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僕はアンドレにもう一枚のシャツを譲ってやらなかったことを少し後悔しながら座席へ戻った。
溜め息が出た。書くことを決めたとはいえ、まだ何も始めていないことを考えると、結果的に僕は目の前の問題からただ逃げてきたようなものだった。
状況はこれまでと何一つ変わっていなかった。
眼下に広がる曇天を映した暗い灰色の湖は、僕の心そのもののように思われた。
今の僕には遠くにある大切なモノが本当に見えているのだろうか?
突然、屋根のスピーカーがバリバリと音を立てて、途中からの音楽がデッキに流れ始めた。
それは来た時と同じ、曲名の分らない西洋の定番ソングのインストルメンタルだった。
相変わらず、曲名や作者は思い出せなかったが、そんなことより僕は当然のように、あることを期待して船の舳先のほうへ目を遣った。
しかし残念ながらそこに、腰高のポールに手を添え、リズムに合わせて腰をくねらせる綱持ち小僧の姿は無かった。
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