二幕 山鳴り

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 今年の立春直前に、精霊界の都で謀叛が起きた。当時の上帝とその皇后が弑され、城は完全に炎に包まれた。琅果は命からがら逃げだしたものの、既にすべては叛逆軍の手の中だった。当然ながら千年桜も炎に呑まれてしまった。  しかしながら、あの樹は特殊な樹であるため、軸の根さえ残っていれば再生することは十分に可能だ。とはいえ、それには毎年巫女が奉げている儀式が必要で、それを行わなければ千年桜はたちまちその身を枯らしてしまう。本来ならば立春の日にその儀式を行う必要があったのだが、そんなごたごたがあってはそうそう儀式などできようはずもない。  たった一年くらい問題ないはずだ――というのがその時の都の総意ではあったが、立春を過ぎて雨水、啓蟄と節気を跨ぐ度、千年桜は目に見えてやせ細っていった。これでは一年も持たないと、春分に慌てて儀式を行うも時すでに遅し。千年桜はあれよあれよとその幾重にも重なった年輪を剥がしていった。  千年桜は単なる精霊界の象徴ではなく、実際に精霊族に多大なる恩恵をもたらしてくれる存在であり、それはすなわち人間やその他の種族にも間接的に恩恵がもたらされている、ということだ。  その樹に花がつかない、枯れてしまうというのは六界にとっても非常事態となり得る――…… 「ってことで、どうにか千年桜を生き返らせなきゃって思ってね……」  それまで明瞭だった琅果の声がそこで曇った。彼女が何を言わんとしているのか、それだけで棠鵺は理解する。 「それで青春扇が必要なんだね?」  棠鵺のその言葉に、琅果は何も言わず静かに頷いた。今にも泣き出しそうな顔で、不安そうに棠鵺を見上げる。  青春扇は儀礼儀式に於いては健康や成長を願う為のものではあるが、それ以外で使用する場合には、()をある種の養分として与え、精神を癒し、心体のバランスを調整することができる。植物に対して使えば花や実を強制的に付けさせる効果もあるし、老いた動植物を若干ではあるが若返らせることも可能だ。  彼女がどこでその情報を得たのかは知らないが、青春扇を求めたのはその力を頼ってのことなのだろう。 「ただ、青春扇(これ)は僕にしか使えないから……うん、僕も一緒に精霊界に行く。それでも良い?」  琅果の瞳に光が差した。それはまさしく希望の光であり、琅果は泣きながら何度も何度も感謝の言葉を述べた。 「ちょっと待て、お前本気か?」  だが、その言葉を手放しには承認できない者もいた。レイは怪訝に眉を顰め、棠鵺に詰め寄る。 「妖が精霊界に行くなんて、正気の沙汰とは思えない」  そこにあるのはけっして嫌悪や怒りではない。ただただ純粋な心配の気持ちそのものだった。 「確かに、まぁ、思うことがないわけではない……ですけど、きっと大丈夫ですよ。きっと」  棠鵺は力なく笑う。実際、怖くないのかと言われて「怖くない」と答えたならそれは嘘だ。しかしかと言って、目の前で涙を流している少女の想いを全て無視して、「怖いから僕は行かない」とも棠鵺には言えなかった。  そんな二人のやりとりをどこかおろおろとした様子で伺っていた琅果ではあったが、妖族と精霊族の歴史を考えれば当然のことであり、無理を言っている側としてそこに口を挟むなどできようはずもなく、不安げに眉を寄せ、ただ二人の会話を見守っていた。 「ロウカ、聞きたいことがある」 「はい! なんでしょう!」  突然話を振られた琅果はぴょんと肩を跳ねさせ、反射的に返事をする。 「千年桜が咲かないことによる弊害というのはどういうものだ?」 「えっと、えぇっとね……千年桜は、陰の気を陽の気に変換する力があるんだよね。だから、千年桜が咲かなくなると、えっと、精霊族は霊気を安定して得ることができなくなる、という、か……」  次第に琅果は言葉を曖昧に濁していく。 「なら、千年桜が枯れることは、妖族にとってはいいこと(・・・・)なんじゃないのか?」  レイのその言葉に琅果はビクッと身を震わせた。 「うん、そう、そうだね。そういうことに、なる、よね……」  精霊族が陽の気を糧として霊気を扱うのに対し、妖族は陰の気を糧として妖気を扱う。そもそも妖族と精霊族は相容れない存在であり、それゆえに歴史上の確執も多い。 「でも、でもね……最近ね、ここ数十年ね、その、戦争が多いでしょ? 人間界で……」  琅果は震える声をどうにか絞り出し、必死にレイを説得しようと試みる。 「人間だけじゃない、魔族も最近なんか不穏な感じだし、天界もなんかおかしいし、どこの世界もバランスが陰に偏ってるんだよ? 人間界でも妖術が暴走する事故が増えてるんだよ? それは妖族の絶対数に対して、陰の気が溢れすぎてるからで、だから完全に容量を超えちゃってて……とにかく! このままだと精霊界を維持することができないの!」  最後の方はもはややけくそにも近かった。琅果は声を荒らげ、自身よりもずっと大きいレイに一歩も引こうとせずに食い下がる。 「そもそも! 神族がちゃんとやってくれないからいけないんでしょ? 妖族がこんなに減っちゃったのも、人間界でこんなに戦争が起こるのも、魔族がよく分からないことしようとしてるのも、全部全部、神族がちゃんとしてくれないからじゃん! そのしわ寄せがこっちに来てるの!」  そう言われてしまっては立つ瀬もない――レイはそれ以上の反論の言葉を見つけることができず、口を噤んだ。わずかな沈黙。そして、直後に盛大な溜め息。完全に負けだ。 「……お前の言う通りだな。悪かった」  琅果は「ふん!」と鼻を鳴らして腕を組む。 「分かってくれたならいいよ!」  立場は完全に逆転してしまった。実際の大きさはどうあれ、今はレイよりも琅果のほうがよほど大きく見えてしまう。その現状に少しだけくすりと笑いつつ、棠鵺は「じゃあ」と二人の間に割って入る。 「僕は精霊界に行く、ということで。納得してもらえますよね?」 「あぁ。わかった……」  それでもどこか不服そうなレイに対して、琅果は「そうだ」と手を叩いた。 「レイ兄も一緒に来れば良いんだよ!」 「は?」 「うんうん、すごくいい考えだと思う! あたしってやっぱ天才だなぁ」 「お前は何を言っているんだ?」 「だって棠鵺くんのこと心配なんでしょ? でも棠鵺くんに来てもらわないとあたしは困る。だったらレイ兄も一緒に来て、棠鵺くんのこと守ってあげればいいよ。精霊界もほぼほぼ鎖国状態とはいえ、さすがに神族が来たら多少は大人しくなるでしょ。うん、いい考えだと思う! レイ兄もおいでよ!」  と、一息で捲し立てられてしまえば、もはや反論の余地はない。どうにかその言葉を絞り出そうとしてはみるものの、断るだけの理由もなく、出てきた言葉は全て説得力に欠けるものばかりだった。何かを考えるように何度も何度も口を開くが、結局そこから何か意味のある言葉が出てくることはついぞなく、レイはまた一つ溜め息を吐いた。そして――…… 「分かった。トーヤが良いならそれでいい」  とだけ言って、棠鵺を見る。 「え、本当に良いんですか? 本当に?」  もちろん嫌などと感じるわけもなく、棠鵺にとってそれはむしろ有り難いことに他ならなかった。棠鵺のそんな言葉に、レイは一度だけ頷き、その後ふいと目を逸らした。 「よし、じゃあ決定だね! 一緒に精霊界に行こう!」  その後詳しく話を聞いて分かったことだが、里の男たちはどうやら彼女の放つ香りによって誘発された聖樹――つまりあの桃の木の霊力に誘われて半ば催眠状態で山に侵入してしまったらしい。琅果曰く、あの聖樹は元々は精霊界にあったもの、つまるところ霊樹であり、催眠或いは催淫作用のあるものとのことだ。  とはいえ人間界の空気でそこまでの力を発することはまず有り得ず、それゆえにこれまでは何事もなく平穏にやってこられたのだろう。しかし、今回琅果がここにやって来たことにより、本来の力が覚醒――結果として、里の男たちを呼び寄せることになってしまった、ということだった。  結局あの後、ブリトマータと棠鵺が上手く人間を誘導して、多少の怪我人は出たものの、大した被害もなく全員を里に戻すことができた。 「あの樹の霊力の大半はあたしがもらってきたからもう大丈夫、だと思う。あとね、えっとね、その時にね……」  夕食を食べ終えた後のほんのひととき。今回の事件の真相を語ったのち、琅果はどこか言いにくそうにそわそわと視線を泳がせる。しかし意を決したように一度頷き、その大きな瞳でまっすぐに棠鵺を見据えた。 「ごめんなさい! あたし、その扇盗もうとしました!」  言いながら琅果は畳に頭を擦り付ける。 「でも、盗まなかったんだよね?」  棠鵺はそんな彼女の頭を軽く撫で、「頭をあげて?」と促す。目端に涙をじんわりと滲ませながら、琅果は恐る恐る顔を上げた。 「うん、だって、その……そういうことして治してあげても、きっと千年桜は喜んでくれないって思って。何より、やっぱり、山のみんなにこんなに愛されてる棠鵺くんが困るの嫌だなって、思って……」  それは言い訳に過ぎないかもしれない。しかし、ヒトには誰しも魔が差してしまう瞬間はあるものだ。そんな中で自らの理性によって思い留まることができたのなら、それは言い訳ではなくれっきとした行動規範である。  棠鵺は琅果に「ありがとう」と一言告げた。 「千年桜、元に戻ると良いね」  棠鵺のそんな一言に、琅果は嬉しそうに、しかしどこか寂寞を含んだ瞳で破顔した。
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