四幕 海境

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四幕 海境

 島には少し大きめの木が十本弱生えているだけだ。中心部に小さな、それこそ水溜まりのような泉があり、その近くに一つの祠がある。それは異様な存在感を持っていた。  気にしなくても良いものであると思いながら、どうしても無視することができない。  早く精霊界へ向かわねば――それは分かっている。分かってはいるのだが。三人の足は自然とそれに向かっていく。  木でできた小さな祠だ。屋根となる部分の縁にはいくつもの鈴が垂れ下がっていた。  風が吹く度にチリン……シャラン……と涼やかで、優美な音が響く。  祠の中には木札が立て掛けられている。棠鵺は祠を覗き込みその文字を読む。海は未だ光を放っており、不自由はしなかった。 「えっと……綿津見在りし国……通ず……? 八咫の……(かささぎ)……映せ、水鏡…………がる……は、海の……界……? 所々掠れてて読めないけど……」 「どういう意味なんだろうね?」  棠鵺にたどたどしく読み上げられた言葉の意味を、琅果は顎に手を宛てながら考える。そして棠鵺の脇からひょいとそれを覗き見た。 「綿津見……は、スィールさんのこと、ですよね」  棠鵺はレイに同意を求めるように視線を送った。レイは何も言わずにそれを首肯する。 「ってことは、『綿津見在りし国』は神界で良いのかな? 国っていうのが気になりますけど……」 「つまり、神界に通じてるってこと?」 「じゃないのかな?」  琅果の問いに、棠鵺は曖昧ながらもそれを肯定した。 「八咫の……なんだろう? 完全に読めないな。その後に鵲って書いてあるから……カラスのこと? 八咫烏と鵲?」 「ねぇ、八咫烏ってなぁに?」 「えっと、足が三本ある大きい烏なんだけど……」 「あぁ、金烏様か!」  さらりと言った琅果を、棠鵺はぎょっとして見る。 「え、だって、金烏様って太陽のことでしょ?」 「そうそう。お昼に浮いてるあれだよ」 「カラス……太陽……?」  棠鵺と琅果のやりとりを聞きながら、レイがぼそりと呟く。僅かに目を伏せ、何かを考えるように宙を見る。  祠の鈴が揺れた。波音を皹割るような高い音が鳴り響く。ざわりと揺れる木々の影や擦れる葉の音がそれらと相俟って奇怪なハーモニーを奏でる。レイの口が再び開かれるのはそれから数分の後だった。  レイは俯き気味だった面を上げ、「あぁ、思い出した」と口にする。 「太陽神(ダグス)神獣(ペット)が、確かでっかい金色の烏だった」 「だぐす……?」  突然出てきた言葉に若干戸惑いの色を見せつつ、棠鵺はレイを見る。その視線を受けて、レイは「ん? あぁ」と二人を見た。 「ダグスはいわゆる太陽神だ。あいつは下界には絶対に降りて来ないが、人間に直接恩恵をもたらすこともある。そういうときに神獣の烏をこっちに使いに出してた、気がする。そのときに神通力の媒介として八咫鏡っていうデカい鏡を持たせてたな、と。あの烏はさすがに寿命で死んでるが、ダグスは今も元気に生きて……る、と思う……」  最後の方はどこか怪しい口調ではあったが、言いたいことは何となくわかった。そしてここに書いてあることもなんとなくわかってきた。  つまるところ、レイも琅果も太陽の話をしている。そうなると次に来る鵲だが――……棠鵺は遠い昔の記憶を呼び起こすように思考に耽る。昔、誰かが読んでくれた、遥か昔の物語―― 「そっか、鏡……鏡なら確か……」  棠鵺は夜空を見つめる。海の光も弱くなり、星の輝きは正常に戻りつつある。早くせねば周囲は再び闇に染まる。だがまだ明るい。まだ光はそこにある。 「鵲の鏡は、月のこと、だったと思います…」  棠鵺は夜空を見上げたまま、ぼんやりと言う。そしてハッとして二人を見た。 「これ、繋がりませんか? 『八咫の鏡・鵲の鏡映せし水鏡』……後に『水鏡』って言葉が出ているし、懸けているのなら有り得るかも……」 「太陽と月を映す水面ってことか?」  考え込む二人の前で琅果が挙手の形を取る。 「ねぇ、此処に祠があって、神界に通じるものがあって、それが水鏡だって言うなら、この泉が、その、うなさか、なんじゃない?」 「まさか……。海境は海中にある、筈だ…」 「はず、ですか?」 「……少なくとも、天界、冥界のは海底洞窟の更に奥にある。それに、スィールは水の神じゃない。海の神だ。海でしか力は発揮できない……」 「海底洞窟……」  棠鵺は泉の淵に屈んでそれを覗き込んだ。そこで違和感を覚える。  下からコポ……と泡が昇って来ていた。底は見えない。深い、深すぎる闇がそこにはある。  棠鵺は泉に手を入れる。ずぶりと肩まで浸しても、底に手はつかない。  鈴が一際大きな音を奏で始めた。  つん、と磯の香りが鼻をつく。 「あれ?」  棠鵺は急いで腕を引き上げ、においを確認した後、指先をペロリと一舐めした。 「これ、海水ですよ」 「本当か?」 「ってことはこれ、海なんだ?」 「そうみたい。腕が届く位置に底はないし……もしかしたらもっと深い場所で海に繋がってるのかも……。スィールさんにかけてもらった術は、まだ効果があるんでしょうか?」 「……まだ消えてはいない」  棠鵺は無言で泉と思っていたそれを見つめる。そして、すっと息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。  何をするのかと、レイと琅果が見守る中、棠鵺は再度扇を取り出した。今度はそれが白秋扇であることを理解して一払いする。  すると先程とは違い、一つの光の玉が下へ、下へとゆっくり降りて行った。  光の玉は何処までも落ちていく。しかし周囲は闇だ。それが見えなくなることはなかった。  ふとそれに影が差した。棠鵺は何事かとそれを凝視する。そしてそれとは別に、もう一つ、キラリと光るものがあることに気付く。 (魚……?)  光の降下は止まった。思ったより大分深い。  棠鵺はしゃがんだまま二人を振り返る。 「あの、下に何か……います……」 「魚じゃなくて?」 「それがよく分からなくて……見に行くのは、やっぱり危ないですよね」 「それはさすがにやめてくれ」  棠鵺は下を見る。何かが底にある。それも、最低でも二つ。光る何かと、動く影。  棠鵺は再度目を凝らす。瞳孔は完全に開いている。それは暗さの為でもあるがそれだけではない。さながら獲物を見つけた獣のようだ。  黒い影は動いている。いや、寧ろ、蠢いている。ゆらり、ゆらりと水に揺蕩うような緩慢な動きでありながら、それは時に俊敏にも動いていた。その大きな動きとは別に、全身が小刻みに左右し、靡くような動きも見せる。魚と言うよりも軟体生物のような、何となく気味の悪いものを感じる。  影は一瞬見えなくなるも、すぐさま光の近くに戻ってくる。  どうやら底の方には広い空間があるようだ。ただ、ここから延びている縦穴の幅は人が二人入れるかどうかしかない為、その空間がどれ程のものかまでは見ることができない。 「棠鵺くん、大丈夫?」 「うん……」  水面を凝視したまま言葉の続きを発さない棠鵺が心配になり、声をかける琅果。しかし棠鵺は尚も水面を見つめたまま、曖昧に返事を返すだけである。
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