ヒンメリ

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ヒンメリ

ヒンメリを作る。海の向こうの大陸で収穫されタンカー船で港へ運び込まれた大麦の藁に鋏を入れる。事前に水を張った洗面器に浮かば せて湿らせたので、水を吸った麦は音もなく柔らかに切れる。長さは四センチ。音もなく机の上に敷いた布の上に転がる。麦わらが全部で 百本になるまで切ってゆく。 二年前から結婚相手を探していた。理由は両親が老いたこと。自分自身も病気をして、一人では生きていけないと分かったことだった。 仕事が安定したこともあった。今を逃せば子供も難しくなる。結婚相談所に入り、数人と会い、話しをした。 銀色の毛糸用針に、七十五センチに切った中細毛糸を通す。白い毛糸の先端を結ぶ必要はない。三本通したら、糸を結ぶ。すると三角形 ができる。糸端を上にして、さらに二本通す。最初に作った三角形の右下の頂点に結び付けて下向きの三角形を作る。同じように二本通し てまた頂点に結び付け、二本通して頂点に結び付け、を繰り返す。 結果は振るわなかった。パーティーに参加しても、知人から紹介されても、成果はない。数十人と会ったこの二年間で得たものは、会っ た瞬間手ごたえがない相手と分かる技術だけだった。少しずつ諦め始めた。その代わりに仕事に励むようになった。平凡な仕事だがやりが いを見つけると楽しく忙しい。 常に右に向かって三角形を作っていく。上向きと下向きの三角形、五個ができたら、麦わらを一本通す。残してきた糸端と麦わらを一本 通してある長い方の糸を結ぶと立方体の逆三角形ができる。平面だった麦の欠片たちが立体になる瞬間だ。麦わらと糸を立体にする方法を 、昔の人はよく考えたものだと感心する。針と糸を一番近い麦わらにもう一度通す。 ある日旅費計画の確認と決裁をプログラミングして効率化できないかと思った。上司にも話し、快諾を得た。毎日そのことしか考えてい なかった。デートの相手に話すほど打ち込んだ。過剰に集中し、そして壁に当たった。元の調子を取り戻す必要があった。何か物を作るこ とにした。完成すれば答えが見えてくる気がしたからだった。自分の至らなさにも解けない問題にも。 緯度の高いフィンランドの冬は滅多に太陽が昇らない。北方では数か月太陽が顔を出さないこともある。だから人々は昼の時間が長くな っていく冬至を特別に祝う。豊穣のシンボルである麦でヒンメリを作り、冬至祭りに飾る。ヒンメリは光という意味だ。 立方体のひし形の頂点となる片方に針と糸が出てくる。最後にもう片方の頂点と、針と糸が出ている頂点を結び合わせて完成。ただしこ れはパーツに過ぎない。同じ作業を最初から八回して、ひし形を八個作る。新しく糸を針に通し、ひし形の先端と先端をつなぎ、円にする 。 電話が鳴る。 麦わらの結び方にはコツがいる。糸がたるまないよう、かつ張りつめすぎて柔らかい麦を裂かないよう、両手で調節しなければいけない 。 電話は切れた。 新しく八十五センチの糸を針に通す。完成しかけたヒンメリを平らな場所に置いたときに突き出ている八個の頂点たちを、一本ずつ麦 わらを足しながら針と糸で円になるように結ぶ。裏返して同じように頂点を一筆で描くように一本の麦わらでつなぐ。 もう一度電話が鳴る。これ以上邪魔をされたくないので出る。最近会ったうちの一人だった。名前すら覚えていない。 プログラミングのことでもっと話したい。仕事でやっているから力になれるかもしれない。 糸を切れば完成する。幾何学模様を宙に描く光の象徴、無秩序に見え繋がっていく人生の点と線のよう。
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