。同じ家で毎日、顔を突き合わせている人間の言葉ではなかった。  心なしかアイツの目が冷ややかな気がした。夏の暑さもどこかに行った。気まずい空気は、汗を冷やし、背中を伝う。かき氷を服の中に入れられたような感覚だ。冷たくてベタベタと気味が悪い汗が止まらない。  今日は、特別な日にしようと思っていたが、なかな上手くいかない。自己嫌悪に陥りそうだ。言い間違えたと言おうとした時、アイツはニッと歯を見せて笑った。 「やっと言ったね。誰のためにやってると思ってんの」  そう言って、係員に誘導されるがままステージに上がっていった。  派手な和風音楽が流れて、リズムにのるアイツは誰よりも可愛くて、艶があった。夏の暑さより熱い踊りは、あっという間に終わりを告げる。音楽が拍手に変わると観客に向かって、アイツは仲間達と深くお辞儀をした。汗を光らせた笑顔は、言うまでもなく綺麗だ。  踊り終えてステージから降りようとするアイツへ、俺は走って近づいた。  ひざまずいてポケットに入れた指輪を出す。アイツの顔を見ると、綺麗になったオデコには、真珠のような汗が浮き出ていた。目が合ってしまい、用意してた言葉も全部吹っ飛んで、気付けば心のままに叫んでいた。 「今まで見てきた中で、今日が一番綺麗だった! 結婚して下さい」  まるで見た目だけで選んだようなプロポーズだ。さっきまで、盛り上がっていた野次馬も白けて、声もなく引いている。ステージ上の司会者の男も額に手を当て、この空気を嘆いている。  俺は、背中と額に冷たい汗がドッと吹き出してきた。そんな中で口を大きく開けて、嬉しそうに笑うのは、アイツだけだった。 「だから、誰のためにしてると思ってんの! 言うのが遅いんだよ」  思いっきり頭を叩かれて、アイツは指輪を奪うように自分ではめた。その変わりと言っちゃなんだが、ハグを求めてきた。仕方なく、ゆるゆると抱き締めると、俺の胸の中で小さい声でキスを強請ってきた。踊った後で上気した頬と、有無を言わさない上目遣いでは断りようが無かった。俺は、二週間前にはニキビがあった場所へ、そっと口を付けた。  月日が流れ、今年も変わらず賑やかな祭りに俺達は参加する。アイツは踊り、俺は手を繋いでいる子供達とアイツに見惚れていた。去年までは子育てに勤しみすぎて踊れなかったアイツだが、今年は、なんとか間に合った。  子育て期間中に出来たニキビも、一つ残らず綺麗にして、今日も今日が一番綺麗な滑らかな肌だ。子供達も母親が綺麗になったことに喜んでいる。 「ママ、きれいだね」 拙い言葉で踊る母親を褒める。踊り終わって、ステージから降りたら、アイツに教えてやらなくては……。そう、思いながら綺麗になったアイツを阿保っ面で見ていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!