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お人よし
灯里の自己紹介を終えた途端、加賀は逃がさないとでも言うようにまた仁生の肩を組んできつく掴んできた。
仁生が不安げに加賀を見やると、加賀は三宅部長へ視線を移していた。
「悪いようにはしない。安心して大人しく待ってろ」
おろおろしていた三宅部長は、加賀の言葉を受け止めるようにややあって顔を引き締めた。
常に人の良いおっちゃんというような優しい表情をしているが、今の三宅部長は思いつめたような、危難めいた色を宿していた。
そして、三宅部長は仁生に頭を下げる。
その拍子に、三宅部長がいつも胸ポケットに引っかけているボールペンに施された可愛らしいうさぎのチャームが垂れて、呑気に揺れていた。
「藍沢君、しばらく東京で研修を受けてきてほしい。よろしく頼む」
警視庁で研修とか意味わからん。
俺は洋服店に就職したんやで。
仁生は混乱を極めていた。
就職してたった二週間。されど二週間。
社員数の少ない香川支店では、三宅部長から直接指導してもらったこともある。
皺がついてしまった商品にスチームアイロンをかける手順を教わったり、タグ付けをしたり。
社員数の少ない支店では全員ができないといけない大事な雑用だ。
入社して間もないので接客を任せてもらえるような立場ではない。
だが、三宅部長は丁寧にこれから自分が目指すべき社員像を示してくれた。
『当たり前だが人は異なる体格、体形をしとる。歩き方ひとつにしたって違ってくるんや。動きづらいイメージのあるスーツだが、お客様ひとりひとりに合うスーツを選んで差し上げられるような社員になっておくれ。仕事をするにしても、着心地が悪ければストレスになる。私たちにも無関係ではないからな』
毎日スーツを着て仕事をこなす洋服品店の社員も例外ではないと三宅部長は笑った。
人は異なる体格、体形をしている。
髪の毛だって、天然パーマだったりくせっ毛だったり、直毛だったり。
爪だって、細長いのか、丸いのか、幅が広いのか。
手足は長いのか、短いのか。
瞳の色や、大きさだって――。
違うことが当たり前なのに。
個性を大切にしようと誰もが言うが、人間は他人と違うことを嫌う生き物なのだ。
他人と違うことで抱く嫌悪感は、自分自身に向けるだけでなく、他人にだって容赦なく向けて攻撃する。
よろしく頼む、ともう一度縋るような声で、さらに深く頭を下げた三宅部長の姿を目にした仁生は了承せざるを得ない。
仁生は微笑みを崩さず、三宅部長に「はい」と返事を告げた。
三宅部長の説明は明らかに不十分だ。
どうして洋服店とは無縁であるはずの警視庁に研修へ行かなければならないのか。
仕事をしていれば、特に全国展開している会社ならば、急遽研修に行けと言われることくらいざらにあるのかもしれない。
だが、やはり急すぎないか。
いや、独身なので全くもって困ることはないし、平気なのだが思うところはある。
就活の真っ只中に、最初に内定をくれたのがアキヤマだった。
内定を断る理由もなく、ほとんどスーツを着たこともない自分がアキヤマに入社した。
はっきり言って会社に思い入れができるほど働いてもいない。
だが、仁生の中で長年培ってきた『お人よし』の性格が、入社して二週間という短い間だったとしても親切にしてくれた三宅部長のために行こうという結論を出す。
他人と違うモノを持って生れてしまった自分は、『お人よし』になるしかなかったのだ。
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