二幕 山鳴り

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 メジロの声が近くなる。同時に霊気とあの独特の桜の香も濃くなってきた。 「いやー! 静かにしてってばー!」  少女の声が耳に届く。あの時の声であるのは確かだが、それはあの時のような頭に直接響くようなものではなく、完全に耳から入ってくる肉声である。  何羽ものメジロが一か所に集まっている。何かを突ついているようだった。 「もう! 痛い! 痛いよ、痛いってばー! きゃーーー!!」  どさっ、という大きな音と共に木の上から何かが落ちてくる。それはちょうど棠鵺とレイの目の前に落下した。 「いっ……たた、ぁ……あ!」  腰や臀部をさすりながらなんとか立ち上がろうとする少女と目が合った。少女は「しまった」と言わんばかりに声を上げ、なんとも言えない絶望的な表情をその顔に浮かべた。  とても華やかな少女だった。ぱっちりと大きく見開かれた瞳が印象的で、まるで蜂蜜を溶かしたかのように美しいその瞳は、光の当たり方によって黄緑や橙や様々な色を見せてくれる。  若葉の緑が鮮やかな髪は(びん)だけが長く、後ろ部分は短い。その長い鬢は上の方を赤い組み紐で結んでいた。精霊族特有の長い耳には大きな紫水晶のイヤリングがされている。  服は精霊族の種族衣装で体のラインをよく魅せるが、少女の体つきは未だ幼く色香は感じられない。絹でできているのであろうその服は滑らかな光沢を持つ赤色だ。腰に巻かれた帯は錦で、後ろで蝶のように結われている。 「うっそぉ~……」  まだあどけない顔には驚きと困惑と、その他諸々の複雑な色が浮き上がる。心なしか、泣きそうな表情をしているようにも思えた。 「だ、大丈夫……?」  あたふたとする少女を見兼ねた棠鵺は、戸惑いながらもすっと右手を差し出す。少女は今度はまた違う種類の驚きを見せた。大きな目をパチパチとしばたたかせた直後、恥ずかしそうにはにかみながらその手を取って立ち上がる。 「あ、あ、ありがとう!」  少女は笑う。赤に染めた頬をふにゃんと緩める姿が何とも可愛らしい。立ち上がった少女は随分と小柄だった。ちょうど棠鵺とレイの身長差と同じ分くらい、棠鵺よりも低い。レイからして見れば、目線を下げなければ視界にすら入らないだろう。 「あ、あのね、あたしね、琅果(ろうか)っていうの! 普通にろうか(・・・)って呼んでくれて良いからね」  棠鵺の手を両手で包み込むように握りながら少女——琅果はそう名乗った。 「分かったよ。えっと僕は……」 「棠鵺くんだよね、知ってるよ!」 「え?」  彼女に続いて名乗ろうとするも、それは彼女の意外な言葉によって遮られた。 「あ、ごめんね。あのね、この山の木たちに聞いたんだよ。この山のみんな、ずっと君の話ばっかりしてるんだもん」  妖族が動物との意思疎通ができるのと同じように、精霊族は植物と意思を交わすことができる。琅果がここにやってきてからの時間を考えれば、彼女が棠鵺の情報を得ているのは何も不思議なことではなかった。 「そういうことか。すごいなぁ、植物にもちゃんと意思があるんだ」  当然と言えば当然のことなのだが、自身に分からない世界のことはこうして現実になるまではあくまでも空想でしかない。棠鵺にとって植物にも意思が存在しているというその事実はまさに新しい世界の扉が開かれたかのような感覚だった。  もしかしたらレイもそうだったのかも――と、お昼の彼の言葉を思い出し、ちらとレイを見る。「ん?」と言ってこちらを見るが、特に何を言うわけでもなく、棠鵺は笑ってごまかした。 「あとあと、そっちのお兄さんは神族だよね? この間落ちて来た!」  琅果はレイをこれでもかというほどに見上げながらニコニコと言う。 「間違ってはないけど、その認識は……いや、別にいいけど」 「だって、あたしがここに来たときにちょうど落ちてきたんだもん。もうビックリしちゃったよ」  そう言ってカラカラと笑う彼女の笑顔はこの春という季節に相応しい、生気に溢れたものだった。 「そうそう、彼女のお陰で助かったところもあるんですよ」  思い出したかのように、棠鵺がその時の経緯を簡単に説明すれば、レイは苦笑とも呆れともとれるようななんとも微妙な顔をした。  確かに、まさか自分の体が一度凍らされているとは思わなかっただろう。今更ながら少々申し訳ない気持ちを抱きつつ、しかしその気持ちはそっと胸の奥にしまっておくことにした。 「何はともあれ、世話になったことには変わりないな」  レイは自身の名を名乗るとともに、琅果に軽いお礼の言葉を告げる。彼の「好きに呼ぶと良い」という言葉を聞いて、琅果は若干頭をひねる。 「う~ん……レイ、さん? いや、レイくん……はおかしいし……う~ん……あ! そうだ、レイ兄だ、レイ兄って呼ぼう!」  琅果はまるで秒刻みで顔を変えているのではないかというくらいにコロコロと表情を変える。そうして自身の納得いく呼び方を見つけると「よろしくね、レイ兄」と言って、右手を差し出した。その差し出された右手を、レイはどことなく照れ臭そうに握る。それがまた嬉しかったのか、琅果は「えへへ」と笑みをこぼしながら、もう片方の手で、自身の二倍以上にも及びそうなその大きな白い手を包み込んだ。 「ところで琅果、聞きたいことがあるんだけど……」  棠鵺は漸く本題を切り出した。 「なぁに?」 「琅果は、何をしにここに来たの?」  回りくどいことは言わず、率直に聞きたいことを聞いた。  六つの世界は基本的には行き来が自由であるし、種族ごとに隔たれていなければいけないという掟もない。種族によっては険悪な仲のところもないではないが、交友なども全て含め基本は自由だ。  しかし異種族間での交配のみは禁忌とされる。  異種と言えどほとんど同じ身体構造を持つヒトであることに変わりはない。そうした者が複数集まればそこには自然と情が生まれる。理性ある者ならば良いが、全てのヒトがそうであるかと言えば答えは勿論否となる。そもそも生み出す力を与えられた生き物である。禁忌を犯すにそう時間はかからない。  どの種族も禁忌を犯すことを何より恐れる。それゆえ、互いの世界から極力出ないようにし、無駄な情や関係を生まないようにするというのが暗黙の了解である。  だからこそ、レイのような事故でなく、本人の意思で他の世界に訪れる琅果に疑問を抱く。 「あのね、怒らないで聞いて欲しいの」  先ほどまでの笑顔はどこへ行ってしまったのか。たちまちしゅんと沈んでいく彼女の表情に少々胸を痛ませながら、棠鵺は「怒らないよ」と話の先を促した。 「棠鵺くんね、せいしゅんせん(・・・・・・・)、って持ってるでしょう?」  その言葉に、棠鵺だけでなくレイの耳もぴくりと反応する。先ほどブリトマータに聞いた話を思い出しながら、二人は黙って彼女の話に耳を傾けた。 「ねぇ、精霊界の一番大切なものって、知ってる?」 「確か、千年桜、じゃなかったか?」  琅果のそんな問いかけに、レイがあまり自信なさげにそう答えた。琅果はぱちんと手を叩き、破顔する。 「そう、それ! 大正解!」 「せんねんざくら……?」  聞きなれないその言葉に、棠鵺はそれがなんなのかを問う。 「千年桜はその名の通り桜の木だよ。だけど、普通の桜とはちょっと違ってね、なんていうのかな……えっと、あらゆる品種の桜が混ざり合った、う~んと、合成獣(キメラ)みたいな……」 「き、きめら……?」 「いや、ちょっと違うなぁ。えっとねぇ、とにかく混ざってるんだよ」 「それは遺伝子を弄ったっていう意味か?」 「ううん。種子(たね)は弄ってないよ。千年桜の軸になってる木はちょっと特殊な霊樹なんだけど、その霊樹が他の木の魂を呼び寄せるの。そうするとね、その年ごとに違う樹の層が出来上がっていくんだよ。年輪ごとに違う樹になってる……って言ったら分かるかな?」  なんとなくは分かるが具体的には分からない――そんなふうに思ってか、レイも棠鵺も頷くには至らず、曖昧に「う~ん?」という言葉だけを返した。 「まぁ、それはおいおい説明するね。とにかくそんな千の年輪によって成る樹が千年桜。それでね、その千年桜なんだけど……今年、咲かない可能性があって……」
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