流れ星を信じて

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 願い、希望、将来の夢、そんなものに拘らなくなったのはいつからだろうか。  子供の頃はやれ夢だの希望だのを持てと散々に叩き込まれる。誰もが将来なりたいものを学校で書かされたり、皆の前で発表させられたりしたことがあるだろう。私は中学校ですら書かされた記憶がある。  その義務教育のイベントにおいて、現実志向でサラリーマンなどと書こうものなら、冷めた人間に思われるか、下手したら先生に書き直させられる。私はしかたなくサッカー選手と書いておいた。  しかし大半の人間は夢や希望が叶わぬまま老い衰えてゆく。世の中の厳しさに挫折し、普通に生活するだけで精いっぱいとなる。それが悪いことだとは思わない。私もそちら側の人間であるし、今の私には特に夢や希望を考えている暇はない。ただし最初から希望を持つように煽るだけ煽る教育はどうなのだと、不信感を抱かずにはいられない。  「美菜(みな)、起きて」  まだ布団の中でスヤスヤ眠る美菜を私は揺すった。私自身まだ眠たい。美菜の無垢な寝顔を見ると一緒に横になりたくなる。しかし美菜は手のかからない子だ。一度起こせば目を擦りながらも素直に起きてくれる。今の私にとってはとてもありがたかった。  お弁当を作り、幼稚園まで美菜を送る。これが私の、新たに増えた朝の仕事だ。どうであろう、普通の人よりも忙しいと言って差し支えないのではあるまいか。今の私には夢や希望を追いかける時間はない。  テーブルに着いて朝食を食べる美菜を尻目に、私は最も苦手な卵焼きにとりかかった。  
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