取材11日目

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取材11日目

久しぶりに出社したところで編集長に呼ばれた。 「お前あれさ、あのエリカの殺人日記、 週刊誌じゃなくて月刊のエッセイで連載しないかって話が来てるんだけど。」 急に呼ばれたと思ったらそんな話だった。 エッセイにするということはフィクションとして伝えるということ。 それはこの調査における目的が覆されるように思えた。 「ていうのも実はさ、あの連載の反響がでかいんだ。 面白い、次が楽しみっていうのが半分。 殺人鬼の同情なんかできない、嫌な気持ちになるからやめろ、が半分。 この場合だとエッセイにすれば誰も損しないんだよ。 こっちとしてもクレームに対応している時間はない。 月刊なら締め切りも時間があくし、お前も好都合じゃないか?」 反論しようと思っている間にあれよあれよと話が進み、 今週の週刊誌では続きを載せずに告知のみ、 続きは来月の月刊誌から載せることになった。 月刊誌の編集長は比較的穏やかな人で、 締め切り一週間前に出社して進捗の確認をしたらそれ以外は来なくても良い、存分に調査をして来てくれと言われた。 そしてまた突如一ヶ月の猶予が出来たわけだ。 そう思うと悪い話でもなかったように思えるが、 もう決まってしまったからこそ、そう思い込もうとしているような気もする。 とりあえず早々に会社を出て昇に連絡をする。 久々に来た会社はとても窮屈に感じて、 長い休みはよくないなと改めて実感した。 昇は本当にニートなのかと思うくらいのスピードで連絡が取れて、 喫茶店で待ち合わせることになった。 僕よりもだいぶこの事件にのめり込み始めている昇は、 とても精力的に調査に協力してくれていた。 「おはよ。今日会社じゃなかったの?」 A4サイズの紙が入るカバンが定番装備になった昇は、 さながら普通の会社のサラリーマンにも見える。 この事件を調べるようになってから、 昇は本当に生き生きしてきているように見えた。 対して停滞気味の自分に嫌気が差す。 「月刊エッセイに異動になった。企画ごと。」 はは、と朗らかに笑う昇はおそらく同情なんてしていないのだろう。 「そんなことよりさ、」と早々に話を切り出した。 「昨日もう一度あの店に行って来たんだ。 幸人くんから須崎雄太の住所を教えてもらった。 もぬけの殻だったって言ってたところだけど何かの参考になればってね。」 行動力に驚きを隠せないが、 その分話が進んでありがたいと思ってしまう自分に悔しさも感じる。 好きで調べてると言うから、本当に仕事をせず 調査に明け暮れているのかもしれない。 「今日はここに行こう。」 席に付いて落ち着く間もないままに立ち上がった昇に急いでついていく。 昇は自分の車で来ていたらしく、店を出て車の鍵を開けていた。 図らずも助手席に座ることになった僕は、 シートベルトを締め終わったタイミングで資料を渡された。 「これ、昨日幸人くんに聞いた薬物関連の資料。」 そこには色とりどりのラムネのようなものと、 ジェリービーンズのようなものが載っていた。 いかにも若い男女が好みそうな欧米のお菓子のような見た目をしている。 昇はナビに住所を入れて、運転を始めた。 「この店で扱うのは基本的にこの2種類らしい。 もっと種類は取り揃えてるけど、 言われないと出さないし他の店にも売ってるって。 この2種類は入手が困難で、東京ではここでしか買えないことになってる。 ラムネみたいなやつはMM[ムム]、 ジェリービーンズみたいなのはXA[テナ]っていうらしい。 どちらも正確な名称はわかんないけど、 ここ5年くらいで出て来た新しいやつで、発症は北欧の方なんだって。」 資料を見て驚いた。 「ちょっと待てこのテナってやつ、」 「何?」 「ウィスキー・ボンボンに似てないか?」 白い粉に包まれた淡くて色とりどりの液体。 それはこの間調べたウィスキー・ボンボンと全く同じ形と色だった。 そう言うと、昇が突然、大きな息を漏らして頷いた。 「そういうことか。」 「何が?」 「その2つ、副作用があるんだよ。 ムムは幻覚とかを起こしやすいけど高い高揚感を得られる。 テナはそれ以上の高揚感を得られるのにその類の副作用は出ない。 ただ使いすぎると、記憶を失うらしい。」 記憶を失う、その言葉ですべてが繋がった気がした。 エリカはこの薬物で、記憶を失っているということか。 「ってことは。エリカはテナを過剰服用した。」 「その可能性が高い。でも、確かめる方法がない。」 昇は前を見ながら少し困っているような表情をした。 エリカには薬物自体を使用した記憶がなく、 その時に犯した殺人についても記憶がないと言っている。 どうしたら確認ができるのかもわからない。しばらく沈黙が続いた。 人通りの多い信号で止まった時、昇が口を開いた。 「というか、そもそも精神鑑定的なものはしてないの?」 それは僕も考えたことだった。 警察は相変わらず協力体制もなく、 手掛かりはエリカの記憶だけだった。 「聞いた感じでは受けていないみたい。 現行犯の殺人で送検されてるから、 それ以外に関してはほとんど手が及んでないんだよ。」 「なるほどね。」 その後も沈黙が続き、 考えがまとまらないままいつの間にか眠ってしまっていた。
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