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雨が流れる
国内一降水量の少ない隣県の水源は、毎年のように取水制限が行われるダムと少雨が続くと著しく水位が低下する川しかない。
今年は全く雨が降らずダムの貯水率も尽きかけている。僕らの県に助けを求めたが、為政者は断った。双方の県民感情は悪化し、県境では小規模ながら争いも起きた。
ベトナム戦争の時アメリカ軍は、気象兵器の実現に成功した。「オペレーション・ポパイ」と呼ばれるこの作戦は、戦況を有利にするため、ヨウ化銀で雲を発生させて敵地の雨季を長引かせた。これは実話だ。歴史的事実だ。
猛暑日に僕は廃屋にいた。見捨てられた神社の跡地だった。床にノートパソコンを開き、届いた数十機の大型ドローンを地面に並べる。ヨウ化銀も容器に詰めてドローンに積んである。準備はできた。後はやるだけだ。
「本当にやるのか」
軽い足音がした。
化学工場で働く青年だ。毒物劇物取締法によって劇物に指定されているヨウ化銀を手に入れるためには、彼の力を借りなければならなかった。
「仕事は」
「休んだ。薬品を横流しした事が分かって騒ぎだから」
殺されたくないな、と言って彼は座り込む。
水不足が引き金になり隣県民が県境で起こした暴行事件はちょっとした話題になった。田舎ではそれは衝撃的なことだった。それでもやがて皆口にしなくなった。忘れてしまったからだ。僕はそうはいかなかった。僕の妹が被害者だったからだ。
「気象兵器は条約で禁止されてる」
「兵器じゃない。欲しがっているものをくれてやるだけだ」
彼には危険を冒しても僕に協力する理由があった。事件が起きた時、妹と一緒にいたのは彼だったからだ。この日も様子を見に来ずにはおれなかったのだろう。
「この量じゃ豪雨で人が死ぬ」
「いいんだ。これは戦いだから」
決行の時が来た。家で書き込んだコードを実行する。
何千というプログラミング言語が画面を流れ落ちていく。夏の夕、急に降り出す雨のように。
ドローンは間隔を保ちながら飛び立っていった。しばらくするとヨウ化銀を撒いて一機、また一機と帰還するはずだった。
いきなりコードが流れを止め、画面に「定義されていない基底クラスが宣言されています」というメッセージがでる。あってはならない事態だ。凡ミスだ。
僕は画面に向かい何とか修復しようと試みる。できることはない。青年が笑う。
僕は猛烈に腹を立てていた。青年は帰った。神社の庭に出る。看板を手あたり次第に蹴りつける。石碑に当たって足が痛む。石碑には神社が建てられた由来が刻まれていた。
県境などなかった頃、この辺りでは村人たちが祭りをすると、竜が人の姿になってよく遊びに来た。村人も竜と知っていたが仲良くしていた。ある年、干ばつが起きた。雨ごいをしたが効かず、死を待つばかりだった。
その時いつもの竜がやってきて、「竜神は雨を降らせてはいけないとされているから、雨を降らせればきっと殺されてしまう。しかしこれまでの恩返しに雨を降らそう」と言って姿を消した。
しばらくすると村に雨が降り、村人たちは喜んだ。しかし竜は雷とともに体を三つに裂かれ死んでしまった。村人は竜の死を悼み神社を立てた。
隣県のラジオ局では気象予報士が言う。本日も酷暑です。日照り続きで深刻な水不足が見込まれます。一部地域では断水も始まりました。
ドローンは落ちた。人の上に。幸い怪我はなかったが、容器のふたが外れた。光に触れたヨウ化銀は光化学反応をおこし、黒色化した。それでその人はヨウ化銀だと分かった。なぜなら化学工場に勤務していたからだ。
ヨウ化銀を横領したことが分かったが、青年は仕事を辞めずに済んだ。その代わり高い代償を払う羽目になった。
隣県の知事は事態を重く見て水不足による緊急事態宣言をする。県民に努力と理解を求める。断水は全域に広がり、水を求めて人々は県を脱出し始めた。
青年の弔いに、妹も参列することができた。会場を出て、空を見る。雲間に竜の姿を探したりはしない。僕の顔を水が流れる。この地域全体を覆う雨雲から、数ヶ月ぶりの雨が降ってきた。
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