三幕 綿津見の住処

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「いや、お前の方からオレを頼って来るなんて初めてだろ? しかも他にも知り合い連れてると来た。その上更にオレの話をしているようだと潮風が言う。期待に応えて派手な登場しなきゃならんと思ったわけよ」  びしょ濡れになった衣服を脱いで絞り、次いで全身に着いた砂を払い落としながらスィールは言う。そして日に焼けた褐色の肌にはよく映える白い歯を剥き出しに、ニカッと愛想のよい笑顔を見せた。 「今の話からどの辺にお前への期待が込められていると……?」 「そうツレないこと言うなって! 俺とお前の仲だろ?」  体の砂を払うと、今度は陽の光を受けてキラキラと輝く髪を乱暴に掻き、やはり砂を払い落とした。 「あぁ、もう何百年も音信不通だった俺とお前の仲だな」 「いや、それは、まぁ、そうだけど? でもそれ半分はお前がずっと寝てたせいだからな? まぁ、いいや。それで? 最近どうよ?」  スィールはレイの肩に手を掛けようとするが、それは見事にかわされた。行き場を失った腕は何事もなかったかのように彼の腰へと戻っていき、そしてスィール本人もやはり何事もなかったかのように豪快に笑う。 「ブリトマータに会った」 「へぇ? どう? 元気だった?」 「相変わらずだった……っていうかお前、こんな近くにいるのに会ってないのか?」 「そりゃ、俺は海。アイツは山。相容れるわけがないだろ?」 「そういうものか……」 「いや、俺はね? 仲良くしたいと思ってるよ? でもさぁ、マルタちゃんさぁ、あれで乙女だからもう鉄壁で。もはや城塞だな。ほうほう、で? あとは?」 「あとは、特には――……」  レイのその言葉に、スィールは至極残念そうに肩を落とした。そして盛大に溜め息を吐き、今度は見事にその両手でレイの肩を捕まえる。 「お前……お前さぁ……何もないこたないだろ? 俺はあっちの二人紹介してって話をしてるわけよ。ついでに出会った経緯とかあるんじゃないのか?」 「あぁ、そういう……」  言いながら、レイは少し離れたところにいる棠鵺と琅果を手招きで呼び寄せた。 「よう! この仏頂面が世話になってるみたいだな。俺はスィール……ん? この場合は綿津見(わたつみ)って名乗った方が良かったのか?」 「知るか。勝手にしろ」 「それもそうだな。まぁ、好きな方で呼んでくれ。で、二人は?」  突然話を振られた二人はおずおずと前に出る。そして軽く頭を下げた。 「えっと、やまなしのぬえ、と申します。とうや、と呼んでもらってます」 「琅果です。あの、この度はあたしの用事でお邪魔してしまって、その……」 「いやいや良いって気にするな。お陰で旧友にも会えたし、礼を言いたいのはこっちだ。ところで、用事って結局なんなんだ?」  気さくな口調で人の良い笑顔を見せるスィールを二人は見上げる。  やはり神族と言うべきか、背がとにかく高い。レイよりやや低い程度の身長だ。琅果は首が痛くなるのではないかというくらい上を見ている。  その精悍な顔立ちは整ってはいるものの、平凡と言えば平凡だ。だが海のように深い青をした瞳はとても力強い光を宿しており、一度見たら忘れることなどできないであろう程に美しい。そしてそれはけっして威圧的な強さではない。優しさと激しさを伴った強さである。  見たところレイやブリトマータより少しばかり年上の印象を受けるが、神族の年齢は外見と比例しない。どれくらいの年月を生きているのかということは疎か、レイとどちらが長く生きているのかすら判断できない。  しかし、先程から湛えている明るく朗らかな笑顔はとても親近感を覚えるもので、本来ならば遠い存在であるようにはとても思えなかった。 「えっとですね……」  赫々然々と事情を語る琅果の言葉に、スィールは適当な相槌を打ちながら耳を傾ける。  そうして一通り聞き終えたスィールは浜辺に座り込み、頬杖をつきながら三人を見た。 「なるほどなぁ。潮の干満ねぇ。それは最近魔界の……なんつったかな、なんとか博士が提唱した説だな。反対意見も多いが、俺は正しいと思うぜ」  記憶を探るように宙を見ながらそう言って、スィールは実際に自分が感じていることについて軽く三人に説明した。  曰く、確かに潮の満ち引きは上界と下界で逆になっているらしい。それが界層を超えることとどう関係するかまではなんとも言えないが、しかし実際こうして自身が海境という直通路をつくることができているあたり、海には特別な何かがあるというのはあながち間違っているとは思えない――というのが彼の弁だった。 「よく知ってたな。俺は全然知らなかったんだが」  レイが感心したようにそう言えば、スィールは自慢げにと鼻を鳴らした。 「そりゃ神界は魔界と仲が悪いもんよ。そもそも遠いし、あいつら魔族の言うこと全部無視するじゃねぇか。だから神界には頭の固い化石みたいな奴しか残ってないんだよ。俺は魔界にもよく行くから色々聞くけどさ」  それだけ聞くとレイは「あぁ、確かに」と納得したように頷いた。 「でも、そうか。知ってるなら話は早い。スィール、満珠(まんじゅ)をいくつかくれないか?」 「そりゃ別に良いけどよ、だったら最初から言っといてくれよ。んなもん、普段から持ち歩かねぇし。一応海の秘宝だからな」 「そうか、悪かった……」 「いや、悪いっつか、俺は別に良いんだけど、これから海の中戻るから時間かかるぞ?」 「それは、別に……」  構わないよな? とレイが振り向けば、そこにはとても不服そうに唇を尖らせた琅果と、「何がなんだか分からない」と苦笑する棠鵺の姿があった。 「レイ兄、全っっっ然話についていけない」  琅果が片手を上げて、真顔でレイを見ながらキッパリと言う。同意するように棠鵺も一度だけコクンと頷いた。申し訳ないという色を顕にしながら。 「あ、あぁ……悪い、どこからだ?」 「ほぼほぼ最初から」  琅果は不満げに言いながら腰に手を宛てる。 「なんだよ、何も教えずにここまで連れて来たのか?」  スィールに軽く睨まれ、レイはその視線をかわすようにあらぬ方向を見た。 「ごめんなー。こいつほんっとに必要なこと何も言わないからなー」  にこやかに棠鵺と琅果の方へ向き直り謝罪の意を述べるが、その肘はレイの脇腹を思い切り打つ。エレイスは声にならない声を上げ少しばかりよろめく。未だ完治していない傷に響いたらしい。 「レイさん!? 大丈夫ですか!?」 「てめっ……後で……覚え、てろ……っつぅ……!」  思わず駆け寄った棠鵺の腕に軽く縋りながら、レイはスィールを睨み返す。それを見たスィールは愕然を浮かべ、「いやいやいや」とその事実を否定するかのように首を振った。 「え、なにお前、怪我してんの? いやいやいや嘘だろ? え、マジで? どれくらい経つんだ?」  スィールのその質問に、レイは口を噤んだ。 「もう一月近く経ってると思います」  代わりに答えたのは棠鵺だ。  レイが答えなかったのには何か知られたくない事情があったのかもしれない。それは分かっているのだが、あまりにも怪訝にそう問うスィールの様子に、やはりこれが異常なことなのだと棠鵺は確信した。もしも何か有用な情報を得られるなら――そんな思いでレイの意思をあえて無視する。 「は? 一ヶ月? マジで言ってんのかよ? いや、マジ、なんだろうな……そうか……」  やはり怪訝に眉を顰めたままスィールはまじまじとレイを見た。 「う~ん……まぁ、良いか。俺にはなんとも言えん。とりあえず気をつけろよ、とだけ言っとくわ」  スィールはふっと息を軽く吐き、体を解す仕種をする。そして改めて琅果の方を見た。  棠鵺は聞くことを諦める。流したということは、スィールもあまり関与したくないということだ。  一瞬抱いた期待をそっと心の奥底に押し込め、棠鵺は「わかりました」とだけ呟いた。
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