終幕 麒麟門

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終幕 麒麟門

 あの戦いが過ぎてから早半月ほどが経った頃。ずっと眠り続けていたレイが、漸くその巨躯を起き上がらせた。  何があって今は何年で、ここは何処だっけ? などと思いながら周囲を見渡せば、そこには見慣れた二つの顔があった。 「レイ兄、おはよう!」 「おはようございます」 「……あぁ」  それだけ言って、レイは二人を見る。別段変わりはないようだった。ついでに小さい虎が琅果の膝の上に乗っている。その虎に何か違和感を覚えつつも、それはさておき、何があったのかと記憶を辿る。そうだ、心臓を渡したんだと思い出して、自分の胸に手を当てる。相変わらず人間界に堕ちた時の裂傷はなくなっていないようだが、今回の戦いの傷は既に完治しているようだった。 「あいつ、タイラは?」  途端に、二人の顔が陰る。そんなまさか――と一瞬にして血の気が引き、冷や汗が出た。 「レイ殿のお蔭で、体は生きてはいるのです」  そう告げるのは棕滋だった。深い眠りに着く颱良の隣で、彼は神妙な面持ちでそう告げる。 「ただ、意識が戻らない」  レイは颱良を視る。何度も何度も、確認するように視続ける。そして、眉間に皺を寄せ、「残念だが――」と口にする。その瞬間、皆の表情が硬くなった。 「魂が、ない」  しかし、出てきたのは思っていたのとは違うもので、一同は首を傾げた。 「魂がない、とは……」 「そのままの意味だ」 「それはつまり、彼はもう亡くなった、ということでしょうか」 「いや、微妙に違う」  レイはどう伝えるべきか考える。少しの逡巡を経て、ゆっくりと口を開いた。 「死というのは、肉体の停止と魂の解離が同時に起きている状態だ。この状態の蘇生は反魂の禁に当たる。そして肉体の中に魂がある状態で肉体が活動を停止しても、まだ生き返る可能性は高い。心臓マッサージとかいう、人為的な蘇生術はこれに該当する。で、最後。肉体が活動を続けている状態で魂が解離すると、なんつーか、自我、自己同一性(アイデンティティ)を失う。つまり、自分が誰だか分からないし、何をすべきかも分からない。ただ本能に忠実になるしかない――混血種のそれだ」  そこで一度言葉を切り、皆の理解が追い付いていることを確認する。 「ただ、タイラの場合は肉体の記憶があるから、混血種みたいに暴れることはないはずだ。けどその分、自分の記憶の整理ができなくなって、脳の活動がキャパシティを超えてるんだろう。こいつは今、多分夢の世界で自分の記憶を見続けているはずだ」 「それを治すことはできるのでしょうか?」 「魂さえ戻れば問題ない。ただ、早くしないとそれこそ手遅れになるとは思うけど……」 「魂を戻すためにはどうしたら……」  レイは一瞬黙り込む。そして「半月」と呟いた。 「半月も経ってると、正直探すのは難しいんだが……その、めい、界に行けば、できないことは、ない、はずだ……」  それまで滔々と話していたにも関わらず、冥界という単語が出た瞬間に途端に挙動がおかしくなる。 「冥界?」 「あぁ、冥界……でも、この時期に冥界に行く方法なんてそうそうないし……」 「あります」  棕滋は即答した。  遥か昔に失われたと思われていたある一つの門――麒麟門が、先の騒動によって露見することになっのだ。麒麟門があったのは、千人桜の花壇の真下で、今まではその存在によって秘匿されていたらしい。  散々破壊されてしまった宮中の跡片付けをしつつ、それを見つけたのは雪晃だった。報告を聞いた棕滋が「それは麒麟門だ」と言えば彼女は欣喜雀躍し、「やっぱりあったのね」と得意げに鼻を鳴らしていた。  して、その麒麟門なるものはどこに繋がっているのかと言えば、どうやらそれが冥界であるらしいのだ。  麒麟という霊獣はとても神聖なものであり、太平へと導いてくれると言い伝えられている。その麒麟が司る門の先にあるのは、魂の安寧の地――すなわち冥界なのではないか、とのことだった。 「いや、冥界は、そんな、安寧とか神聖とか、そういうのじゃない、と思う」  その推測を尽く否定するレイではあったが、しかし今は人命が何よりも大事だというのも分かっている。嫌そうな気配を隠そうとしないものの、しかしなんやかんやと冥界に行くことは了承した。  当然ながら琅果と棠鵺も一緒に行くことになるわけだが、レイはそのことをどうしても呑み込みたくないようだった。理由を聞いてもはぐらかし、「行かない方が良い」「怖いから」の一点張りである。 「あたし、そんなに怖がりじゃないから大丈夫だよ! それに颱良の魂なら、あたしが居た方が絶対すぐに見つかるって!」 「僕も怖いのは寧ろ楽しみというか。あと、精霊界でお世話になるのはやはり気が引けてしまって……」  自信満々にそう言う琅果と、困ったように苦笑しながらそう言う棠鵺を見て、きっと何を言ってもついてくるのだろうと、レイは遂に諦めた。 「あぁ、そうだ。どうせ冥界に行くんだから、アレも持っていくぞ」  アレと言われて一同は皆すぐに理解する。氷漬けの妖精だ。  今はすやすやと大人しく眠っているが、しかし氷の中ですらその肉体を再生し始めていた。今となってはすっかり面妖な美しい容姿を取り戻している。  このまま精霊界に置いておくのは危ないということで、早々にどこかに閉じ込めたいと思っていたため、ちょうど良かったというよりない。  それから数日間の準備期間を設けて、三人は早々にその麒麟門と言われる、地面に接する円状の門を開いた。その瞬間、レイは元々青白い顔を更に青ざめさせて「あ、これは冥界だ」と呟いた。 「レイ兄、そんなに冥界が怖いの?」  悪戯にそう問う琅果に、レイは矜持も何もかなぐり捨てて「すごく怖い」と一言。  それを聴いてはどんな場所なのかが気になるのは当然で、琅果は「早く行こうー!」と彼の背中を蹴り押したのだった。  ***  ――その前日の夜。 「あたしは、やっぱりあんたを許せないし、許さないけど……でも、それでも生きててくれて良かったな、とは思うよ」  その髪を結ぶ赤い組紐は彼の髪色だ。蝶のように結ばれたそれを解きながら、そういえば、あいつもまだあたしの髪色の組紐で髪を結んでいたなと思い出す。そう、先端の玉も相当揉めながら一緒に選んだのだった。  周囲には誰もいない。朱雀門から出てすぐの湖――そこで一人、湖に浮かぶ星を眺める。 「大好きでした。大好きだったよ。でももう、今は――」  愛よりも憎が先に来てしまう。そんな気がした。 「だから、もう、ばいばい」  ぽちゃん、と水の跳ねる音がする。  二人を結ぶ思い出の組紐は、静かに夜の湖畔に沈んでいった。  第一章  「朽ちし桜と舞う巫女に、春よ呪詛の嘔を詠め」 完                             第二章に続く……
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